第157話:未来は選び取るものなれば

 現場に戻ると、おおよその作業は終わっていた。

 天井根太ねだはすべて美しく直角平行にそろい、統一された美しさを醸し出している。さすがはマレットさん。使える手足はヒヨッコでも、それを指揮する能力の高さでカバーしているというわけか。


「おうムラタさん! ナリクァン夫人の方は、話が付いた……の、か」


 俺を見つけて上機嫌に話しかけてきたマレットさんだったが、隣で歩いてきたリトリィに目をやって、口ごもる。


「――そちらのご婦人は?」


 ……日傘と、つばの広い帽子のせいで、獣人だということがよくつかめていなかったらしい。


「リトリィです」


 俺の言葉に、リトリィが日傘を下ろし、帽子を脱ぐ。


「あ……ああ、リトリィさんか。誰かと思ったよ、そんなドレスを着たべっぴんさん」


 リトリィは、はにかみながら微笑むと、そっと膝を落として礼をした。

 そんなリトリィの姿に、マレットさんが複雑そうな笑顔を返す。


「……ええと。ナリクァン夫人の準備の方は、問題ありません。今日の作業は、もう終わりでしょうか?」


 なんとなくいたたまれない気持ちになり、場の雰囲気を破るつもりで聞いてみた。変な緊張感からか、自分でも口早だったように感じられた。


「あ、ああ、今日のところは、もう終わりだ。今は後片づけをしているところだ」

「ありがとうございます。では、明日はいよいよ小屋組み (屋根の骨組みを組むこと)ですね」

「……そう、だな」

「明日もよろしくお願いいたします」

「……ああ」


 片付けの最中、マイセルは俺やリトリィの方を、何度も見つめていたようだった。

 何度か話しかけようとしたが、しかし彼女の方からくぐり抜けられるようにして、どうにも話しかけることができなかった。


 片付けもすべて終わり、全員を集めて明日の作業についての話を終えたマレットさんは、ヒヨッコたちを先に解散させ、そして俺を呼んだ。


「今、連中に話したように、明日中にほぼ小屋組みを完成させて、明後日の朝、上棟じょうとう式を迎えるつもりだ」

「はい。そのときには、よろしくお願いします」

「そこは任せとけ。ナリクァン夫人の顔に泥を塗るような真似はしねえ。ただな……」


 そう言って胸を張る。だが やや離れたところで待っている彼女を、ちらと見る。


「――リトリィのお嬢さん……ひょっとして、あんたの、だったのか?」


 ……やっぱり、そうなるよな。


「どうなんだ?」


 ペリシャさんと、そして瀧井さんとの話で、俺は、気づいていなかった――否、気づくことを拒否していた、マイセルの想いに、気づいてしまっていた。


 だが、俺にはリトリィがいる。

 この世界で生きていくことをきめた、最大の理由。

 何よりも、誰よりも愛する女性。


 この場を逃れるためにあいまいな返事をしてごまかすことは、簡単だ。

 だが、それでこの先、信用が得られるのか。


 ……そんなわけがない。すぐにリトリィとの仲は公のものになる。そのとき、誤魔化されたと悟ったマレットさん、そして何よりマイセルの気持ちはどうなるのか。


 その時は違った、そのあとで縁ができた――そうやって誤魔化せないことはないだろう。だがそれでは、マイセルとの仲を深めつつリトリィに手を出したことになる。真実は逆だが。


 では、正直に言えば、マレットさんは納得するのか。


 確かに俺は、マイセルのことを「可愛い後輩」くらいには考えていたし、「女の子」としての魅力も見出してはいた。

 しかし、交際相手としては見ていなかった。

 マイセルが「誰か」に想いを寄せている、それも理解していたが、その相手は俺ではない、と考えてもいた。


 なぜなら、十六歳の女の子が二十七歳のおっさんに好意を寄せるなど、俺には考えられなかったからだ。


 だが、それが普通じゃないか?

 あの年頃の女の子が年上に憧れる、という現象は、たしかに、一定数あるのかもしれない。だが、それだって一、二年上の「先輩」か「大学生」くらいまでだろう?


