第169話:ムラタの棟上げっ!(6/9)

「……まあ、だから当分の間――何年かかるかは知らないが、その間、マイセルちゃんはマレットさんのもとで修行だな」


 さすがに、に転がり込む、などという選択肢を、彼氏の一つも持ったことがないような女の子が選ぶとは思えない。当たり前のことだ。


 ……我ながら意地悪だったと思う。だが、多分なんとなくは察しているだろう。俺とリトリィの関係をもう一度ちゃんと匂わせておけば、うちに転がり込んでくるという選択はないはずだ。彼女はまず、マレットさんのもとで大工修行をするのが正しい。


「だから、いずれ俺が事務所を構えたら、従業員として来てくれれば――」

「参ります!」


 言いかけた俺のほうをすごい勢いで見上げると、胸元で両の拳をぐっと握り、やたら力強い返答。


 その勢いに、こちらも知らず知らず気圧されてしまう。――まあ、やる気があるのはいいことだ。

 それに、リトリィも言っていたし、俺も理解はしているが、マレットさんの後ろ盾を持つ彼女が俺の事務所に来てくれたら、かなりの戦力(コネクション含む)になるのは間違いないのだから。


「お、おう……、その時にまた来てくれれば――」

「参ります! 今日からでもいいですか!」

「うんそうだな、今日からか、今日から来てくれるか――」


 そのまま、またいずれよろしく、と返事をしようとして、


「――はあッ!?」


 こちらが目を剥いた。


「今日!?」


 我ながら素っ頓狂な声を上げてしまい、周りから視線を集めてしまったことに気づく。


 ひきつった笑いを浮かべながらぐるりと視線を巡らせ、次いで深呼吸をし、改めて声のトーンを落として尋ねる。


「……今日から、うちに来るってこと……?」


「はい! 帰ったらすぐ荷物をまとめます! えっと、お宿はどこですか!?」


 突然の謎の行動力とその意志。


「ま、待て待て。さっきの俺の話、聞いていたのか? その意味を理解しているか?」

「はい、聞きました! ムラタさんとリトリィさん、お二人は一緒のお宿で、一緒のお部屋に泊まってるんですよね?」


 ものすごく、真剣な目で答える。

 いやそれはそうなんだが、問題はその意味だ。本当に理解してるのか、この子。


「……ええとだな。部屋の中を仕切ったりもしていないぞ? ……同じベッドで寝ているんだぞ?」

「はい! 結婚されるのでしたら、当然ですよね?」

「……結婚する、そこまで分かってるなら、当然、いずれはって、理解してる?」

「もちろんです! ベッドで一緒に寝るんですよね? ――あ、私もご一緒したら、私もムラタさんのことが好きだし、赤ちゃんができるんでしょうか?」


 思わず腰が浮く。

 過程をすっ飛ばしていきなり「赤ちゃん」か!

 頭を抱えそうになりながら座り直す。


「……子供のでき方って、知ってる?」

「はい! お母さんは、好き合ってる男の人と一緒のベッドに寝ると、神様が下さるって」


 やっぱりの意味を理解していなかった! マレットさん、こんな箱入り娘を放置していてはいけない、せめてもう少し、世間知というものをですね……!


 ――とはいっても、この世界では十五で成人、ということは十五で結婚する奴らも多いということだ。

 まさか結婚した二人ともが、ベッドで丸太のごとく転がっていれば子供ができる、などと信じているとは思えない。そんな脳みそお花畑カップルばかりだったら、人類は一代で滅ぶ。


 昔のヨーロッパの貴族の結婚時には、新婚の二人をサポートするための介添え役が、初夜のベッドの隣に控えていて、やり方を指導していたなんて話を何かで読んだことがある。この世界ではどうなんだろうか。


 まあ、仮にあったとしても、庶民だとそんな介添え役なんてものはないだろう。とすると、成人の儀を済ませた男性は、その夜に先輩や年長の悪友たちによって花街に連れて行かれて、フル体験コースをおごられる、とかありそうだ。


 実際のところはどうなんだろうか。こういう民俗学的フィールドワークは、けっこう興味が湧く。

 ――などと色々横にそれていく思考を抱えていると、なんだか、ものすごくきらきらした目で見上げてくるマイセルと引き比べて、自分がものすごく汚れた存在に思えてくる。


 ――いや、俺は汚れてなんかいないよ!

 リトリィは綺麗だし、いい匂いがするし、ふかふかで柔らかくて――もとい! とにかく彼女は天使で、そんな彼女と結ばれた俺はとっても幸せ者です!


