第135話:「ムラタ」(1/2)

 マイセルはあの後、何度も何度も謝って、結局さっきの話はうやむやになってしまった。彼女はそれ以上、さっきの話の続きをしようとはしなかったし、俺もあえて蒸し返そうとは思わなかったからだ。


 それでいいと思う。なぜ彼女が俺をお供にして市場に行こうとしたのかは分からなかったが、別に知る必要もない。うやむやになって正解だ。ネイジェルさんと一緒に行くか、なんとかぜひともがんばって、好きな人を誘って行ってほしいところだ。




 明日使う材の運搬が終わったときには、床面はほぼ完成していた。あとは、材の長さの問題で、微調整が必要な隙間が残る――そんな程度になっていた。俺の意向を聞くために、残しておいたようだ。

 やはり十人がかり、人海戦術というのは単純だが威力がある。 日が沈むまでに床を完成させることができそうで良かった。


 皆、俺がほこりにまみれ、あちこち牛の蹄の痕をつけている俺を見て、驚くとともに大いに笑いやがった。今日は牛の機嫌が悪かったんですねえ、と。

 まあいいさ。とりあえず大きな事故にもならなかった。こうやって笑い話にできるくらいに。


 マイセルはすっかり落ち込んでいたが、それでも涙は拭いて、なんとか取り繕うことには成功したようだった。マレットさんはさすがに娘の異変には気づいたようだったが、とりあえずそっとしておくことにしたらしい。一言二言、声をかけただけだった。




「……あんな細い材ばかりなのに、意外と丈夫なもんだな」


 マレットさんが、どんどんと、出来上がったばかりの床を足で踏み鳴らす。


 今回、本来の工法なら「根太ねだ受け金物かなもの」によって床根太を固定すべきところだが、それはこの世界には無い。金属のプレス加工技術も大したことないだろうから、作るのも容易ではないだろう。


 もちろん職人に任せれば作れないことはないだろうが、それでは一つ一つ手作業になるし、当然大量生産など望むべくもない。そうするとコストも跳ね上がる。


 よって、今回はすべてはし根太側から釘を打つのと、床根太側から端根太に向かって斜め下に釘を打つことで固定することにした。釘の消費量がすさまじいが、ほぞを噛み合わせるよりもよほど早い。


 今回の場合、根太受け金物がないことを見越して、やや幅広に作った基礎と土台によって床根太を受け止める方式を取ったから、床面からの負荷については問題無いようにしてある。


 本来なら、垂直にずらりと並ぶ根太と根太の間に発泡ウレタンなどの断熱材を敷き詰め、その上に構造用合板こうぞうようごうはんをすき間なく打ち付けていくのが、断熱を基本とした今の日本の家造りの流行りだ。


 だが、そもそも発泡ウレタン樹脂もグラスウールもロックウールもないこの世界で、そんな断熱空間は期待できない。どうせ集会所程度の使用頻度なのだから、そのへんは割り切って、素早く建てることをメインにしている。


 何はともあれ、床が完成してしまえば次は壁だ。壁が立つ場所以外は床が張られ、部屋のカタチが見える。

 日が落ち、皆が片付けや掃除をしている中、正方形の白木の舞台が、暗くなってゆく街の中で、くっきりと浮かび上がって見える。


 ――ああ、これだ!

 ここで、いずれ人々がこの建物を利用し、そして人生を作ってゆくのだ。

 俺が設計し、建てたものが、その人々の人生の舞台装置として機能してゆく。

 まだ床しかないこの真四角の舞台だが、ここを利用する人たちの姿が目に浮かぶ。


 これだ。

 これが、建築士の醍醐味!

 俺が街を作る――俺が、歴史を作る!




「乾杯!」


 マレットさんの合図で、全員でジョッキを持ち上げてみせる。

 ここでジョッキをがっちんとぶつけ合いたいところだが、この世界では大変なマナー違反らしいので、それは我慢する。以前、俺の――日本の流儀に合わせてくれたリトリィが、本当に天使のようだ。


 マイセルは、宴会の準備だけを手伝っただけで、乾杯を見届けたら帰るつもりだったようだ。一緒に食べて行けばいいのに、と思うが、まあ、何かしら家の仕事でもあるのだろう。

 帰る間際、そっとこちらに寄ってきた彼女は、頬を赤らめた。


「今日は――ありがとうございました。私、ムラタさんがあんなにかっこいい人だって知ることができて、とっても嬉しかったです」


 かっこいい? 指をトンカチで殴りまくって釘を何十本もダメにした挙句に牛にぼろ雑巾にされた男が?

 言いたくないが、絶対に糞を踏んづけたひづめで踏まれてるよ俺。だって臭うもんな、俺。


 だが、俺がなにかを言う前に、マイセルは頬を染めながらも、まっすぐ俺を見て続けた。


「お父さんにも、自信をもってお話しできそうです。ムラタさんはちゃんと体を張ってくれる人だって。

 ――私、大工仕事だけじゃなくて、ムラタさんが教えてくれた通り、おしゃれも、話題も、お母さんから勉強します。ムラタさんにふさわしい人になれるように、がんばりますから」


 ……何を話すというのだろう?

 いや、確かにマレットさんは、今回の工法には少々の疑問を抱いていたようだったが、それでも今日、それなりに有用性を確認してくれたはずだ。いまさら工法について説明する必要はない。俺が今回の事業を進めるのにふさわしい……かどうかはともかく、納得してもらえているはずなのだが。


 しかしその疑問を思いついたときには、彼女は周りに笑顔を振りまきながら退出してしまっていた。

 まあ、彼女が俺の仕事を応援してくれるのはありがたいことだ。最後の言葉も、俺の依頼を受けることができるような、一人前の大工になってみせるという決意だろう。頼もしい。




「ムラタさんよ、本当にほぞで組まなくていいのか?」


 宴が始まって早速、隣の白髪白髭のじいさん――ツェーダといったか――が絡んできた。釘だけで接合していく方法に、最後まで文句を言い続けた男だ。


「わしはよ、大工たるもの、技がすべてだと思っとるんだ。それがなんだ、釘の一本で全部済ませていきやがる。あんなもん、大工でなくても出来ちまわぁ」


 実際、その通りだ。もともとはバルーンフレーミング工法。素人でもキットがあれば家を作れてしまう、そのための工法なのだから。

 だがそんなことを言えば、こういう職人気質の男はへそを曲げてしまうだろう。


「たしかに、ほとんどを釘だけでなんとかしてしまう工法ですから、簡単なように思えるかもしれませんね。

 ですがそれは、ツェーダさんが豊富な経験と、確かな技術をお持ちだからです。実に頼もしい! これからもご協力、よろしくお願いしますね」


 こういう時は褒めておくに限る。プライドをくすぐられて、不快になるやつはそういない。

 狙い通り、ツェーダじいさんは不愉快そうな表情は隠さなかったものの、目元が多少緩んだように思う。


「……あんな仕事、寝ながらでもできちまわあ。もっと難しい仕事を回せ。わしの腕に叶うような、よお。いくらでも片付けてやる」


 ……じつにチョロかった。じいさん、なんか可愛いぞ。


 実際、日本でも宮大工をはじめとした、いわゆる古い職人たちは、釘や金物、板に強度を頼るこの工法になじめない人もいると聞く。

 まあ、考え方の違いだ。彼らが間違っているわけでも、工法が間違っているわけでもない。費やすコストと時間とを天秤にかけ、どちらがベターかを選択する。それも人間の知恵だ。


「それにしてもムラタさん。ペラペラな棒や板ばっかりで、柱が見当たらないんだが? 柱はどこにあるんだ?」


 こちらの、もう赤ら顔になっている無精ひげの若い男は――キーファといったか。無精ひげを剃れば、もうすこしいい感じの男に見えると思うんだが。


一×三寸イチサンの材のことを言うなら、あれが柱です」

「嘘だろう!? あんな細い棒が、柱だって!?」


 やっぱりその反応だな。


「そうです。ただ、あの棒をそのまま立てるわけじゃないですよ?」

「……脅かさないでくれよ。やっぱりあれか、四本から六本ぐらい、束ねて使うんだろ?」


 マイセルと同じ反応だった。もう少し頭を使えよキーファ。


根太ねだに渡した細い床材、あれに、根太に合わせてたくさん釘を打ちましたよね? あれと同じようにするだけで、が出来上がるんですよ」

「……つまり、あの細い棒をまとめて使うってことじゃないのか? じゃあ、柱は結局、どうするんだ? どうやったら、アレがになるんだ?」


 やはり、軸組工法から離れられないか。レンガ積みも、壁面で支えるモノコック構造といえばそうなのだから、そこから類推すれば理解できそうなものなんだが。


 まあいいさ。明日になれば、その丈夫さの理由が分かる。


「明日、現場で工法を確認しますから、その時にご説明しますよ。意外な丈夫さを知ってください」

「なんだよ、いま教えてくれたっていいじゃないか」

「やってもらえば分かりますから」


 先日、この街に帰ってきたときに、この酒場で酒盛りをしていた彼らに、工法の説明をしようとした俺の愚かさを改めて思い知る。

 とにかく、今は飯と酒だ。これらを前にしておあずけなど、やってられるか。


 皿に盛られた肉炒めをスプーンで山盛りに掬ってパンに挟むと、それにかぶりつく。

 甘辛いタレに少々ピリッと来る、不思議なハーブくささが癖になりそうな味だ。ベーコンのような角切り肉で作った生姜焼きのようなもの、と言ったら通じるだろうか。やや濃い味つけが、一仕事を終えた舌にしみ入る。うまい。

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