 教師との恋愛、なんていうのも、フィクションだからウケるんであって、現実にはそんなおっさん趣味の女子高生など稀だろう。まして十歳も離れたおっさん相手など、「キモイウザイ死ね」以外の言葉を頂戴いただけるなど信じられない。統計を取ったわけじゃないが。


 だから俺は、瀧井さんに指摘されるまで、マイセルが俺に好意を寄せる可能性というものを、まるで信じていなかったのだ。

 たとえマイセルの仕草に彼女の恋心を見出しても、その相手の候補に俺が入る可能性など微塵も考えなかったのも、それが理由だ。


 しかし、そういった俺の思考を、マレットさんは納得してくれるのだろうか。

 ――マレットさんにしては、珍しい目をしている。厳しい、のではない。怒り……でもない。

 すがるような、目。


 マイセルの嫁ぎ先に悩み、彼女のためにと大工仕事をあきらめさせようとしていたマレットさん。

 その娘さんが、自分を理解してくれる人が現れたと言った。そしてその相手は、同じ建築関係の人間。


 娘を任せる、と聞いたとき、俺は仕事上の面倒を見るという意味で理解しようとしていたが、素直に考えれば、つまり俺との交際を許した、ということなのだろう。

 マイセルがハマーに向かって言った「他人じゃない」は、つまり彼女は意味で言っていたのだろう。


 そして俺も無自覚だったが、あおるようなことを言ってしまっていたように思う。

 ――いや、彼女たちが寄せた期待に、無自覚に応えてしまっていたのだろう。

 ここで誤魔化して、さらに期待を持たせてしまうようなことがあったら。


「……ムラタさん、あんたは――」


 言いかけて、マレットさんはその後を、飲み込むようにした。

 彼自身、分かってしまっているのだろう。

 俺が、どんな答えを出してしまうのか。


 苦しい。

 答えは……答えはもう、分かり切っている。

 苦しいのは、単に、見たくないからだ。


 俺の選択によって、切り捨てられた可能性のほうを見るのが。

 俺の選択によって、苦しむことになる人を見るのが。


 答えは決まっているのに、

 その結果を予想し、

 しかしその有様を見たくないから、

 それを先送りにできればと悩んでいるから、

 だから苦しい、ただそれだけなのだ。


 ――結局、自分が可愛いだけなのだ。

 そんな卑劣な俺を、リトリィは、肯定してくれるだろうか。


「マレットさん――」


 言わなければならない。

 マイセルのことを、大切に思うならば。


 まっすぐ、マレットさんの目を見返す。

 動揺が見られる、その目を。


 言いづらい。

 言いたくない。

 知らない顔をして、やり過ごしたい。


 ――でも、

 それで、俺自身を誤魔化して、マレットさんを誤魔化して、マイセルを誤魔化して、そして――リトリィを誤魔化して。


 その先に、何が待つのか。




「――俺は」


 マレットさんの目が、見開かれる。

 答えたくない。

 ああ、俺は今、期待を、希望を、打ち砕こうとしているのだ。


「俺は、マイセルのことを――その夢の実現を、応援したいと思っています。それは本当です。心から、そう考えています」


 マレットさんが、息を呑むのを見届けてから、続ける。


「マイセルの夢は、いわゆる『普通の女の子』とは違うかもしれません。けれど、俺と――俺達と同じ、建築を通して人を幸せにしたい、という願いが込められています。俺は、そんなマイセルを応援したい」


 そう。

 ただ惰性で、親の言われるままにその道を進もうとする、というだけなら、俺はここまで惹かれなかっただろう。


『それならですね、お聞きください、ムラタさん』


 あの時の、反骨精神。


『ムラタさんは――ムラタさんも、女の子が大工仕事をするって、変だって、思いますか?』


 彼女は、父の背中を見て育ち、憧れを持ち、そして生業なりわいにしたいと考えた女性だ。

 女性の大工は、日本でも多くない。けれど、


「家は城、つまり一家の主たる男性の所有物でしょうが、その城を取り仕切るのは、結局は女性です。女性の目が家づくりに加わるのは、我々の業界全体にとっても、利益のあることでしょう。

 彼女個人の思いを応援したい思いもありますが、彼女が我々の仲間の一員になることで、我々の――ひいては、この街の利益になるという確信も抱いています。だからこそ、応援したいのです」


 一語一語を、力を込めて、伝える。


「だったら……」

「ですから、、マイセルと出会えていたら、あるいは――」

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