第147話:気になる人(6/6)
「あ、やっと気づいた」
ハマーの冷めた声に、つまり何度も呼びかけられていたということに気づく。
見上げると、マイセルがはにかむようにこちらを見ていた。
「遅くなって申し訳ありません。ちょっと、お母さんとお話をしていて……」
頬を染めて、視線を微妙にずらしながら話す。
……お母さん?
ネイジェルさんならキッチンに、と思ったが、すぐに気づく。彼女の実の母親――クラムさんの方だろう。
「あ、あの、昨日はありがとうございました。おかげで、腕もあまり痛くありません」
「あ、……ああ、そう、それはよかった」
――意外だった。
昨日のことがあったから、顔を出せないと思ったら。
その後も、昨日と同様に、和やかに食事は進んだ。昨日のあの、思い詰めたような顔をしたことを、微塵も感じさせぬ様子で。
むしろ、昨日よりもかいがいしく世話を焼いてくれるような感じで――。
ハマーは、現場に直接歩いていった。俺とマイセルは、製材屋に牛車で向かう。
しばらくは、沈黙が続いた。道端で泣いている子供と叱っている母親の姿を見て、マイセルがくすりと笑う。
「私も、お母さんに叱られました」
「……叱られた?」
「はい。ムラタさんの誠実さを何だと思っているのって」
お母さんに叱られた、とは、どういうことだろう。しかも、俺のことで。
「……ごめん、話が見えない」
「えっと、その……。昨日、私、実はショックだったんです。それで、お母さんにお話しして……」
……待ってそれつまり俺をセクハラ野郎案件で訴えるってことだよね?
ということは、さっきの朝食の笑顔は何だったんだ。シャバで食う最後の飯は美味いかとか、そういうことか?
支離滅裂な思考の俺に気付いていないように、マイセルは微笑んだ。
「そしたら、お母さんに叱られちゃって」
「叱られた?」
「ムラタさんが、私のことを大切に思ってくださってる証拠なのに、それが分からないのって。それで私、自分のわがままが恥ずかしくなって……。
朝も、どんな顔をして会えばいいか分からなくて、それで、お母さんに、朝もまたお話を聞いてもらって……」
――まあ、マイセルのことは、たしかに大切にしたいと思っている。女性ながら、同じ建築業を志す後輩として。
「だから、今朝はお客様のムラタさんをキッチンでお出迎えできなくて、ごめんなさい」
そう言って、ぺこりと頭を下げる。
「い、いや、そんなことは気にしなくていいんだ、そんなことは……」
「それで、あの……午前中は、この一回だけで、また午後に取りに行くんですよね?」
そのつもりだ、と答えると、マイセルはぱっと顔をほころばせた。
「じゃ、じゃあ、あの……昨日、うやむやになっていたお話、いいですか?」
「
「はい! あ、いえ、あの……お手すきだったら、でいいんですけど……。」
昨日の話か。
……まあ、しばらくは時間もあるし、昨夜の詫びのつもりで、ちょっとなら付き合ってもいいか。
「いいですよ、お嬢様。お供致しましょう」
少し大げさに、大きく右手を振りかぶって深々と礼をしてみせる。
「何の仕草ですか、それ」
マイセルが、ころころと笑った。
資材を小屋の敷地に下ろし終えると、マイセルに牛車を返しに行かせて、俺はハマーと共に、資材をきちんと整えながら積み上げていく。乱雑に積み上げておくと、何かの拍子に崩れる恐れがあるからだ。
もしそうなったら資材も痛むが、近くを通りかかった人を傷付けでもしたら、シャレにならない。丁寧に、角を揃えて積み上げる。
しばらく黙々と作業をしていたが、一段落ついたところで、気になっている人物のことについて聞いてみた。
「……なんですか?」
ぶっきらぼうな返事だが、拒否しているわけではない。
「君は、現場でお父さんの仕事を手伝っているんだよな?」
「……そうですが?」
「バーザルト、ってやつを知っているか?」
俺の言葉に、ハマーは意外そうな顔をし、ついで、小馬鹿にするような目で答えた。
「幼馴染ですからね、知ってますよ。当然じゃないですか」
「……ということは、マイセルちゃんも、バーザルトのことを知っている、ということか?」
「……なんだ、ムラタさん。バーザルトにヤキモチですか?」
大の大人がみっともないですね、と言わんばかりの、尊大な目で俺を見つめる。
「いや、どういう関係なのか、知りたくてさ」
「やっぱりヤキモチじゃないですか。みっともないと思わないんですか?」
どうにも、ハマーは俺が二人の仲に嫉妬していると思いたいらしい。
「……なぜ、ヤキモチだと思うんだ?」
「だって、アンタ、マイセルと――」
ハマーが言いかけたときだった。
「ムラタさん、お待たせしました!」
マイセルが息を弾ませて戻ってきた。明るいクリーム色のドレスに着換え、温かそうな毛糸のショールを羽織っている。手には、布の塊を持っていた。
「――おい、僕に言うことは無いのかよ?」
「あ、お兄ちゃん、ありがとう。ムラタさん、これ、着てください!」
「おいっ!」
形式的な礼でスルーされたハマーが不満げな声を上げるが、マイセルは無視して、いそいそと俺にコートを着せる。
俺の方は作業着のままだから、彼女の服装に釣り合わないと思ったのだが――
「父のものですから、体に合わなかったらごめんなさい」
確かに多少大きくはあったが、マイセルの隣に立つ男として、まあ見すぼらしくはなくなるだろう。彼女の恥にならなければ、それでいい。
「ハマーくん。資材の整理、助かった。さすがに手際が良くて感心したよ。ありがとう」
「……アンタは頼りないからな。ほっといたら、日が暮れちまうから、仕方ないだろ」
素直じゃないが、まあ、働いてくれたことには感謝だ。大きな銅貨を五枚、握らせる。
「……え?」
「また、よろしくな」
「……こ、小遣い程度で偉そうにするなよ!」
ハマーは、少し震える声で銅貨を握りしめる。
「か、返せっつっても返さねえからな!」
そう言い捨てて、彼は走っていった。
曲がった角の向こうから、歓喜の叫び声が聞こえてくる。まあ、それなりに満足できる額だったようだ。
振り返ると、マイセルが目を丸くしていた。
「一刻ほどの仕事で、大銅貨五枚も、ですか……?」
「ちょっと多かったかな?」
俺の質問に、彼女はぶんぶんと首を降る。
「すごく、多いです!」
「どこか、行く店は決まっているのか?」
「いいえ? せっかくのお休みなんだから、ムラタさんとご一緒できるなら、どこだっていいです。ムラタさんは、行きたいお店とか、ありますか?」
……ん?
市に行きたいと言ったのはマイセルだ。普通、買い物をするなら、目的の店があるべきじゃないか?
「……その、なんだ。工具か何か、買いに行くんじゃないのか?」
「ムラタさんは、欲しい工具があるんですか?」
「いや、そういうわけじゃないが……」
「ふふっ、へんなムラタさん」
……いや、変なのはマイセルだろう?
マイセルは何が楽しいのか、市をあっちへこっちへ、いろいろな店を冷やかしながら歩く。
「ムラタさん、これ、どうですか? 可愛くないですか?」
などと、時々店の品を手に取っては俺に見せ、反応をうかがい、そしてまた戻す。
しばらく歩いていると、マイセルが足を止めた。また冷やかしかと思ったら、きらきらした目で見上げてくる。
「あれ、食べませんか?」
見ると、クレープのようなものが売っている。
やはり女の子だ、甘いものには目がないのだろう。思わずクスリと笑ってしまい、マイセルが口を尖らす。
客の様子を見ていると、値段は小さな銅貨数枚程度のようだ。大きな銅貨を渡すと、ジャラジャラと小さな銅貨が返って来た。
なるほど、大きな銅貨は、結構価値の高い貨幣らしい。カネの価値がよく分からないから適当にやってしまったが、ハマーにくれてやった大銅貨五枚は、たしかにちょっとやり過ぎだったかもしれない。
一枚で百円玉くらいかと思っていたが、五百円玉くらいの価値はあるのだろうか。
薄く焼いた生地に、ほんのり甘いメープルシロップのようなものをかけて、それをくるくると巻いただけのシンプルなものだったが、食べてみると、意外に美味しかった。
二人で並んで歩きながら、クレープを頬張る。マイセルは何が楽しいのか、時々くるくると回ってみせたりしながら、また戻って来る、といったようなことを繰り返している。
なんとも微笑ましい。
マイセルが、レースの端切れを扱う露店の前で、様々な端切れを見比べながら唸っているのを、やや離れたところから見守っていたときだった。
「あら、ムラタさん。ご機嫌いかが?」
声のした方に目を向けると、そこには猫の顔をしたご婦人――ペリシャさんがいた。
「ああ、こんにちは。ペリシャさんも、お変わりなく」
「そうね、そちらもお変わりなく」
そう言って目を細める。
「いま、お一人?」
「いえ、連れの買い物を待っているところで」
「あら。女の買い物に付き合う、殿方にとっては退屈な時間、ということなのかしら?」
「いえ、見ているだけでも楽しめていますよ」
「そう……できた旦那様ね、うちの人とは大違いだわ」
そう言って笑うと、辺りを見回した。なるほど、瀧井さんは買い物にすぐ飽きるタイプの人のようだ。
俺も、今はいろいろなことが新鮮だからこうして飽きもせずに付き合っていられるが、そのうち俺も瀧井さんのようになるのかもしれない。
できればいつまでも、連れ合いと一緒の時間を楽しめる人間でありたいものだと思う。
「それで、リトリィさんはどちらに? いつ戻っていらしたの? 姿が見えないのだけれど」
「いえ、まだこちらには来ていないようですよ」
俺の言葉に、ペリシャさんは眉をひそめる。
「……じゃあ、貴方は、誰の買い物にお付き合いしているのかしら?」
「ああ、それは――」
言いかけたときだった。
「ムラタさん、これ、どっちのほうが可愛いですか?」
マイセルが、二つのレースの端切れを持ってきたのだった。
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