第182話:初めての依頼
「おうちの案を作ってくださる、ムラタさんという方の事務所は、こちらですか?」
玄関の方から聞こえてきた言葉に、俺は一瞬、耳を疑った。
俺だけでなく、リトリィも同じ感覚に陥ったらしい。一瞬、動きが止まる。
「ムラタさん、いらっしゃいますか?」
確かに来客だ!
俺はリトリィに手伝ってもらいながら慌てて身支度を済ませると、玄関に向かう。
リトリィは俺の世話を整えたあと、すぐさまお茶の準備に。
俺を指名してきたのだ、間違いない。どんな伝手で俺のことを知ったのかは知らないが、とにかく、俺の事務所の、初めての客!
襟を正し、息を整え、満面の笑みを作って扉を開けて、そして――。
「こんにちは、あなたがムラタさん――」
言いかけて、扉の前に建っていた人物は鼻をひくつかせ、
視線が俺の下腹部の方に下がり、
まじまじと見つめたうえで再び視線が俺の目に戻ってきて、
慌てて視線をずらし、
しかしその先にいたのがお茶の準備をしていたリトリィで、
何を悟ったか急に頬を染めて耳をせわしなく動かし、
焦った口調で「お、お忙しい所でしたのね、また出直しますわ!」とくるりと背を向けて駆け出していったのは、
――
視線移動の意味を考え、そして、死ぬほど後悔した。
起き抜けにリトリィと体を重ねたあと、水浴びなりなんなり、しておかなかったことを。
半刻ほどしてまたやって来た
こうしてみると、同じ犬属人のはずだが、リトリィとはずいぶん違う。先日、炊き出しで来た街の獣人たちと同じく、耳と尻尾以外には、ほとんど動物らしさを感じない。
リトリィは、直立二足歩行をする金色の大型犬、といった様子だが、このお客さんの方は、多少は産毛が濃く感じられる顔、頭の上にリトリィよりもいくらか小さな耳を立てている、という程度だ。
リトリィは、「獣人」の特長である耳と尻尾を除いても、犬のようにやや高い
しかし、こちらの女性はほぼ人間。鼻も、リトリィは褐色の、犬の鼻に近いものが付いているのに対して、こちらの女性の鼻はヒトと変わらない。
体毛も、一般的なヒト程度で、多少、顎のラインあたりから産毛が濃くなっていくのが分かる程度だ。
先日の炊き出しで見かけた獣人の人々と、少なくとも見た目の特徴は同じ。
喉元から
尻尾も、リトリィの大きくふわふわなものと違って、リトリィのものよりは毛が短いようだし、尻尾自体もそれほど長くはない。顔の、ヒトよりもやや濃いめの産毛をそり落とし、耳を帽子で隠したら、見た目はほとんどヒトと変わらないのではないだろうか。
瞳も、リトリィの神秘的な淡い青紫とは違い、黒褐色――日本人のような、こげ茶色、といったところだ。
同じ犬属人でも、リトリィと違って、この女性はヒトの血の方がずっと濃い、ということなのかもしれない。一口に
――というより、リトリィが別格、何から何まで異端なのだ。
もしかしたら、ヒトとの混血の度合いによって、ケモノらしさの表出度も変わるのかもしれない。すると、俺とリトリィとの間に子供ができたら、どんな感じになるんだろうか。
とまあ、ぶしつけにじっと見つめてしまっていたその視線に気づいたか、シヴィーさんが取り繕うように笑った。
「さ、さきほどは
――そっち?
さっき、俺とリトリィがどんな関係かを
なるほど、ほとんどヒトの姿だとはいえ
しかし、それを今、取り繕うような笑顔で言われても、対応に困る。
――なにも地雷をほじくり返さなくても。俺もリトリィも、苦笑いを浮かべることしかできない。
「ええと、それで、ご用件はなんでしたでしょうか?」
しばらくの、互いに気まずい沈黙のあと、俺は意を決して尋ねた。俺を求めてやってきたということは、建築に関わる話がしたかったはずなのだ。
「そ、そうですね! 私としたことが!」
胸元でぽんと手を合わせるシヴィーさん。その手はレースの手袋に覆われていて詳しくは分からないが、その細く長い指から、リトリィのような毛深さなど無いことが分かる。
「フィネスさんから伺いましたの。このおうちを建てたの、あなたなんですって?」
「……はあ、まあ」
マレット棟梁率いる大工集団です、と、思わず言いたくなるのを我慢する。
先日の上棟式で、この家の施主は俺であるという話が広まったのだとしたら、つまりこの家を建てたのは、……俺、ということか。
俺は、釘と、ついでに自分の指を金槌で殴ってただけなんだがな。
……こそばゆい気持ちだ。初めて担当した家の時に感じたような。
それにしても、意外だった。
フィネスさんとは、先日の炊き出しでいろいろとお話を聞く機会があったとはいえ、まさかそちらの縁から話が飛んでくるとは。人と人とのつながりというのは、本当に馬鹿にならないと感じる。
「でしたら、ウチをどうにかするお手伝いをしていただけませんこと?」
「
「ええ、どうにか、ですわ」
家をどうにかする、ということは、つまりリフォームだろうか。今の使い勝手に不満を抱き、だから間取りを変えるために行う、住居の改装工事をやれということか?
探ってみることにした俺は、またしても地雷を踏み抜いたことに気づいた。
「ええと、ウチの
なぜなのだろうか、なぜ世の奥様方はこう、しゃべり始めると話をあちこちに広げるのだろうか。結局、まとめると十秒ほどになる案件をしゃべるために。
異世界であってもそれを嫌というほど堪能した、この一刻。
「……それで、つまり、お年を召されたお
「ええ、そうなんですの! やはり寝室が二階にありますから、階段の上り下りが、大変そうで。たとえば、階段をもっとゆるやかにするとか、できます?」
――ああ、よくある話だ。年齢を重ねて、あちこちの関節が痛むようになり、住み慣れたはずの我が家での暮らしが苦痛になる――リフォームを決断する時がやってきた、ということなのだろう。
「階段を緩やかにすること自体は可能ですよ。ですが、緩やかにするということは、そのぶん、階段が長くなるということですから、上り下りに時間がかかるようになります。その点についてはよろしかったでしょうか。あと、階段を延長するぶんの空間の余裕も必要になりますが……。家の設計図はお持ちですか?」
「あら、設計図がいるの? 困ったわねえ……」
シヴィーさんの話によると、どうもその家はシヴィーさんのお義母さんの代に、中古住宅として購入したらしいのだ。そして、設計図は……。
「いえ、よく分からないんですの。私は夫のもとに嫁いだものですから……。もしかしたら、お義父さんの遺品の中にあるかもしれませんが」
……なるほど。これはさっさと実際に家を訪問するのが一番だ。
ところが、そう伝えると、なぜか急にシヴィーさんが慌て始める。
「ウチにいらっしゃるんですか? いえ、そんなお手を煩わせることは……」
「いえ、家の構造をよく知らぬままにお話を進めることはできませんから」
「そ、それはそうなのですが……」
妙にしどろもどろになる彼女に、ああ、と気づく。おそらく、彼女の頭の中では、客人を迎え入れることができるほどには、家の中が片付いていないとか、そんな理由があるのだろう。
「いえ、今日訪問させていただく、という意味ではございません。そちらのご都合に合わせますので、いつがよろしいか、相談いたしましょう」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます