第155話:それは甘い出会いではなくて
「それにしても、今日はどうしてここに?」
俺も疑問に思ったことを、ナリクァンさんが聞く。
「はい。この街に着いてから、以前泊まっていたお宿に行ったんですけど、ムラタさんがいらっしゃらなくて。
それで、きっと現場にいらっしゃるんだろうなって思って行ってみたら、いらっしゃらなくて。
こちらにと伺ったものですから、向かおうとしたらタキイ夫人に会いまして。
……それで、沐浴をいただいて、このドレスもいただいてしまって――」
……ああ、俺を探してぐるぐる回っているうちに、ペリシャさんに捕まったのか。
それにしても、借りたじゃなくて、「いただいた」とは。ドレスを。こんな高そうなものを。
瀧井さん夫妻って、あんな古い集合住宅に住んでるけど、実はかなりのお金持ちだったのだろうか。
「ここまでは歩いてきたの?」
「ええと……タキイ夫人のおうちから、夫人に呼んでいただけた馬車で……」
「そう、それはよかった。そんな可愛らしい
そう言って笑う。
ナリクァンさん、本当にリトリィのことを
「ところで、鍛冶のおつとめは終わったのかしら?」
「はい。おかげさまで」
「そう、偉いわね。どこぞの宿無しと違って」
ちらりと俺を見るナリクァンさん。宿無しって、そりゃないだろう。
「じゃあ、納得いくものができたのかしら?」
「はい。……ムラタさんのお手に馴染むかは、これから調整してみないと分からないのですけれど」
「そう……。ああ、ムラタさん。そこのモミの枝、リースに使えそうな程度に、適当に切っていただいて構いませんことよ?」
突然話を振られ、仰天する。
「え、あ、いやその……こんな整えられた庭木を、ですか?」
「あら、何か問題があって?」
――大ありだ!
おそらく庭師が丹精込めて育て、
「あ、あの。私はその、庭木を整えるセンスがございませんので、形が崩れたらと思いまして……」
「あら。大丈夫よ、そのくらい。うちの庭師があとで整えますから」
「い、いえ、それこそ庭師さんが、リース作りに最適な枝を選ぶべきでしょう。なにか切っても問題ないもの……ええと、
ナリクァンさんはため息をつくと、庭師を呼び、薪を取りに行かせる。
リトリィはその間に、腕にかけていた手提げバッグから、
木製の薄い板のような鞘から突き出した、木の柄。
飴色に輝く柄は、樫の木から削り出したものだろうか。
よくある、単なる棒ではない。明らかに、ナイフの柄のように、持ち主の握り方を意識した作りになっている。
「あの……ムラタさんのご注文では、二種類の歯、ということだったのですが、お話に聞いた、横引き用の歯であれば、そのまま縦引きにも使えるだろうと親方様がおっしゃって……」
リトリィは、テーブルに横たえらえたそれを、鞘から三分の一ほど引き抜いてみせた。
冬の、うららかな陽光をギラリと反射する
アイネお得意の
「……これは、鉄をハンマーで打って作った――んだよな?」
「それをさらに
鍛造した鉄を、さらに圧延? 圧延だけすればよかったんじゃないのか?
俺の素朴な疑問に、リトリィははにかむように笑った。
「親方様にも同じことを言われて笑われちゃったんですけど……やっぱり、鉄は、打ちたくて」
――なるほど。骨の髄まで
思わず苦笑する。
鈍い輝きを放つ、片刃の黒い
だがこれは、リトリィが、俺のために作ってくれた逸品のはず。
ごくりと唾を飲み込み、そっと手に取り、柄を握りしめる。
「……ほ、ほんとにいいのか?」
「どうして確認するのですか?」
「い、いや……」
男たるもの、女性を前に臆するわけにはいかない。鍛えられ、磨き抜かれた
――というより、美しく滑らかな鋸身に施された黒い防錆加工のおかげで、なんというか、厨二ゴコロをくすぐられる漆黒の刀身を連想させる。
……ダークオーラをまとった邪剣、みたいな。
「でしたら、お好きになさってください。――あなたの、ものですから」
ふわりと微笑むリトリィに、胸が高鳴る。ぴこぴこと動く耳は、つまり自信の表れだろう。俺に、手に取ってほしくて仕方がないようだ。
「ほ、本当に、俺のものになるのか?」
「ええ。……どうして、お疑いになるのですか?」
「い、いや、疑ってなんかいないさ、君を疑うなんて、そんな――」
……疑ってなどいない。疑ってなどいないが、まさかこんな――いろいろと
ナリクァンさんが、さっさと手に取りなさい、とばかりに横目を冷たくスライドさせる。つまり、さっさと気の利いた感想を言ってやれ、ということなのだろう。
改めて、黒光りするソレを見下ろし、握る手に力を籠める。
「……あ」
リトリィの口から洩れた声に、俺は何かやらかしたかと、硬直する。
「あ、な、なんかダメだった……?」
「あの――ソレは私にとっても初めてなので、その……まずは、やさしく、あつかってくださいね……?」
頬を染めて、うつむき気味のリトリィ。
「や、やさし……」
「上手にできてるか、自信……ないので」
どこまで謙虚なんだろう。この出来栄えで、なお自信がないと言う。
――なぜこんなにも、彼女は愛らしいのだろう!
もう、だめだ! 我慢なんてしていられない!
その黒光りする
アーサー王が岩から剣を引き抜いたとき、こんな気持ちだったのだろうか。
『俺の手のためにあつらえられた』、そんな言葉がぴったりの、吸い付くような滑らかな肌触り。
リトリィが作ってくれたナイフと同じ、俺の手に――あるべきところにあるように収まる、それくらいぴったりと、俺の手に合わせられている。
これでは片刃でも仕方がない。この手、この向きにぴったりと合うように作られた柄は、反対向きに使うことを想定されていないはずだ。要求した仕様と違っていても、これはこれで納得できる。
そんな俺に合わせるように、庭師さんが何本も薪を持ってくる。
俺は礼を言うと、さっそくテラスから下りて、試し切りをすることにした。
「あ……そんな、急に――」
リトリィが立ち上がるが、俺は一気に鋸を引く。
ざり――薪の木の皮が、勢いよく削れてゆく。軽く引いたつもりなのに、すごい切れ味だ。
「大丈夫! 上手にできてるよ!」
互い違いに、微妙に角度をつけられた刃に、その丹念な仕事ぶりを見る。
マレットさんには悪いが、今朝まで現場で使っていた押し鋸とは雲泥の差だ。刃が食い込んで動かなくなるようなこともない。
――作ったのが初めてだなんて思えない、いくらでも切れる。いい仕事っぷりだ。
今朝までの不自由な思いから、やっと解放される。殊勲賞ものの働きに、おもわず彼女に向けてガッツポーズ。リトリィの方は恥ずかし気にうつむいてしまうが、ドレスの後ろがばふばふと揺れているので、多分ドレスの中の尻尾は相当に荒ぶっているのだろう。
しばらく薪を輪切りにしていると、リトリィもテラスから下りてきた。
「あの、それで――」
「ああ、もうこれでやっと使いにくい押し鋸とお別れできる! 親方にはお礼をいくら言っても言い足りないよ! ありがとう!」
本当に、礼を言い足りない。親父殿は俺のため――いや、リトリィのために、きっとさまざまに骨を折ってくださったはずだ。会えなかったこのしばらくの間に、持てる知識と技術を、徹底的に注ぎ込んだに違いない。
リトリィの、来たるべき独り立ちの日のために。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます