閑話⑫:女の子の日(1/2)

※女性の、月経に関する習俗のお話です。






「……ごめんなさい、ごめんなさい……」


 朝からリトリィが泣いている。

 やたらと長いトイレのあと、べそべそ泣きながら出てきたかと思ったら、あとはもう、ずっとだ。


「……せっかく、せっかく、ムラタさんが……いっぱい、愛して……くださったのに……」


 ……いわゆる、月の物、というやつだ。

 具合が悪そうに腹を抱えて、そしていつもは はかない厚手の下着をはき、ベッドですすり泣きながらうなっているから、何か病気にでもなったかとあわてて聞いてみた結果だ。


 とりあえず病気でなくてよかったと思ったら、こんどは延々と謝りだしたのである。

 『子供ができていなかった』『せっかく毎晩お情けをいただけたのに』、そしていつまでも繰り返される『ごめんなさい』である。


「リトリィ、俺は気にしてないって言ってるだろう? 子供は近いうちに必ずできるから、謝らなくても、まして泣かなくてもいいんだ」

「……ごめんなさい……」

 ……ああ、もう!


 一人で延々と泣き、謝り続けるリトリィに、どうしたらよいのか分からず、正直、困り果てていたところだった、来客が現れたのは。


「おはようございます。二人とも、いらっしゃるかしら?」


 ――ペリシャさんだった。




「やっぱりね。そろそろだと思ってね、伺いましたのよ」


 孫も月の物が重いものですから、と、あっけらかんと笑うペリシャさん。そういうの、普通、他人には隠しませんか?


「あら、あなたは他人ではありませんし、獣人族ベスティリングの娘が今日明日あたりからしばらく体調を崩すなど、誰でも知っていることでしょう?」


 不思議そうに答えるペリシャさんは、しばらく首をひねってみせて、そして、思い出したように手のひらを胸の前でぽんと合わせた。


「そう、そうね。ムラタさんは、うちの亭主と同じでニホンからいらしたんでしたっけ。それでは分からないわね」


 ころころと笑ったあと、ペリシャさんはいたずらっぽい表情を浮かべて見せた。


「ムラタさん? リトリィさんが山からあなたのもとに帰ってきたの、いつごろか覚えていらっしゃいます?」

「ペ、ペリシャさん!?」


 リトリィが小さな悲鳴を上げるが、ペリシャさんは気にしていないようだ。


「ええと……」

 しばらく脳内で計算してみる。

「十五、六日前――でしたっけ?」

「ええ、そうよ? 十五日前」


 もうそんなに経ったのか――いや、まだそれだけしか経っていなかったのか。リトリィが山から下りてきて、それだけの日数しか経っていないのに、もう完成したのか、この小屋は。


 我ながら、ものすごい突貫作業だったのだと、あらためて実感する。


 ……まあ、実質、ヒヨッコどもがこしらえた屋根窓と、かまど職人が手掛けたかまどやオーブン周りと、建具屋たてぐやがこしらえた鎧戸よろいどと……あとは大工の皆さんに頑張ってもらった階段くらいだったからなあ、手間がかかったのは。


 あ、意外にけっこう手間がかかること、やってるよ。ただし分業で並行して進めたから、この短期間に仕上げることができたわけだ。


「――話を続けてよろしいかしら?」


 眉間にしわを浮かべながらの笑顔で、ペリシャさんが見上げてきている。

 ……しまった、やらかした! また考え事にふけって、目の前の人のことを忘れていた!




 話によると、獣人族ベスティリングにとって、月が三つ重なって昇る夜――<藍月らんげつの夜>と呼ばれるらしい――は、特別な夜なのだという。平たく言えば、「子作りに最適な夜」ということらしい。


 なるほど、大変わかりやすい。

 でもって、獣の特徴がよく表れているほど、大きな影響を受けるのだそうだ。


「それって、ペリシャさんもですか?」


 うっかり聞いてしまい、口元を扇子で覆われて目を細められたとき、その失言ぶりに肝を冷やす。


「……ええ、そうよ? 理解のある旦那様で、助かっておりますが」


 ――おもいっきりセクハラ案件でした。申し訳ありません。

 ……って、理解のある旦那様?


「幸い、わたくしにはもう、月の物は来ておりませんので、旦那様のお情けを楽しむだけ楽しんで、その後の苦しみを味わわずに済んでおりますけれども」


 うあー……

 すみません熟年カップルの夜事情など聞きたくありませんでしたごめんなさい。


「私たち獣人族は、子作りを始めると途端に月の物が重くなりますから。リトリィさんも、これほど重い月の物は、初めてではなくて?」


 ベッドで、枕を抱えるようにして丸まっているリトリィに、ペリシャさんが優しく問いかける。

 かすかにうなずくリトリィ。

 そんな彼女の頭を撫でながら、ペリシャさんが優しく語り掛ける。


「いいのですよ。私たちは藍月の夜にをいただくと、月の物が重くなるのです。ですからおなかの痛みは、あなたが十分に愛されている証拠だと思いなさいな。重いのは、最初の二日ほどだけですから。あとは、憑き物が落ちたように楽になりますよ?」


 まるで母親のようだ――そう思い、そして、リトリィにはもう、母がいないのだと思い出して、ペリシャさんがなぜ、今日、ここに来たのかを理解した。

 ……おそらく、リトリィの母親の代わりに、教えに来たのだ。子作り中の、月経の乗り切り方を。


 感心していたら、ペリシャさんが苛立たしげに、くるりと俺の方に首を回す。


「ムラタさん、事情は分かったでしょう? それなのにあなたは、そこで何をしていらっしゃるのかしら?」

「……は?」

「妻が月の物で苦しんでいるなら、そのおなかを温める湯を沸かすなり何なりするのが夫の務めでしょう? そんな常識も知らないのですか?」


 ……知らないよ、そんなこと! 責める前にまず教えてくれ!!




 愛する人のために、湯を沸かす。

 たったそれだけのことなのに、えらく手間がかかる。


 ガスコンロ――もっというならIHヒーター装備のキッチンなら、あっという間に湯が沸いただろう。たきぎを燃やして鍋を温めるのは、本当に時間がかかる。


 おまけに、慌てている時には何事もだ。火をつけるのも手間取り、放り込む薪が太すぎて、放り込んだ衝撃で消してしまいかけるなど、いつも以上に時間がかかってしまった。


 ようやく沸いた湯を手桶に移し、屋根裏部屋に、こぼさぬよう慎重に運んでいくと、リトリィが、ペリシャさんに抱かれるようにして、

 ――泣いていた。

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