第192話:旦那様談義

「まさか。おふたり、とっても仲がいいんですよ?」


 帰り道、リトリィは俺の言葉に目を丸くした。


「いや、だってさ、前に会ったとき、ゴーティアスさん、随分シヴィーさんのことを悪く言っていたじゃないか」

「わたしも最初はそう思いましたけれど、でも、今日、お二人とお話しているうちに、ただの誤解って分かったんです」


 リトリィの耳がぱたぱたとせわしなく動く。俺の誤解を解こうと、何やら思案を巡らせているようだ。


「ええと……ゴーティアスさん、少し人見知りなところがあるみたいで。それで、知らない人にあまり本音を話せないみたいなんです」


 ……あのばあさんが、人見知り?

 いやいや、そもそも話しかけてきたのはあのばあさんからだったし、リトリィを捕まえて延々と花壇の出来栄えやら何やらを話し始めたのも、あのばあさんからだったはずだぞ?


「ええと、ほら。その、身近な人を褒めるのって、なにか自慢たらしく感じてしまうみたいなんです。だから、仲のいい人が相手でないと、つい、家族のことを悪く言ってしまうみたいで――」

「……じゃあ、一回目の時にシヴィーさんのことを悪く言っていたのは」

「はい。えっと、謙遜……みたいなものだと」


 ……なんだそれ、じゃあ女性不信になりそうになった、あの和やかなお茶会こそが、ゴーティアスさんの本音だったってことか?


「……待てよ、俺もリトリィも、会うのは二回目でしかないだろう? そんなに簡単に仲良し認定できるものなのか?」

「そうですか? わたし、すっかり仲良くなれたっておもっていたんですが」


 ……リトリィ、絶対に営業が上手なタイプだ。おっさんおばさんにうまく可愛がられて、注文をゲットしてくるタイプに違いない。その営業力、俺が日本で身に付けたかったよ。


「……俺が庭で草むしりをしていた間、どんな話をしていたんだ?」

「どんな話って、えっと……ふつうですよ? お互いのだんなさまの話ですとか」

「お互いの旦那? どんな話だったんだ?」

「えっと、どんな方だったのか、とか、出会いはどこで、とか……」


 なるほど、リトリィを相手に、ゴーティアスさんとシヴィーさんが、お互いの旦那の思い出話をしていた、ということか。黙って聞いていると、リトリィは指を折りながら、楽しそうに話を続ける。


「いろんなお話をされていましたよ。お好きなもののお話とか、苦手なもののお話とか。だんなさまのすてきなところとか、かっこいいところとか」


 なんだ、お二人からひたすら、亡き旦那ののろけ話を聞かされ続けたということなのだろうか。そのわりには、ちらちらと上目遣いにこちらを見上げては、笑みを浮かべて、実に楽し気なリトリィ。


「あと、意外なところとか、かわいいところとか。その、えっと……」


 意外はともかく、可愛い? 旦那ののろけで可愛いというのは不思議だが、ゴーティアスさんから見て、シヴィーさんの旦那というのであれば、まあ息子さんなのだから、子供の頃の話もでてきたのだろう。


 ――と、油断していた。

 急激に声の大きさが小さくなったと思ったら、とんでもないことを口にし始めた。


「……えっと、は、初めての夜のこととか。その、こ、仔作りはどれくらいしてるのかとか、どんなふうにしてるのかとか……。あと、その……仔ができやすい、しかたを教えてもらったりとか……」


 ……ちょっと待て。

 お二人とも、もう旦那さんいないだろ。

 てか、子作りって、あの二人が?


「……お互いの旦那って、ゴーティアスさんと、シヴィーさんの、だよな?」

「え? おふたりと、わたしの、ですが?」


 足が止まる。


 つまりなんだ、あれだ。

 今までの話は、ゴーティアスさんとシヴィーさん、その二人が、亡き旦那についてののろけ話をリトリィに聞かせていたんじゃなくて。

 お二人の旦那と、リトリィの旦那――つまり俺――の話だったということか?


「はい。……ムラタさんは、、で、合っています、よね……?」


 急に不安そうな顔になったリトリィを、俺は慌てて抱き寄せる。彼女を不安がらせていいことなんか、一つもない。


「……オーケイ分かった、でもちょっと待って。ええと……、こ、子作りの話は、つまり、俺と、リトリィの話、ということか? あのお二人でなくて?」

「はい。わたしが、どんなふうに愛してもらってるかっていうお話で……。えっと、三儀式は済ませたのかって、話になって、それからその……」


 あのババア。

 全部知っていたのか。

 俺とリトリィの夜の生活ぶり、全部知っていたうえで俺にカマかけたってのか!


