第164話:ムラタの棟上げっ!(1/9)
「――というわけだ、娘をよろしく頼む」
「いえ、ですから、俺は二人の女性をいっぺんに養うような器でもなければ、度量もありませんから」
「じゃあ、そういう器になれるように努力すればいい。女の二人や三人、笑って養う度量がなけりゃ、人を雇って働かせるなんてことはできねえぞ」
俺は、マレットさんの追及を受けていた。
そりゃあもう、満面の笑顔のマレットさんに。
「いえ、事務所の経営と個人的な家庭を築くのでは、訳が――」
「人間の資質を見抜いて、関係の調整をする。おんなじじゃねえか」
「いえ、ですから――」
「ヒヨッコどもの前で堂々と女の髪をくしゃくしゃにしたり撫でたりした上に抱きしめて、もう少しで唇を奪うところだった。人様の娘を大勢の前で辱めておいて、今さら娘などいらん、などと寝言を言う気はねえよな?」
キスをしてラズベリーのドライフルーツを食べさせられた、というところは見られていなかったらしい。
だが、髪をくしゃくしゃと乱したこととか、抱きしめていたところとかは見られていたというわけか。
――いや、辱めるとか唇を奪うとか、誤解だ! 特に後者! むしろ俺が奪われた方だろ、あれは!
「いや、あの、確かに髪を撫ではしましたが、辱めるとか唇を奪うとか、そんな――」
「ね・え・よ・な?」
顔面がくっつきそうなくらいに迫りながら、笑顔で凄むマレットさん。
「……ええと、まずは従業員として」
「よしまずはそこで手を打とうか。いずれは引き取ってもらうからな?」
「いえあの……」
「
「だ、だからその……」
「俺の聞き違いか?」
「……まずは従業員として――」
「よし分かったまずはそこで手を打つ。マイセルにはよ~く言い聞かせておくから、あとは頼んだぞ?」
マレットさんから解放され、マイセルの方を見ると、マイセルはヒヨッコたちに取り囲まれて、あれこれ質問攻めになっていた。
本当にキスをするつもりだったのかとか、やっぱり現場監督から先に迫ったのかとか、現場監督の嫁になるのかとか。
それに対してマイセルは、笑顔であいまいに答えている。待て、せめて事実と違うところは明確に否定してくれ。
救いを求めてマレットさんを見ると、彼は「貸し一つな?」とにやりと笑い、鶴の一声でヒヨッコたちを整列させる。
最後まで質問をしていた少年の頭にげんこつを振り下ろして並ばせると、小屋組みの説明を始めた。
皆と一緒に整列し、マレットさんの話をうなずきながら聞いているマイセルの顔は、目の腫れぼったさこそ残ってはいるが、表情は晴れやかだ。もう迷いも何も、なさそうに見える。
いつのまにか、空を覆っていた雲は西の方に追いやられ、広がった青空からは、さわやかな朝の日差しが降り注いでいる。
――まったく、今日の作業もはかどってしまいそうだ。
俺だけだ、心の中の整理がつかないのは。
いよいよ
プラットフォーム・フレーミング工法は床から順に組み上げて最後は屋根、という順番だから、在来工法のような感慨はやや薄い。
けれど、いよいよ屋根をかけるのだ。家全体のシルエットが、これで確定するのである。
これに胸躍らぬ者などいるものか。
今回の小屋づくりで選んだ屋根は、日本でもおなじみの「
これはこの世界でも標準のようだが、道路に面するのが、「妻」側 (への字屋根の家のうち、屋根の三角がみられる、矢印の断面のような側)の家ばかりなのが実に欧州的だ。
「質問は?」
「はい! どうしてこの建物は『
「いい質問だ、ヴァルナス」
見習いの中でも、あれこれ真っ先にやりたがる意欲は買っているぞ。
「たしかに、この街に立ち並ぶほぼすべての家屋が「妻入り」の構造になっている。街路に面するのが「妻」側の家ばかりだから、当然と言えば当然だな。
この建物が「平入り」にしたのが不思議に感じられるのは、もっともだ」
「平入り」とは、三角の軒ではなく、水平の軒が見える壁の面だ。「妻入り」が正方形と二等辺三角形の積み木を重ねた形だとすれば、平入りとは、壁と屋根、それぞれ四角形の積み木を重ねた形となる、と言ったら伝わるだろうか。
街の家々がほとんど「妻入り」構造なのは、ある意味当然である。
「妻」側は、壁が広く窓が作りやすい。だから、家の密集する市街地では、街路面を「妻」にすれば、より多くの部屋に光を取り入れることができて合理的なのだ。
もちろん、家同士が離れている田舎ならばその制約はないから、施主の好きにすればいい。
「――しかし、「妻入り」では『
しかし、顔を見合わせるだけで、だれも答えられない。
