第170話:ムラタの棟上げっ!(7/9)

「リトリィさんにお話しして、許してもらえたら、ムラタさんのもとに身を寄せることです」


 今度こそ、腰が浮いた。


「ま、マレットさんと、相談して、その結論?」

「はい」


 なんとも無邪気な笑顔での返事。

 くりくりの、栗色の瞳で、まっすぐこちらを見つめてくる。


「女が大工になることを少しも疑わず、私の夢をよく理解してくださっているムラタさんは、だから、よく心得て尽くすようにと」


 俺のことを、明確に「嫁ぎ先」とまで言った!?


「……お母さんは?」


 口の中がカラカラになる思いで、やっと絞り出した問いに、マイセルは小首をかしげ、そして微笑んだ。


「お母さんたちですか? 二人とも賛成してくれました」


 頬を染めてうつむき加減に、だがやはり嬉しそうに続ける。


「ムラタさんはきっとよく可愛がってくださるだろうけど、ちゃんとリトリィさんを立てて、万事ばんじ控えめにして、応えるように、と」


 特にネイジェルお母さんには、念入りに釘を刺されましたけど、と笑う。


 ……そ、そうか……まあ、だしな。

 だが、ジンメルマン家の息女だぞ? かばね持ちの棟梁の長女だぞ? 娘が第二夫人の座に甘んじることを許すのか? 本当にそれで納得したのか?


 そして、めとる俺がこんなことを考えるのもなんだが、この街では決して「ヒト」と対等とは言えないはずの獣人族ベスティリングなんだぞ、リトリィは。


「だって、私のほうが後ですし、年下ですから。これでも私、かばね持ち棟梁とうりょうマレットが妻、クラムの娘ですよ? 長幼ちょうようじょくらいは、わきまえているつもりです」


 ……異世界に来て「長幼の序」などという言葉を聞くことになるとは思わなかった。いや、翻訳首輪の力だっていうのは分かっているんだが。


「ムラタさんが、リトリィさんを大切にしているのは、お話をしてても分かりますし。実はさっき、リトリィさんと少しお話したんですけど、昨日あんなに失礼なことを言ったのに、それでも優しく許してくれて……

 だから私、お二人のもとで頑張ろうって」


 ……なんだこの子。

 自分の家族の許可を取りつけただけでなく、すでにリトリィとも話を済ませてから俺のもとに来ただと?


 いつのまに?

 ていうか、ものの見事に外堀を埋めてから俺のところに来たって言うのか。

 ……これじゃ、あんなに悩んだ俺が、バカみたいじゃないか。――いや、バカそのものじゃないか。


 なんというり手! マイセル……おそろしい子!


「……マイセルちゃん、君は」


 俺は、笑って降参のジェスチャーをし、マイセルの隣に座り直す。


「――その行動力があれば、十分、今までにも大工修業ができたんじゃないのか?」


 彼女ははにかみながら、しかし、真っ直ぐ俺を見つめて言った。


「だって、ムラタさんが、力をくれましたから」

「……チカラ?」

「はい!」


 そう言って、今度は彼女がぴょんと資材から立ち上がる。手を後ろに回し、笑顔を突き出すようにして、俺と視線の高さを合わせる。


「ムラタさんは私に、夢をあきらめなくていいって、背中を押してくれました。

 ――ムラタさんの言葉をもらったとき、とっても嬉しかったんですよ? 父の背中を追いかけていいんだって、私も大工を目指していいんだって」


 ――ああ、そんなようなこと、以前にも言っていたような気がする。


「ムラタさんは、ずっと私を、建築の仲間として応援してくれてたんですよね。私、ムラタさん好きって思ってくれてるんだって思い込んでて、ずっと、どきどきしてました」


 考えてみれば、現場で初めて会った時から、もうそばにはリトリィさんがいたのに、と笑う。だが、自虐的な笑いではない。


「家族の応援ももらったし、リトリィさんとお話もできたし、だから、言います。

 ――私、ムラタさんが――」

「まて、待ってくれ」


 言いかけたマイセルを遮る。


 マイセルの表情が曇る。

 だが、その先は、彼女だけに言わせてはいけないような気がしたのだ。

 ――ここまで言わせたのだ。昨日、想いが届かないと思って泣いた、この娘に。


 俺は、彼女が、大工としての道を歩みたいという願いを持っていると聞いて、同じ、建築への志を持つ者として彼女を支えたいと考えた。 


 彼女が募らせている想いは、俺ではない誰かだと思い込もうとしてきた。なにせ、リトリィと深い仲になるまで、日本ではモテたという経験を一度も得ることがなかったのだから。


 何より、俺のことを愛してくれる女性がいる、その自信だけで俺は満足していた。だから、それ以外の女性と交際するという発想自体が存在していなかった。

 俺は、あくまでもマイセルの先輩として、彼女に助言をしているだけのつもりだったのだ。


 だが、もう、それは過去の話だ。


 正直、夢なんじゃないかとも思ってしまう。

 明日、目を覚ましたら、何でもないただの俺が、いつものベッドの上にいて、あまりにも出来過ぎた夢に苦笑しながら出勤し、仁天堂にんてんどうさん夫妻に渾身のプレゼンをする、という現実が待っているのではないかと。


 左腕の袖をまくる。

 腕に残る、引きつれたきずあと


 ――リトリィのナイフの切れ味をわが身で体験した、あの夜。

 あの痛み、あの広がる紅。

 リトリィの涙、胸を突いたあの愛おしさ。


 今でもよみがえるあの瞬間、あのとき。


 だが、それら全てが夢なのではないか。

 ――そう思ってしまうほど、俺は、好きになった女性と結ばれる未来など、日本にいたときは想像もできなかった。


 それが叶ったどころか、もう一人の女性が、俺を好いてくれているなど。

 質の悪い冗談か、それこそドッキリ番組か。

 この期に及んで、そんなことを疑ってしまう自分のヘタレっぷりが情けない。


 大きく深呼吸する。


「マイセル。――俺は、リトリィが好きだ」

「はい。先ほども伺いました」

「君のことは可愛い後輩で、見守りたいとは思ってきたが、正直に言う。女性として好意的に見てきたわけじゃない」

「はい。分かってます」


 彼女の顔に浮かぶ笑顔が、やや固くなる。当然だろう、俺も、嫌なことを言った――言ってしまったと思っているのだから。


「……君は、それで、満足なのか?」


 まともに彼女の顔を見ることができない。うつむき加減のまま、彼女の顔を、上目遣いで見る。


「はい。だって、ムラタさんは、それでも私のことを、綺麗で、可愛いって、言ってくださいましたから」


 ――彼女の笑顔に、瞳に、自信の光が戻ったように見えた。


「今も、可愛い後輩で、見守りたいって言ってくれました。だったら、これから――ううん、これからも、私のことを、女の子としても可愛いって――いずれは女の子として好きって、言ってもらえるかもしれないってことですよね?」


 ぴょこんと、背筋が伸びる。空を見上げ、目を閉じ、

 そして再び、俺を見て微笑んだ。


「だったら、今は、それで充分です」


 ……確認する必要など、あるはずがなかった。

 彼女は両親を説き伏せたうえで、いま、この場に臨んでいるのだ。

 彼女の覚悟はもう、十分に分かっていたはずなのに、それでもなおヘタレている俺がいるだけなのだ。


「――分かった」


 膝に手を置き、立ち上がる。

 一歩、前に出た。

 マイセルは、真っ直ぐ俺を見つめる。


 ――どこまでも、真っ直ぐな少女だ。


「こんな場所で――ムードもへったくれもない場所で、こんな時に、こんなことを言うのもなんだけど……」


 もう一歩。

 彼女の顔が、胸に埋まる。


「ムラタさん――?」


 そっと、彼女の背中に腕を回した。

 かすかに震えた肩を、両手で、しっかりと抱きしめる。


「マイセル。君の人生、預からせてもらえるかい?」


 マイセルの肩が、震えはじめる。

 おずおずと、彼女の腕が伸びてきて、そして、ためらいがちに、俺の腰に回された。

 彼女の背を抱く腕に、もう少しだけ、力をこめる。


「――で、だから、いいんですよ? リトリィさんには悪いですけど……」


 マイセルは、嗚咽交じりに笑ってみせた。


上棟じょうとう式……一家の、はじまりの式じゃないですか……。

 嬉しい……うれしいです。こんな素敵な日に、大好きな人に、私、わたし……!」

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