第158話:親の情けは勝りしも

「ですから、、マイセルと出会えていたら、あるいは――」


 マレットさんの顔がわずかに歪む。『もう少し早く』の言葉から、みなまで言わずとも、マレットさんも察したようだ。


「ですが、俺は……、彼女と――リトリィと歩む未来を、すでに選んでいます」

「……そう、か」


 静かにそう言って、マレットさんは肩を落とした。


「あんたなら、あいつをもらってくれる――そう思っていたんだが」

「……申し訳ありません」

「いや、いい。考えてみれば、もともとあんたはリトリィさんと一緒にこの街に来た。現場でも、今思えばあんたの世話をよく焼いていた。

 そこに割り込んで勝手に踊っていたのは、ウチの娘の方だ」


 すみません、としか、言いようがない。

 俺自身、彼女を好ましいと思っていた。

 人間として――否、女性としての魅力を見出していた。

 ただ、自分がモテるはずがない、そう考えて、思考を捻じ曲げていただけだ。


「……あいつがな、さっき、リトリィさんをじっと見つめていた時、俺はもう、何も声をかけてやれなかったよ」

「……すみません」


 ぴくりと、マレットさんの肩が震える。


「……すみません、じゃねえよ。あんたはマイセルの夢を嗤ったり馬鹿にしたりしなかった。それどころか、その背中を押してやってくれた。あんたのそういうところに、あいつは惹かれたんだろう。

 ――謝られる筋じゃねえ、謝らないでくれ」


 マレットさんは震える声でそう言うが、しかし、その俺の言葉と態度が、マイセルを悲しませることにつながるのだとしたら。


「いえ、もっと早く、俺がマイセルさんに、ちゃんと気持ちを伝えて――」


 最後まで、言えなかった。

 胸ぐらをつかみ上げられ、爪先立ちにさせられる。

 小さな悲鳴、リトリィの駆け寄る音。

 目だけ動かして、リトリィを牽制する。


 これは、俺と、マレットさんの、大切な話なのだ。

 身をすくませ、でもこちらに駆け寄ろうとするリトリィに、わずかに首を振ってみせる。


「――すみませんなんて、言うんじゃねえよ……ムラタさんよ……!」


 マレットさんの、震える声。


「すみませんじゃねえ、謝るってことはやましいって思いがあるってことだろうが……。あんたはリトリィ嬢に、申し開きのできねえことをしていたってことか!」

「……それは、ない……」


 掴み上げられ、揺さぶられたときに、どこか切れたのだろうか。口の中に、錆の味が広がってくる。

 だが、それを腹立たしく思う気持ちは、湧いてこなかった。


「だったら謝るんじゃねえ……自分が決めたことに責任を持て! 簡単に謝るな、己が正しかったと全力で言え……それが、『守る』ってことだろうが!」


 そのまま俺を突き飛ばすマレットさん。無様に尻餅をつく俺に、指を突き付ける。


「あいつは……マイセルは、本当にあんたを好いている。もしかしたら、あいつのただの勘違いだったのかもしれねえが、それでも、自分の夢を否定せず受け止めてくれたあんたを、本当に好いているんだ。

 ――あいつが、胸を張って、あのひとが自分の好いていた人だと、誇れる男であってくれよ。情けねえ姿を、見せるんじゃねえよ……!」


 そんな、都合よく、俺は振る舞えない。

 情けないかもしれないが――

 

「……あんたがあいつに何を語ったか、詳しくは知らん。ただ、あいつは、あんたと逢うたびに、自分への自信を深めていったように見えた。あんたがあいつに自信をつけたんだ」


 怒り――ではない。

 憎悪――でもない。

 マレットさんの目は、その歪んだ口元と合わせて、あくまでも――

 あくまでも、俺にすがるような、そんな雰囲気を感じさせている。


「そのあんたがこんなしょぼくれてちゃ、あいつはいったい、これからどうすりゃいい? 立て、あんたはその腕で、リトリィ嬢を守るんだろう!」


 マレットさんは、そう言って俺の胸ぐらをつかみ、再び俺を立ち上がらせた。


「――恋が破れるのは、よくある話だ。想いが届かないなど、どこででも、いくらでもある、ありふれた話だ。

 ……だが、たとえ敗れ、破れるにしても、いい思い出にしてやってくれ。頼む、子離れのできてない、情けない親の欲目だが――」


 何も言えない俺に、マレットさんは手を離す。

 リトリィがそっと俺に寄り添うのを見て、マレットさんは大きなため息を一つつき、そして、力なく笑った。


「……悪かった。あんたが誠実であろうとしていたのは、俺も、頭では理解できているんだ。あいつには、俺からは何も言わない。ただ、あんたの口からけじめをつけてやってほしい」


 けじめ。

 マイセルへの、けじめ。


「ああ。それとな、これは俺の職人としての意地をかけて、あいつには、この仕事を最後までやらせきるつもりだ。個人的な感情で仕事を途中で放り出すなど、職人の風上にも置けんからな。中途退場は絶対にさせん。

 あんたも、そういう意味では最後まで付き合ってやってくれ。もちろん、今までと同じで、手加減なんぞいらん」


 ――それは、逆に厳しいな。

 苦笑すると、マレットさんはにやりと笑い、その丸太のような腕でヘッドロックをかけてきた。


「それくらいの仕返しは、覚悟してもらわにゃ困る」


 仕返しって、俺はぶん殴られた上にさらに――

 苦笑しつつも反論しかけた俺に、マレットさんは一瞬、真顔になった。


「……ムラタさんよ。俺には、嫁さんが二人いることは知っているな?」

 ――ハマーの母親であるネイジェルさんと、マイセルの母親であるクラムさんか。もちろんだ。

「……もし、だ。もし仮にマイセルのことを――」



「――――?」


 ふと、リトリィがあらぬ方を向く。


「……どうした?」

「――いえ。あちらの角の向こうで、足音がしたと、思ったものですから」


 さすが犬属人ドーグリング。耳のよさは種族特性か。


 ただ、リトリィが気まずそうにマレットさんを見上げるのは、なぜなのだろう。

 マレットさんはマレットさんで、言うべき言葉を出しそびれたような顔をしていたが、やがてため息をつくと、「……なんでもない、また今度にしよう」と、腕をほどいた。


「ムラタさんよ。――明日も、よろしく頼む」


 そう言って右手を挙げたマレットさんに、俺も手を挙げて応える。


「……ええ、明日もいい仕事をしましょう」


 大工で鍛えられた彼の握力は相当なもので、手を重ねてきたマレットさんの万力のごとく締め付けられた、俺の情けない悲鳴が響き渡る。

 だがまあ、これも父親の特権という奴だろう。

 甘んじて、悲鳴を上げ続けることになった。




 宿に戻ると、主人が目を丸くしていた。


「……どっかのお貴族様かと思ったぞ」


 俺も主人に向かって、ニヤリとしてみせる。


「俺も最初、誰か分からなかった」


 実際、この格好のリトリィを連れて宿に戻るまで、周りの視線がなかなかに厳しいものがあった。

 いや、決してリトリィが軽蔑的な目で見られていたわけではない。

 獣人だといっても、この服装だ。

 好奇の目にさらされていたとはいっても、悪意は感じられなかったと言っていい。


 問題は俺の方だ。

 どう見ても作業着の俺の隣に、貴族と見まごうばかりのドレスを身にまとった女性。


 つばの広い帽子と日傘が、リトリィが獣人であることをうまく覆い隠してしまうせいだろう。こんな女性に腕を組ませている俺は一体何者だ、そういう奇異の目で見られ続けたというわけだ。特に門を越えて城内街に入ったら顕著になった。


 あからさまに俺をさして、扇子の影で何かを言っている貴婦人なんかは何度も見た。

 なるほど、こりゃ居心地が悪い。逆に言えば、リトリィはこういう視線に耐えてきたというわけか。


「しかし、たまげたな。えらいべっぴんさんを連れて、あんたも鼻が高いだろう」

「べっぴんすぎて釣り合わなくて、道中、さんざん肩身の狭い思いをしてきたよ」


 俺の軽口に、リトリィが頬を染めて縮こまる。

 ああ、本当に可愛らしい。


「で、どうするんだ。湯は、すぐに使うか?」


 まだ外は明るい方だったが、リトリィも、旅の疲れを癒したいことだろう。湯浴みの湯を注文しておくことにする。


「ああ、よろしく頼む」

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