「……お話しては、いけませんでしたか……?」

「いい。いいですとも。問題ない。俺たちが毎晩子作りに励んでるラブラブバカップルであることが伝わった、うんもうそれでいいよ」

「らぶらぶばかっぷる……?」


 首をかしげるリトリィ。うまく翻訳されなかったか。まあいいさそんなこと。


 これで、突然ふらりとやってきた建築士を名乗る男は、来て早々にジルンディール工房の一人娘を嫁さんにもらって式も挙げぬままにお盛んな毎日をおっぱじめたと、つまりそういう風評が広がるわけだあのお二人のコミュニティから。


 ……なんてこった!


「あ……、や、やっぱり、お話してはいけなかったですか?」

「いい。俺たちがもう、実質夫婦だってことが伝わったことは問題ない。リトリィは、その素直さが可愛がられてるんだろうからな」


 苦笑いしながら、頭を撫でてみる。くすぐったそうにする彼女。

 なに、いまさら奥様ネットワークに赤裸々なバカップルぶりが伝わったところで、構いやしないさ。

 その素直で裏表のない、優しく純朴な彼女に、俺は惹かれたのだから。




「……そういえば、門衛騎士のかたのお話し、どう思われますか?」


 夕食を食べ終わり、二人で片づけをしていた時だった。リトリィが、ふと思い出したように口を開いた。


「門衛騎士の話?」

「ほら、あの二人は知り合いかって」


 ……思い出した。

 今日も、帰り道に門前市場で買い物をして帰ったのだが(今度はリトリィを一人になどしなかった!)、門を抜けるとき、例の門衛騎士が、俺たちに声をかけたのだ。

 ――あの二人は、知り合いか、と。


 二人と言われて、ゴーティアスさんとシヴィーさんが表に出てきていたのかと思っって何の疑いもなく振り返り、しかしその二人を見つけることができなかった俺は、何の気なしに「ゴーティアスさんとシヴィーさんのことなら、今度の仕事の依頼主です」と答えたのだが。


『いや、女性じゃない。男が二人だ』


 門衛騎士によると、こちらの様子をうかがうように二人、男がやや離れたところを歩いていたようだ。

 門に入ってきた俺たちを見届けるようにして、去って行ったのだという話だった。


「この前も、リトリィに夜の店で働くように勧誘をかけていたクソ野郎がいたな。それ繋がりだろうか?」

「……だとしたら、怖いです。あの、わたし、どうしたら……?」


 洗い物の手が止まる。

 振り返ろうとした彼女を、後ろからそっと、抱きしめた。


「俺では、頼りにならないか?」


 俺の言葉に、ふわりと尻尾がはねる。


「そ、そんなことはありません! とっても頼りになる、すてきなだんなさまです!」


 後ろを向こうとして横を向いた彼女のあごをとらえると、その唇に自分の唇を重ねる。

 再び大きく跳ねた尻尾が、そのままばっさばっさと荒ぶって腹がくすぐったいが、構わない。


 ――俺では頼りにならないか、だって?

 自分が吐き出した言葉に、呆れる。

 この俺が、を守りたい、などどいう思い上がったことを考えるようになるなんて。


 日本にいた頃の自分が、果たしてこんなことを考えるような機会があっただろうか。


 ――奪われてたまるか。


 リトリィと出会い、彼女と心を通わせ、そして愛し合い、ともに生きていくことを心に決めた。

 それが、こんな執着心を生んでいる。


 武道の心得もないくせに、彼女を守りたいと願う、この独占欲。


「ムラタさん、どうしたの……? わたしはどこにも行きませんから、落ち着いて……?」


 リトリィの言葉にはっとして、彼女から手を放す。


 彼女を守りたい、ではなかった。

 彼女を奪われたくない、だった。

 彼女の思いに応えるためではなかった。

 自分の独占欲を満たしたいがためだった。


 己のエゴをむき出しにしただけの、拘束。


「ごめん、つい……」


 言い訳をするのも気持ち悪くて、それ以上、言えなくなる。やっぱり俺は、自分のことしか考えていない男だ。


 うつむき、歯噛みする俺に、しかしリトリィは微笑んでみせると、そっと俺を抱きしめてきた。


「うれしいです。わたしを、手放したくないって、思ってくださったんですよね?」

「それはそうだけど、……でも、君のためを思ってというわけじゃ……」

「わたしを独り占め、したかったんでしょう?」


 その言葉に、心底驚く。

 なぜ、それが分かるのだろう。


「分かりますよ。だって、あんなに強く、抱きしめてくださっていたんですから」


 そう言うと、俺の懐に顔をうずめる。


「うれしいです。わたし、あなたに、欲しいと思ってもらえてる……。あなたに、なくてはならないって思ってもらえてる……!」

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