第148話:マイセルは誰を
「あら、マレットさんのところのお嬢さん」
「あ……」
マイセルはペリシャさんの姿に気づくと、慌ててスカートをつまんで会釈をしてみせる。
「こんにちは、タキイ夫人。ご機嫌いかがですか」
礼を尽くすマイセルの様子に、ペリシャさんは満足したらしい。扇子のようなもので口元を覆い、微笑む。
「そんな、かしこまらないでいいのよ。あなたのお父様には、ずいぶんお世話になっていますから」
そう言って、こちらに目を向ける。
「ムラタさん、貴方のお連れ様って、まさか、マイセルさんのこと?」
「はい、そうですが」
……心なしか、ペリシャさんの目つきがきつくなった気がする。
ペリシャさんは俺とマイセルとを何度か見比べると、こちらに向き直った。
「……リトリィさんは、このこと、ご存知なのかしら?」
「いや、まだ合流できたわけでもありませんし……」
俺の言葉に、ペリシャさんの目が、すうっと細くなる。
「そう……そうなのですね」
そう言って、ペリシャさんは扇子をパチリと鳴らした。
「あ……あの、私たち、何か粗相を致しましたでしょうか……?」
マイセルが、不安げに聞く。
ペリシャさんの目が、一瞬、更に険しくなったあと、マイセルに向き直った。そちらには、柔和な笑顔を向けて。
「いいえ? マイセルさん、何でもないわ。少し、私が気になったことがあっただけで、貴女には何にも落ち度もないの。お買い物、楽しんでくださいね?」
そう言って、「私は、右手のレースの方が好みかしら」と、その精緻な細工を褒め、その意匠を活かすならどんな使い方をしたらよいかの助言をする。
うなずきながら聞くマイセルに、ペリシャさんは微笑ましい、といった様子だ。
そして、マイセルには笑顔で別れを告げ、
「お昼、私の家にいらっしゃい? お昼をいただきなら、お話をしましょう」
――俺には、凄みのある笑顔で、すれ違いざまに、そっとささやいたのだった。
マイセルとはその後、もうしばらく買い物に付き合った。だが、昼は人に会わなければいけないから、と、マイセルの昼食の誘いを断った。マイセルは残念そうにしていたが、また後で、と約束し、別れた。
ペリシャさんは、一人で待っていた。
「旦那様? しばらく外にいてもらっているわ。そうね、一刻ほど」
小さな、手作り感あふれるテーブルにつく。そこに、ペリシャさんがカップを並べた。ありがたくいただく。
「さて、聞きたいことなのだけれど」
ペリシャさんは、笑顔で、聞いてきた。
「どういうつもりなのしら? 貴方には、リトリィさんという、良い方がいらっしゃるのでなくて?」
――そうきたか。
「それはもちろんです」
「では、マイセルさん――あの子はなあに?」
「大工を目指している子です。助言をしたら、親しくなりまして。そうですね、かわいい後輩、といったところでしょうか」
ペリシャさんの目が、すうっと細くなる。
「後輩……?
「当たり前じゃないですか。ああ、彼女、どうも好きな男性がいるみたいですよ。年上らしいんですが、詳しくは分かりません」
「好きな人? そんな人がいながら、貴方と、お買い物?」
「はい、なんでこうなっているのか、自分もよく分からないんですが」
ペリシャさんは俺の言葉を聞いて、肩を落としつつ、もの凄まじく長いため息をついた。
「前から思っていましたけれど……貴方って、本当に、女性の気持ちが分からない人ね」
「……はあ……?」
「あの
「何が、ですか?」
「あの娘が、誰のことを、好きなのかに決まっているじゃありませんか!」
激したペリシャさんに、ああ、とうなずく。
「目星は付いていますよ。昨日現場に来ていた見習いの一人に、それっぽいやつがいましたね。バーザルトと言いましたか、なかなかの好青年に見えましたが」
俺の言葉を聞いて、ペリシャさんは右の人差し指をこめかみに当てて、うなだれた。
「シュタインさんところの跡取り息子さんね。あの子には――」
これまた長いため息のあと、こちらをキッと睨みつける。
「あの子には、ちゃんと奥さんがいます! 奥さんのお腹には赤ちゃんもいるのよ! マイセルとバーザルトは幼馴染ですし、そんなことはマイセルだって知っています!」
……じゃあマイセルは、奥さんのいる男性を好きになったということなのか?
俺の問いに、ペリシャさんはテーブルを殴りつけるような勢いで手を叩きつけて立ち上がった。
「冗談でもそんなおぞましいことを言わないで! マレットのところは、二人が親戚同士で仲がいいから上手く行っているだけです!
――貴方は、ご自身が今、何を口走っているか、自覚がないのですか!!」
その勢いに、背筋を真っ直ぐに固めたまま「すみません!!」と叫ぶが、ペリシャさんの勢いは止まらない。
「だいたい、貴方は、あれ程分かりやすく顔に出ている娘の気持ちが分からないというのですか!?」
「分かりやすく……というのは?」
「レースの端切れの件でも分かるでしょう!」
食いつかんばかりの勢いで、ペリシャさんがまくしたてる。
「ただのお買い物なら自分で決めればよいのです、わざわざ
「わざわざ、俺に……」
「あの娘は、本当は
まさか――。
うっかり漏らした俺の言葉に、ペリシャさんの声のトーンが更に上がった。
「まさかではありません! ああもう、殿方の鈍感さにはいい加減うんざりしますけれど、貴方の
……結局、ペリシャさんから昼食をいただくはずだったのが、茶の一杯で放り出されてしまった。仕方なく屋台で揚げ饅頭のようなものを買うと、とりあえず空いていたベンチに座ってほおばる。
ペリシャさんが、最後にすごい剣幕で俺を追い出したとき、彼女は目に涙を浮かべていた。
「ご自身で見たこと、聞いたことをよく思い出してお考えなさい! このままでは、二人とも可哀想だわ!」
――見たこと、聞いたことから考えろ。
マイセルとの会話。
マレットさんとの会話。
ネイジェルさんとの会話。
リトリィは、この世界のことを知らないがゆえに差別しない俺に、共に生きる可能性を見出した。
――俺は女性から好意的な目で見られることに慣れていなかったから、それを受け入れるにはずいぶん遠回りをしてしまったけれど。
マイセルは、大工に憧れるただの少女だ。女性でありながら大工を志すというのは、なかなか世の男性に認められにくい夢のようだが。
――俺が彼女の夢を肯定したのは、それが当たり前だと思うからだ。
誰だって、自分の夢を実現させたいだろう。そして日本は、実力があれば、夢を実現させることのできる社会だった。
男も女も、実力さえ発揮できれば、なんにだってなれる社会のほうがいいのだ。
そうあれかし、と思ったからこそ、マイセルの背中を押した――ただ、それだけだった。
「……マイセルが好きな人、は――」
……いや、やっぱりおかしい。
リトリィは――彼女は特例だ。もう、彼女に残された時間――「子供ができる期間」はわずか。選ぶ余地などほとんどない中で、たまたま俺がそこに現れて、たまたま彼女のお眼鏡に叶った、それだけだ。
彼女ほどの器量があれば、本来ならもっと良い人が彼女には現れただろう。そこにたまたま滑り込む幸運を得たのが俺、というだけだ。
マイセルは違う。彼女は十六、俺は二十七。彼女の人生はこれからで、昨日の宴で、同じ大工仲間として彼女に理解を示す者もいた。
十も離れたオッサンを、彼女が選ぶことなどあり得ないし、選ぶ必要も理由もない。
仮に好意を示されたとしても、それは
間違っても俺のことを、
「……しばらくぶりだな、
突然、「日本語」を聞いた。翻訳ではなく。
顔を上げると、瀧井さんが立っていた。
「……なるほど。世話焼きの
瀧井さんが苦笑する。
隣に座った瀧井さんに聞かれ、俺はさっきのペリシャさんとの会話について説明をしたのだ。
「あれは一途にわしを慕ってくれたからな。それにずっと付き合ってきたから、お前さんのようなぜいたくな悩みなど、無縁だった。
――前にも言ったろう、獣人は情が深いと」
まずいところを見られちまったもんだと、瀧井さんは笑い、そしてため息をついた。
「すまんな。実は午前中、
「瀧井さんが?」
「わしはその時、マレットのところの嬢ちゃんに気づかなくてな。あれに、お前さんがいるということを教えちまったんだ」
するとペリシャさんが気づいたのだという。俺の隣で、俺の手を握って楽しそうに歩いているマイセルの姿に。
「すまんな。それを見ちまった時、わしもやっと、お前さんと嬢ちゃんが逢引き中だってことに気づいたんだ。
まずいところを見つけちまったなあと思ったら、あれはもう、そっちにむかって歩いて行っちまっていた」
「逢引き中ってなんですか。俺、いつの間にマイセルの恋人扱いになってるんですか」
「手を繋いだり腕を組んだり――だれが見てもそうにしか見えんと思うがね」
……ということは、最初に一人かどうかを確認したあの時には、少なくとも俺とマイセルが共に行動していたことをすでに知っていた、ということか。
リトリィの姿を探していたのは、つまり俺とマイセルの仲がリトリィ公認のものなのかを確認するためだったのだろう。
……俺はリトリィ一筋のつもりなんだが。
どうしてこうなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます