第179話:次に食べるのは

「ひさしぶりだわ、あんなにおいしそうに召し上がるのを見ることができるのは」


 ナリクァンさんの言葉に、フォロニアさんとラディウミアさんも笑顔を浮かべる。


「やっぱり、熱々のスープを食べられるっていうのはいいのでしょうね」

「このおうちができて本当によかったわ。最後まで、温かいものを配ることができるのですから」


 フィネスさんが、パンケーキのようなものを差し出しながらねぎらってくれた。


「ご苦労さま。なかなか好評だったわね、今回の炊き出し」


 ペリシャさんがリトリィに、次は旦那様のお食事ね、と微笑む。

 ……いえ、配っている間に、体を温めるために何度か食べたスープでもう、腹いっぱいです。このパンケーキで、昼食はもう十分なくらいで。


 しかし、まさに「ひとに歴史あり」というか。ペリシャさんの話を聞いた時にもなかなかない生きざまだと思ったが、フィネスさんの半生を聞くと、やっぱり俺の、日本での人生は生ぬるかったのだと思い知る。

 いや、俺が特別生ぬるい人生を送っていたつもりはないが、この世界は、優しいようで、やっぱり過酷だ。


 だから、俺もそうだが、リトリィは本当に、この街で、よい出会いをしたのだとつくづく感じた。

 商売人として生きてきたナリクァンさんが、特に利益のない関係を優遇するとは思えない。出会い自体はジルンディール親方のつながりだろうが、こんなにもリトリィが気に入ってもらえているのは、ひとえに彼女の人柄あってのことに違いない。


 そしてもし、リトリィと出会わなければ、俺がナリクァンさんと知り合うことなどなかっただろうし、もちろんあの小屋を建てることもなかっただろう。まして、その小屋が俺のこの世界での、最初の家になることもなかっただろう。

 縁というものはつくづく、不思議なものだと感じる。


 それにしても、フィネスさんと会話をしていると、やはり、ペリシャさんやフィネスさんは、リトリィほどでなくても特別な存在に近い気がしてくる。


 俺にとっては、リトリィはこの世界で出会った最初の女性だし、以来ずっと一緒にいるから、獣人族のひとと生活する、それは当たり前になってしまっていたのだが。


 リトリィは別格として、ペリシャさんもフィネスさんも、それぞれ猫、狐の面影が残る顔つきをしている。特にフィネスさんは、リトリィほどでないにしろ、狐らしい鼻梁マズルの雰囲気が感じられる顔つきだ。


 しかし、炊き出しに訪れた獣人のほとんどは、耳や尻尾を除けば、産毛が多少濃いように感じる程度で、顔かたちは人間とほぼ変わらなかった。

 ペリシャさんも、フィネスさんも、この街の中では特に獣人の特徴が濃い人たちなのかもしれない。


 それはつまり、この街において、より苦労してきた人たち、ということでもあるのだろう。そう考えると、リトリィをひいきしたくなる気持ちも、なんだか分かる気がする。仲間意識のようなものがあるのかもしれない。




「リトリィさん、今回のスープのお味は、お母様のお味なのかしら?」

「あ……は、はい。よく、母が作ってくれた味です」

「そう……。素朴な味わいで、懐かしい感じがして。わたくしも、幼いころによくおうちでいただいた……そんな味を思い出しますわ。とっても美味しかったですよ」


 フィネスさんが、目を細める。


「そんな、フィネスさんが以前、うちで作ってくださったお料理、とってもおいしかったです! 私の料理なんてそんな――」

「リトリィさん?」


 急に声を掛けられ、俺もリトリィも驚いて反射的に振り向く。


「以前にもお話しましたが、過剰すぎる謙遜は、美徳とは言いませんよ」


 ――ナリクァンさんだった。怖い笑顔、というやつで、静かに微笑んでいる。


「フィネスさんが認めてくださったことを否定しては、フィネスさんの評価を否定したことになり、場合によっては恥をかかせることに繋がります。淑女は、いただいた評価をかしこまって受け入れるものですよ?」

