第123話:「変わった人」「変な人」
「……ムラタさんは、変わった考え方を、お持ちなんですね?」
……また「変な人」扱いに戻ってしまった。
俺の考え方は、まだこの世界では受け入れられないということなんだろうか。不満を持っているはずの、彼女でさえも。
「――そんなことはないだろう? 好きな人に活躍してもらいたい、その思いは誰だって一緒だと思うが。マイセルもそうだろう?」
「すっ――好きな人!?」
「ああ。好きになった人が、自分の思うままに世のために働ける。こんな素晴らしいことはないと思うが」
「そ、それはそうですけど! でも、でもでも、そんな、好きって――!?」
なぜかわたわたと慌て始めるマイセル。
あれだろうか。実は好きな人はもういるんだろうか。
こちらでは十五歳で成人扱いだが、日本では彼女はまだ高校生にあたる年齢――恋多き季節だ。好きな人の一人や二人、当然いるだろう。
灰色の青春時代だった俺とは大違いだ。少し前の俺なら、顔に笑顔を貼り付けたまま、リア充爆発しろとか、ごくナチュラルに思っていたかもしれない。
だが、今の俺には、不思議とそんな妬む心が沸き起こらない。俺にリトリィがいるように、と、不思議な余裕すらある。
俺を想ってくれる人がいる、それだけで、もう羨ましさ、妬ましさから解放されている自分を自覚する。
頬を染めてなにやら慌てふためいている彼女を見ていると、素直に、その恋を応援したくなる。見ていて微笑ましい。
――だが。
『
……ごく自然に、『ですけど』か……。
マイセルのようないい子をして、それでも『ですけど』扱いなんだなあ。
いや、きっと意図的な差別をする意味合いなんじゃなくて、「自分たちとは違う存在」であることを惜しむ程度の意味なんだろうけれど。
ああ、いやいや。ナリクァン夫人のような人もいる。すべての人が差別的というわけじゃない。
マレットさんを始めとした大工のおっさんたちや兄ちゃんたちだって、初めはリトリィに対してあまり良い印象じゃなかったのが、彼女と触れ合うことで、彼女の信者に変貌した。
「未知」のことに対しては、誰もが「既知」の伝手の情報に頼ろうとするものだ。そしてその
ならば、「未知」を正しい「既知」に上書きしてしまえばいい。
マイセルだって、リトリィに対して、べつに悪感情を抱いているわけじゃあるまい。むしろ、同じ女性でありながら職人の道を進むリトリィに対する、憧れの感情を確認している。
単に、獣人は自分たちとは違う存在、という意識が、「ですけど」という、何気ない言葉で現れているだけだろう。
リトリィがここに戻ってきて、また一緒に作業を始めれば、彼女に対する偏見も、一層失われてゆくはずだ。
「……そういえば、もうすぐ昼時だぞ? 昼食の準備に帰らなくていいのか?」
影が自分の真下に近いところにあるのに気づいて、マイセルに声をかける。
「え……? えっ!? も、もうそんな時間ですか!?」
ああ、やっぱりそうか、気づいていなかったようだ。
いい娘なんだろうけど、ちょっと、周りが見えていないことがあるのかもしれない。
……今気づいた俺が言えることじゃないけどな。
「今日も朝から、いろいろ世話になったね。ありがとう」
「い、いえ、私こそ、その……!」
マイセルがあたふたしながら、立ったり座ったり、妙な動きをする。
こちらが座っているためだろう、結局また、座り直してしまった。まあいい、こちらが聞きたいこともある。
「……あと、マレットさんが話をするのに指定した『山犬軒』なんだけど、場所がわからなくてさ。誰かの案内があると助かるんだけど」
俺の言葉に、マイセルの表情が再びぱっと明るくなる。
「じゃ、じゃあ、私が案内します! あの、十二刻になる前には、……ええと、このベンチ! このベンチで待っていてくださいますか?」
妙に嬉しそうな様子に、思わず苦笑してしまう。だが、さすがに一日に何度も付き合わせるのは悪いだろう。
「ああ、それはさすがに悪いからな、例えば君のお兄さん――」
言いかけた俺に、マイセルが真顔になり、そして真剣な表情で詰め寄ってきた。
……顔が近い。
「大丈夫です! 私、お迎えに来ますから!」
「いやでも、夕食の準備とかもあるんじゃ……」
「大丈夫です!」
さらにずいっと迫ってくる。
……本当に顔が近い。思わずのけぞってしまったほどに。
「……わ、分かった。じゃあ、案内頼むよ」
「はいっ!」
途端に満面の笑みに戻る。
「昼食の前なのに、おやつにさそって、悪かったね」
「い、いえ! とっても美味しかったです、ありがとうございました!」
そう言って、しかし頬を染める。
「で、でも、ムラタさんといると、食べてばっかりで……う、嬉しいんですけどね?」
嬉しそうに、だが少し、気恥ずかしそうにうつむく姿に、しまった、と舌打ちしたくなる。
彼女は、年齢的に成人したとはいえ、日本ではまだ少女の扱いの女の子だ。
美味しいものは食べたいが、体重増加も気になるのかもしれない。
「……大丈夫、君ぐらいの歳なら、ちゃんと食べることも大事だよ」
多少の体重増加など、気にする必要はないんだよ。
――そう言いたかったのだが。
「……ムラタさん、それって、私が子供ってことですか?」
「え? あー、うん、……て、あ、いやいや!」
……やらかした。
そこは違うだろ、さすがに三洋や京瀬らのヘルプなんかなくても、言っちゃいけなかったタイミングだって分かるよ、俺!
確かに年下の少女だとは思っていたが、なんで馬鹿正直に言ってしまったんだ、俺は。よりにもよって、この、眉根を寄せてこちらを追求してくる少女に向かって!
「……ムラタさんに比べたら、私はまだ、大人になりきれてないかもしれないですけど……」
俺の返事に、マイセルはうつむいて、ぼそぼそと言い始める。
「でも、ムラタさんには……ムラタさんにだけは、私……子供扱い、されたく……なかったです……」
うつむいているから、その表情は分からない。だが、きゅっと、スカートの裾を握りしめるこぶしが、わずかに震えているのが分かる。
……「変な人」にだけは、子供扱いなどされたくない、ということだろう。キツいなあ……。
まあ、それだけ俺が頼りなく見えるということなんだろうな。マレットさんの恵まれた体格を見て育った彼女だ。アイネにもヒョロガリと評されるこの体格、同じ建築に携わる人間として、確かに頼りないに違いない。
これ以上失点を稼いでしまうと、マレットさんによる、ただでさえ高くない俺への評価が、マイセルを通じてますます低くなるだろう。ここはさっさとお開きにしなければ。
「……とにかく、十二刻になる前にここにいればいいんだな?」
俺の言葉に、マイセルが鼻を鳴らした。
「……マイセル、泣いているのか?」
驚いた俺が声をかけると、マイセルは肩を震わせ、そして、くるりと背を向けると、急に走り出した。
「あ、……おい!」
一息遅れてその背中を追ったのだが、彼女は市場の雑踏の中を潜り抜けるように走ってゆく。
目の前を横切る人にぶつかりそうになり、慌てて身をひるがえしてかろうじてかわすものの相手もよろめくのを見て「すみません!」と声をかけ、しかし背後を向いて進行方向をよく見なかったために勢い余って野菜を積み上げた箱に腰をしたたかに打ちつけ、そのまま転倒したところを、そのまま力士になれそうなふくよかな
なぜか反射的にすみませんと謝ってしまった俺の腹から重い尻を持ち上げたマダムにさらに嫌味を言われつつマイセルが走っていった先を、無理矢理首をねじって見上げたが、しかし当然ながらもう、マイセルの姿はかけらも見られなかった。
おまけに野菜の屋台のおばさんからは、「いつまでも転がってると商売の邪魔だよ、どいたどいた!」とほうきでド突かれる始末。
ああもう、ちくしょう! 踏んだり蹴ったりだ!
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