第154話:あなたに逢いたくて

「ペリシャさんから、少し、を聞いたのだけれど」


 ――――ッ!!

 思わず立ち上がりそうになり、テーブルに腿を打ち付ける。

 しかしテーブル――たぶん大理石製――はびくともせず、俺はそのまま椅子に崩れ落ち、一人でももを押さえて悶絶することに。


「なにを、驚いていらっしゃるのかしら?」

「い――いえ、その……」

「その態度……私が、何を申し上げたいか、お分かりになられている、ということかしら?」


 あれだ、あの話だ……間違いない。

 腿を抱えて悶絶する俺を、感情のない目で見降ろしながら、ナリクァン夫人は続けた。


「わたしはね、あの子を気に入っているのですよ。教養はあまりないようですが、あの子の生まれや育ちを考えれば、あれで十分です。むしろ、あの子の立ち居振る舞いから、お育てになられたジルンディール夫人のお人柄が偲ばれますわ」


 控え目で、けれど芯の強さを感じさせるリトリィの姿を思い出す。


「控え目なのが過ぎて、少々自信なさげなところは気になるところではありますけれど。それでも、奢るよりはずっといいわね。それでいて、あなたに関しては譲らない頑固さも可愛らしいですし。ペリシャさんも気に入るわけです」


 俺に関して譲らない? リトリィ、一体ナリクァンさんに何を言ったんだ?


「――ですからね、ペリシャさんから聞いたこと、少し――気になっているのですよ?」


 ……ぜったいすこしじゃない。ぜんぜんすこしじゃない!


 背筋に冷たいものが走る。

 ナリクァンさんの顔に貼り付いた笑みが――感情をあえて面に出していない目が、ものすごく怖い……!!


「あの、マレットさんのところのお嬢さんだったかしら? 大工の娘さん――」


 ……来た!!

 俺の心臓が大きく跳ね上がった、その瞬間だった。


「奥様、お客様でございます」


 先刻、ナリクァンさんから手紙を預かっていた男が、庭の隅から姿を現した。


「――正確には、そちらのお客様に対してのお客様、となりますが」


「あら、ムラタさんにお客さんとは、どういうことかしら。マレットさんだったら、お待ちいただいて?」


 ナリクァンさんの声が、冷たく、事務的に聞こえる。

 今この時間を邪魔させるな、とでも言いたげな。


「いえ、リトラエイティル様でございます。……応接室でお待ちいただきますか?」


 ――――!?


 別の意味で心臓が跳ね上がる!

 リトリィ!? なぜここに!?


 ナリクァンさんも目を丸くし、次いで、こちらにお連れするようにと、先ほどの冷たい笑みとは打って変わって相好そうごうを崩した。




「お久しぶりです、奥様」


 ……一瞬、誰かと思った。

 胸元のやや大きく開いた、さわやかな青いドレス。

 襟ぐりや袖口からはレースのフリルがこぼれ、彼女の胸元を艶やかに彩り、指先はかろうじて見える程度。


 彼女の、こぼれそうな胸のふくらみを強調するような、細く絞られた腰回りから広がるスカートは、幾重にも重なり豊かなひだドレープを作り出し、不自然にならない程度にふんわりとしている。


 ドレスの生地自体は、艶もなく落ち着いた色合いだが、腰に幾重にも巻かれた、さらさらと揺れる細い金の鎖が、キラキラと冬の穏やかな日差しを反射し、華やかさを加えている。


 手には真っ白でつばの広い帽子と、畳まれてはいるが白いレースの日傘。腕には、やや大きめの、これまたレースをふんだんに使った上品な手提げのバッグ。


 そして、金の毛並みに覆われた顔、三角に突き出した耳。


 髪は、あのくせっけのあるふわふわした髪ではなく、しっとりと落ち着いた、ややウェーブがかったストレートとなり、すらりと胸元に降りる両サイドの横髪は、先端がやや巻き毛のようになった、どこか良家のお嬢様を想像させる品の良い感じになっている。


 やや緊張気味の、淡い、透明な青紫の瞳は、どこか潤んだ様子で、俺を見上げていた。


 そっと腰を落とすようにして礼をしたその女性は、全く見慣れぬ装いではあったけれど、まぎれもなく、見間違いようもなく、リトリィだった。


「あら、可愛らしいドレスね。この配色は、ペリシャさんによるものかしら?」


 ナリクァンさんは上機嫌で立ち上がると、扇を寄せるようにしてリトリィを招き寄せる。

 リトリィは一礼してから、ドレスの端をつまむようにして、テラスを上ってきた。


 彼女はドレスのような裾の長い服などほとんど着たことなどないはずだから、こうした作法は、おそらく、先日、ナリクァンさんにいただいた指導の賜物だろう。


「はい。タキイ夫人から……」

「よく似合ってるわ。あの子の感覚、私も好きなのよね」


 やって来たリトリィを自分の隣に招く、どこかはしゃぐようなナリクァンさんは、先ほどまでの冷たい視線を放つ同一人物とは、とても思えない。執事に対してすぐにリトリィの茶と茶菓子を用意するように言うと、隣に座らせる。


 しかし、驚いた。

 彼女は山から下りてきたはずで、だったら服装は当然旅装のはず、という思い込みがあった。

 こんな繊細なドレスを着て、山から下りてこれるはずがない。ペリシャさんが選んだ、という話のようだから、街にたどり着いたリトリィを発見したペリシャさんが拉致し、着替えさせたのだろうと想像できる。


 なんのために?


 ――などという疑問を持つだけ野暮というものだ。

 あの、世話焼きペリシャさんのことだ。

 答えは、簡単だ。


 俺に、見せつけるためだ。


 ――は、に、て、のだと。


 ――ああ、実に効果的だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る