第137話:家族(1/2)
「ムラタさんよ、どうせ宿に戻っても一人なんだろう? ウチに来ねえか?」
宴が解散したあと、マレットさんがやってきた。
「あんたはきっと明日、今後の工法について話をしてくれるんだろうけどな。棟梁としては、ほかの連中と一緒に雁首揃えてふんふん言ってちゃ、格好がつかねえだろう? あらかじめ、今後の工程を聞いておきたくてな。
――朝飯もつけるから、泊まって行けよ」
そういえばその通りだ。いくら合理的で簡略化された工法だとはいえ、やはり何か質問があったとき、今日のように全部俺が対応していては、作業に遅れが出るかもしれない。
お互いに分かっていて当たり前、という環境にいたから、ついその前提で行動してしまう。今朝も説明するとき、いろいろ抜けていた。
例えば床板を下で支える
床根太と
床根太に直角に
例えば、床板を支えるための根太を東西に渡したとする。すると、東と西、それぞれの端に配置されるのが側根太で、南北の端で床根太の端を釘で受け止める板が、端根太である。
日本の現場では当たり前の用語だが、それがまず通じなかった。用語は通じたが、どうも細かなニュアンスが違ったようだ。
まあ、ここは日本とは違うのだから仕方がない。翻訳首輪のおかげで、建築用語が通じるだけでもありがたいと思わなくちゃな。
だから、今後の手順について、棟梁であるマレットさんに知っておいてもらえると、いろいろと苦労が減ってよさそうだ。
「私の方は大助かりですが、ご迷惑をおかけしませんか?」
「迷惑どころの話じゃねえよ。俺が頼んでるんだ」
マレットさんが肩をばしばし叩きながら笑う。なんか被るなあ、フラフィーあたりに。この世界の職人というやつは、こういう人種なのだろうか。
木村設計事務所が提携している大工さんたちは、はっちゃけた人たちもいたが、さすがにばしばし叩いてくる人は――
……ああ、いたよ。どこにでもいるものだな。
宿代の方は……まあ、仕方ないか。あの角部屋を維持しておくのは至上命題だからな。
マレットさん宅にお邪魔すると、ネイジェルさんとマイセルが迎えに出てきた。
ところがマイセルの方は、俺を見るなり悲鳴を上げ、髪を押さえて奥に引っ込んでしまった。
「……年頃の娘さんのいるお宅に、こんな夜中にお邪魔するのはやはりまずかったですかね?」
居たたまれない思いでネイジェルさんのほうを伺うと、夫人は「大丈夫ですよ。……あの子も女を意識しだした、ということかしらね?」と、ころころと笑った。
奥の方から、かすかに泣き声のようなものが聞こえてくるような気がする。
あれがマイセルの声だったらどうしよう、と思ったが、しかしマイセルの声ではないような気もする。春の夜の猫の声のような声。隣の家からだろうか。
……しかし、あの反応はいくらなんでも寂しい。結局、昼間に打ち解けたように見えても、女として、夜中に会うのは身の危険を感じたということなのだろうか?
まあ、十六の娘さんからしてみたら、二十七歳のおっさんなんて、所詮そんなものなのかだろう。
笑いながらそう言うと、ネイジェルさんは目を丸くし――そして、微笑んだ。
「まさか。あの子がムラタさんを怖がるなんて。そんなこと、ありえませんわ」
つまり、女性が身の危険を覚えるようなことをしでかす、そんな度胸のあるオトコには見えない、ということか。
それはそれでどうなんだろう。要は、人畜無害な絶食系男子、と見られたということだからな。
じゃあ、なんでマイセルは悲鳴を上げて逃げたんだ?
……分からん、あの年頃の女の子というのはリアルタイムでも分からなかった。今も分からない。
マレットさんが飲み相手をそのまま家に連れてくることは比較的よくあることらしく、慣れた様子でネイジェルさんが部屋を整えてくれた。
そこでマレットさんと一緒に、図面を見ながら工法について説明をしていたときだった。
ドアをノックされ、ネイジェルさんかと思って返事をすると、入ってきたのはマイセルだった。
ポットとカップ、そしていくつかの焼き菓子をトレイに載せている。
「あ、あの……。よろしかったら、召し上がってください」
先ほど着ていた服はおそらく夜着だったはずだったが、今着ているのは、昼に着ていたものとはまた違っていた。
落ち着いたダークグリーンのロングドレス。白いレースが見える袖口がアクセントになっている。
……どう見ても、寝間着には見えない。
髪も、綺麗に結い上げられている。さっきは普通に下ろしていたはずなのだが。
わざわざ、この差し入れのためだけに着替えたのか。実に申し訳ない思いになる。
急いで立ち上がり、彼女のトレイを受け取ろうとすると、彼女は驚いた様子で後ずさった。
――しまった、また怖がらせてしまった!
ただでさえこんな夜更けに訪問して警戒させているのだ、これ以上怖がらせてどうするんだ、俺。
「……ああ、ありがとう。その辺に置いておいてくれれば、あとは勝手にやるから」
席に戻って咳ばらいをすると、暗にすぐ戻るように言い、マレットさんのほうに向きなおる。
マレットさんは俺とマイセルを見比べるようにすると、眉をひそめた。
「ムラタさん、ウチの娘がなにか、粗相をしたか?」
「……は?」
粗相? マイセルが?
いや、俺が怖がらせただけで、彼女に落ち度はないんだが。もしそう思わせたなら申し訳ない、マイセルに。
「いえ、何も問題はありませんよ。むしろ私のほうが怖がらせたみたいで。申し訳ありません」
そう言って、マイセルにも頭を下げておく。
「それならいいんだが……いや、なぜ給仕を断るようなことを言うのかと思ってな」
「……え?」
「いや、今、『その辺に置いておけ』と言っただろう?」
言われて、そういえばそうだったと気づく。
「いや、ですがこんな夜中に給仕をさせるのは……」
「……ムラタさん、アンタは俺の客だ。客は客らしく、堂々と構えていてくれ。娘も困っている」
言われてマイセルを見ると、やたら悲しそうな目でこちらを見ていた。
――え?
「せっかく給仕に来たのに、『その辺に置いてとっとと出ていけ』は、さすがに可哀想だ。給仕させてやってくれないか」
……ああ! そうか、そういうことか!
彼女は仕事をしに来たのだ、接客という仕事を。
それを取り上げてしまうということになるのか!
せっかく服を着替えて髪も整えてきたというのに、それは確かに悲しくもなるだろう。我ながら、先の自分の言葉の無神経さに腹が立ってくる。
彼女のことを思いやったようでいて、その実、全然彼女の立場を思いやっていなかった。前にリトリィに泣かれた時の、そのままじゃないか。
「……じゃあ、お願いできるかな?」
その途端、マイセルの顔がぱっと輝いた。
マイセルがポットから茶を注ぎ、トレイだけを持って退室したあと、その一連の動きを眺めていたマレットさんがつぶやいた。
「昨日も聞いたばかりだが……アレのこと、どう思う?」
「アレ……とは?」
アレが指すものが何か思いつかず、間抜けな質問をしてしまう。返答してから気づいた、マイセルのことだ。
マレットさんの眉間にしわが寄る。
「あ、いえいえ、分かります! いい子ですよね!」
「いい子は当たり前だ、ウチの娘だ、いい子でないわけがない」
マレットさんがふんと大きく鼻息を鳴らす。娘は自慢の種らしい。
「大工仕事に興味を持って、女の子らしいことにあまり興味を持たないことだけが悩みの種だったんだが……。
ムラタさん、アンタのおかげだ。今日は久しぶりにドレス姿を見ることができた」
……いや、マレットさんに誘われたとはいえ、こんな時間に突然訪問して、給仕を強要してしまったような感じだ。俺としては大変心苦しい。
ただこの一回のためだけに、わざわざ着替えて、わざわざ髪を結い上げてきたのだ。また着替えて髪を解くその手間を考えたら、本当に申し訳ない。ネイジェルさんにも、だ。
「……なんでそんなことを気にするんだ? あの子がそうしたいと思ったんだ、あの子なりの、アンタに対する誠意だぞ?」
「いえ、だってあとはもう、寝るばかりだったんでしょう? わざわざ着替えさせて、髪まで結わせて……」
「いや、髪はたぶん、アレの母親とネイジェルとが一緒にやったに決まっている。アレが髪を結うのを見たのなんて、成人の儀以来だからな」
なるほど。マイセルが自分で結ったわけじゃないのか。と言っても母親に結い上げてもらったのだから、ネイジェルさんの手間も――
……『
「あ、あの……
「そのままだが」
マレットさんは当たり前だという顔をしているが、そのまま、の意味が分からないから聞いたんだが。
「……アレ、とは、マイセルさんのことですよね?」
「もちろんだ」
「アレの母親とは、マイセルさんの母親、ですよね?」
「当然だ」
「じゃあ、
「クラムに決まってるだろう」
「――クラム?」
……あれ? マイセルとハマーは、マレットさんの子供じゃないのか?
「当たり前だ。両方とも俺の子供だ」
実に明快に答えてくれた。
「ええと、じゃあ、ハマー君の母親は?」
「ネイジェルだ」
「では、マイセルさんの母親は?」
「だからクラムだと言っているだろう」
「――あの、クラムとは、どなたですか?」
怪訝そうな顔をしたマレットさんだったが、「……ああ! アンタに紹介してなかったな!」と手を打ち、そして頭をかいた。
「クラムはマイセルの母親で、俺の
「……はあ!?」
あんまりな言葉に目が点になる。
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