 ……うん、だからこそリトリィを大切にのだ、俺は。


 だとすれば、俺は、マイセルとは厳格な一線を引くべきなのは当然だし、いずれリトリィと結婚するのだから、正式な婚約を結んでもいない間柄のうちから、こんな二股をかけるような状況を作っては――


『ムラタさんは、わたしをずっと愛してくださる人だと信じています。だからわたしは、受け入れます。それが、きっとあなたのためになるから』


 ――ああ、リトリィ。君は本当に、天使だ。

 あれほどまでに俺に執着していながら、それでも、マイセルを受け入れることを俺に進言した。

 それが俺にとって利益となりうるなら、甘んじて受け入れるというリトリィのスタンス。俺がもし彼女の立場なら、どうだろうか。


 夫の寵愛が減るかもしれない。

 もしかすると、夫はもう一人の妻に夢中になってしまうかもしれない。

 そうしたら、もう一人の女性に愛も立場も奪われるかもしれない。


 ――リスクが少しでもあるなら、到底受け入れられない気がする。


 もちろん、俺がリトリィを愛し続けることを前提にしているからこそ、彼女はマイセルを受け入れる、などと言えるのだろう。しかし、無邪気に「永遠の愛」などというものを信じられるほど、俺はもう、純粋ではない。


 リトリィだって、王都のストリートで、幼少期からのはけ口として生きてきた過去を持っているのだ。

 口では愛を語りながら、その実態――オトコという生き物の身勝手さを、彼女はそれなりに経験してきているはずなのだ。


 それでも彼女は、俺の愛の永続を信じてくれている。俺にはまぶしすぎる想いで。

 リトリィは、マイセルを第二夫人として受け入れる覚悟を、すでに示したのだ。おそらく、俺を独占したいという思いを抑えて、俺の仕事上の利益を優先して。


 ――もしかしたら、ペリシャさんやナリクァンさんに、何か言われたのか?


 そう思ったが、即座に思考を否定する。

 あのとき――リトリィが、街に来ていないと知ったのペリシャさんの剣幕を考えれば、リトリィに第二夫人の許しを勧めるはずがない。ナリクァンさんも同じだろう。


 つまり、あの二人がリトリィに対して、仮に何か助言したとすれば、それは間違いなく、「マイセルを第二夫人と認めるな」ではなかったろうか。

 だとすれば、リトリィが昨夜言っていたことは、彼女自身が、考えに考えた末の結論のはずだ。


『だからわたしは、受け入れます』


 マイセルはいい子だ。社会的な性役割ジェンダーにとらわれずに自分の願いを持ち、その願いに向かって頑張ろうとしている。

 だからといって我を押し通すわけでもない。あくまでも、自分の納得できる生き方がしたいのだろう。


 そして、そんな彼女の思いに理解を示した――俺に対するマイセルの想いを、俺は理解できている。彼女が俺のことを好いてくれていることも、共に生きたいと願ってくれていることも。


 昨夜、確かにリトリィはマイセルを受け入れる覚悟を示した。

 だが、あれほどまでに俺の愛を渇望しているリトリィの、その背景を考えると、マイセルを受け入れるのは、ためらわれるのだ。

 少なくとも、まだ。


 俺の視野が狭かったばかりに、辛い思いをさせたひと月の間、リトリィはずっと、俺への愛を捨てずにいてくれた。

 俺のことなど見捨てたってよかったのに、俺のためを思って、俺のための最良のナイフを考え、こしらえてくれたりもした。


 健気に、一途に俺を想い続けてくれた彼女のことを思えば、簡単にマイセルを受け入れるような気にはなれないのである。


 ただ、マイセル自身は子供のでき方、というか作り方を知らないということが発覚した今、きれいなまま従業員として雇い、いずれ巣立たせるという道もある気がする。親の立場で彼女を受け入れ、ひな鳥が巣立つまでの寝床を提供する、みたいな。


 ――ああ、そうすると、リトリィと二人きりになる時間をわざわざ作らないと、子供を作ることもままならなくなるわけか。

 ……とっとと独立させるように働きかけなきゃならないわけだな。


 やっぱり自宅で修行してもらって、将来は従業員として働いてもらう、というパターンがいい。

 第一、俺という人間は、リトリィ一人であっても泣かせてばかりなのだ。二人も抱えたら、ろくでもないことになるに決まっている。

 ……そんな甘い考えを提案しようとした時だった。


「私、昨夜、お父さんとも相談したんです。それで、決めたんです」

「な、なにを?」

「リトリィさんにお話しして、許してもらえたら、ムラタさんのもとに身を寄せることです」

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