「は、はい……!」


 恥じ入るようにうつむくリトリィに、フィネスさんがころころと笑う。


「ナリクァンさん、あまり大げさにしないでくださいな。本気で恐縮してしまっていますよ?」

「あら、これくらいでいいのですよ。事務所を経営する夫を支える女になるのであれば、もう少し胆力を身に着けてもらわないとね?」


 ……なんのことはない、からかわれていただけだった。

 額に浮いていた脂汗を拭う。


「でも、私もフィネスさんと同じ考えですわ。とても懐かしい味。私の母はパーティのとき以外に料理などしませんでしたが、私の乳母が、乳兄弟と一緒に食べさせてくれたものの味によく似ています。とても、懐かしい思いに浸れましたよ」


 さりげなく乳母ときたもんだ。そして母親も基本的に料理をしなかったと。さすが元貴族。


「これからは、旦那様のために作るのね? このお味、にもちゃんと伝えてあげてくださいね?」


 フィネスさんはそう言って、なぜか、つつっ……と俺を横目で見る。

 ……やめてください、フィネスさん。ナリクァンさんまで。二人が並んでそっくりの、その流し目。めちゃくちゃ怖いんですけど。

 さすがナリクァングループ、めぢから半端ない。


 ……いえ、分かります分かりますってば。ちゃんと頑張ります。目標は二人――え、足りない? いやその、リトリィの年齢的にそれ以上は難し――


 はい、頑張らせていただきます。頑張らせていただきますからそれ以上を要求なさらないでくださいお願いいたします。




「楽しかったですね」


 ベッドに腰掛けながら、リトリィはニコニコ顔だ。


「大変でしたけれど、やっぱり喜んでもらえると、わたしもうれしくなりました。フィネスさまやナリクァンさまが炊き出しを続けてこられた理由、分かった気がします」


 俺はもういい……。

 ベッドに仰向けに倒れ込んだまま、俺はつぶやく気力もなかった。


 一生分の営業スマイルを使い切った気がする。

 リトリィには嬉しそうにする――そうでなくても、だいたいはまんざらでもない顔をするおっさんたちが、俺のところに来ると真顔に戻るんだよ。

 悪かったな、スイーツ係が野郎で。


「ふふ……ごめんなさい。乾燥果実を渡すお役目、本当はフォロニアさまやラディウミアさまだったんですけど、ムラタさんをお願いしてしまったんです、わたしが」


 リトリィが?

 ……いや、リトリィを悪く言いたいわけじゃないんだが、この精神的な疲労の原因を作ったのがリトリィだったとは。ちょっとだけ、恨みたくなる。


「……だって、ほら。あなたとふたりで配れば、なんだか、その……」


 視線を落とし、少しためらい、そしてまた、上目遣いに俺を見る。


「……若夫婦が炊き出しをしてるみたいに、見えるかも……というか、見てもらえたら、うれしいなって、思ってしまって、……その……」


 そのまま言葉が継げなくなったか、頬に手を当て首を振り、くねくねと恥じらい始める彼女を目にして、直前までの恨みがましい思考を直ちに撤去する。


 ――かわいい。

 俺の嫁、かわいいぞ!


 うむ、確かにそうだ。リトリィの言う通り!

 若奥様万歳、君の考えに間違いはない!

 その見慣れたエプロン姿も、初々しくていいぞ!

 フィネスさんの言う通りだ、すぐに子供を作ろう!

 とりあえず、今、すぐ、ここで、可及的速やかに、君をいただきます!!


「え、あ……あの、こんな昼間から――」




 はい、ごめんなさい。

 無理ですもうすっかり食べつくされた感ひとしおです。

 今夜の分もすでに枯れ果てましたこれ以上いくら上で腰を振られてももう煙も撃てません。

 頼むから許してお願いせめてインターバルをくださいこのままだと俺の死因が腎虚で腹上死確定です。

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