彼らにとっては「妻入り」が当たり前なのであり、そこに問題点を見出すという発想が出てこないようだった。
「今回、この建物は、ナリクァン夫人らが炊き出しなどに使う建物になる。つまり、入口付近に人が並ぶわけだ。そうすると……」
「はい! 他と違って目立つので、集まりやすいです!」
「勢いがあって大変よろしいマイセル。しかしそれは問題点か?」
笑いが起きる。
恥ずかしそうに頬を染めるが、しかしわずかに視線を下げただけで、また真っ直ぐこちらをみつめてくる。
さっきのことは、もうすっかり吹っ切れているようだ。小首をかしげるように微笑むのが可愛らしい。
……なぜか背筋がぞわりとくる。なんだろう、この、丸腰で肉食獣に対峙したみたいな感覚。
というか、『妻』とか『妻入り』とか、なんでこう、こんな時に。
建築用語だから使わざるを得ないのだが、なんでよりによって、さっきのアレのあとに俺は、こう、自分の胸をえぐるような用語を使わねばならないのだろう。
「……そうだな。雨の日を想像してみよう。『妻入り』の問題点は何だ?」
「……軒の位置が高いので、雨が降り込みやすい……?」
さすがバーザルト、このメンバーの中では経験が長いだけのことはある。
「そうだな。正解だ。軒が高いということは、日除けや雨除けになりにくいということだ。配給を待つ人々にとっても、配給を配る人にとっても、『妻入り』の構造は不便になることがある」
俺の言葉に、なるほどとうなずく者たちが多いなか、「それなら、『
なんというナイスアシスト。ハマー、ひょっとして俺のことが好きになったか?
「ありがとう。今のはいい意見だ。その通り、『庇』を付ければ日差しや雨をしのぐことができるようになる。だが、家というものは構造が複雑になるほど、水の侵入との戦いになる」
特によく雨漏りする場所は、屋根が直角に交わることでできる「谷」部分や「壁との接合」部分、屋根の稜線である「
要は、形が複雑になればなるほど、格好はよくなるかもしれないが、水が浸入しやすくなるのだ。
実は、台風で瓦が吹き飛んだ、吹き飛ばされてきたものが当たった、屋根の上で歩き回った、などの問題で瓦がずれたりしない限り、屋根そのもので雨漏りが起こることは、それほど多くないのだ。
ちなみに俺が一番薦めないのは、
陸屋根は平らなように見えるが、実は平らなのではない。もしそうだと、雨が降ったら四方全部に水が垂れ流されて壁を濡らし、壁を傷める原因となる。
だから陸屋根の上部は、縁をすこし高くしたパラペットという構造によって、プールのようになっているのだ。
つまり、雨が降るたびに、屋根の上に水が溜まるのだ。
斜面にしておけばさっさと流れて行ってくれるのに、わざわざ溜めるものだから排水口も作らなければならない。そしてそこは、ごみやコケ、生えてくる草などによって破損しやすい。そして雨漏りになるわけだ。
瓦屋根なら、災害にでも遭わなければ三十年はメンテナンスフリーなのに、陸屋根など十年から十五年で防水加工の点検・貼り直しだ。
日本で一般的になった、安価な屋根材である化粧スレートも、耐用年数は十五年ほどだが、そちらは塗装し直すだけで済む。
それに対して、陸屋根は様々な防水工事が必要になる。当然、費用も高くなるわけだ。
だから日本の木造住宅で陸屋根、というのは、高額のメンテナンスを短期間に繰り返さねばならない、マゾ仕様といっていい。
家が四角い箱状になるシルエットにオシャレを感じるのか、近年、陸屋根も増えてきているが、将来的にメンテナンスコストがかかり過ぎることを考えれば、俺には選べない。
だから俺は、自分の顧客がやりたいと言っても反対する。太陽光パネルを取り付けたいなら、切妻屋根で十分だ。
おっと、話がずれた。ヒヨッコたちが答えを待っている。
「――だから、ハマーの案……庇をつけるということは壁に接合部分を追加するということだ。それはつまり、何を意味するか、分かる者は? ……グラニット!」
「はい! 接合部を増やすということは、雨水が侵入しやすくなり、建物が傷みやすくなります!」
返答にマレットさんが、満足気にうなずく。どうも彼は、マレットさんのお気に入りのようだ。
ハマーのアシストのおかげで、流れるようにシンプル構造のメリットを説明できた。一見嫌味な意見に見えて、実は全員の理解を深めるのに役立ったハマーの一言。うん、いいやつだ。後で一杯、奢ってやろう。
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