第112話:俺はフラれた男らしい

 リトリィのことをと言った、あの魔狼たちの言葉がどうにも引っかかって、しばらくその場で考え込んでしまった。


 リトリィは、原初のプリム・犬属人ドーグリングのはずだ。顔立ちは、街で見かける獣人よりも鼻梁びりょう……鼻面はなづらがずっと盛り上がっていて、より犬っぽい。


 だから、魔狼と同じ、狼の近縁種だと思ったのだろうか。

 ……いや、俺から、百年も前に別れた男と同じような匂いをかぎ取ったような狼だ。見た目だけでそんなことを言うだろうか。


 だが、考えてみれば犬は狼の品種改良の結果生まれたものだから、つまり犬は狼の親戚だ。だから魔狼からすれば同じ狼の仲間――そう判断したのかもしれない。


「……ていうか、『かわいいハナちゃん』ってなんだよ」


 ライトとかいったか? 日本人らしくない名前だ。つい「月」という漢字の名前を思い浮かべてしまうが、しかし命名センスが「ハナちゃん」だ。


 ハナちゃんって、太郎と花子――お花ちゃん、みたいな感じの名前か? そうするとやっぱり感性は明治から昭和初期、くらいだと思うから、多分それくらいの日本人なんだろう。もしかしたら、瀧井さんと被るかもしれないな。


 それにしても、あの巨体で『かわいい』とか『ハナちゃん』とか。まあ、おそらく子狼のころに名付けたんだろう。命名したであろうライト自身、まさかあそこまで巨大化するとは思わなかったに違いない。


 そこまで考えて、ハッとする。

 ――しまった、あんなにでかいなら、俺を乗せて街までひとっ跳びできたかもしれない。あんなに敵意もなく、おとなしい存在なら、もったいないことをした。


 もうすっかりあたりは暗くなり、道ももはや分からない。慣れた人間なら街まで行けるのかもしれないが、俺には無理だろう。当初の予定通り、ここでキャンプをすることにする。


 ――不思議な出会いだった。




「お前の顔は覚えているぞ。リトラエイティルさまの付き人ではないか。見限られたのか?」


 開口一番、聞かれた言葉はそれだった。

 無言で門の通行手続きを受ける。


「ま、なんだ。冴えない顔をしているしな。見限られたとしても同じ男として同情してやるが、リトラエイティルさまをこれ以上失望させるような失態を重ねるんじゃないぞ」


 誰が見限られた、だ。付き人扱いも気に食わないが、リトリィの名前をすらすら言えるところも気に食わない。

 今に見ていろ。いずれ俺は付き人ではなく、彼女のパートナーとして名を売ってやる。




「あら、リトリィさんは? まさか振られたの?」


 開口一番、聞かれた言葉はそれだった。

 さすがに交わした挨拶の笑顔がヒクつく。


「すみません、ペリシャさん。リトリィは、親方のもとでもう少し修行ということに相成りまして」

「あらぁ、そうなの。あなたはいいんですけど、あの子はいつ来るのかしら。もっと仕込んであげたいことがいっぱいあるのに」


 ……悪気はないのだろうが、あからさまに興味がない様子を見せられると、その……なんだ、胸に来る。


「はい、親方から、鍛冶の秘伝を仕込まれている最中だと思いますので、なんとも……。私も、街で仕事をしてこいとどやされました」

「あなたが、街で、仕事? どんな?」


 実にナチュラルな反応に、腐りそうになる。俺、不要だったのか?


「……例の小屋ですよ」

「あらぁ、大工さんたち、しばらくお休みだって言って、毎日朝から飲んでいますよ? 今日も、もう飲んでいるんじゃないかしら」


 ――そうか、そういえばいつ頃帰る、なんて言っておかなかったしな。まあ、仕方がない。とりあえず、ペリシャさんとも挨拶は済ませた。




「おう、兄ちゃん! リトリィちゃんにフラれたならもう来なくていいぞ! リトリィちゃんだけ連れて来いや!」


 開口一番、聞かれた言葉はそれだった。

 ……さすがにもう慣れた。大工のおっさんたちには、俺はどうやらリトリィにはもったいない、モテそうにない男として見られているらしい。


「リトリィは後日来ますよ。それより、小屋づくりの話、いいですか?」

「いつも通りばーっと作っちまえばいいんだろ? 任せとけ!」

「いえ、ちょっと新しいやり方で作りたくてですね……」


 言いかけた俺に、奥の方で飲んでいたマレットさんが立ち上がり、木のジョッキを見せながら言った。


「飲んでるときに仕事の話を持ち込むんじゃねえよ、ここは飲んで騒ぐ場所だ。仕事の話はまた後にしてくれねえか?」


 結局、家の話は何もできなかった。まあ、そうだよな。ここは飲み屋だ。気持ちよく飲んでいる時に、仕事の話は聞きたくないだろう。話ができると思ってやって来た俺が馬鹿だった。


 今日はもう、何もすることはないだろう。以前世話になった宿に行ってみることにする。




「なんだ、獣人族ベスティリングの娘さんには振られたのか?」


 開口一番、聞かれた言葉はそれだった。

 俺はよほどモテない男に見えるらしい。

 いや実際、リトリィ以外にモテたことなんて、ないんだけどな。


「宿を開いてからずいぶんといろんな客を見てきたが、あんなに毛艶の美しい獣人さんは、見たことがないぞ。

 控え目で、宿の人間にも気配りを忘れない、いい娘さんだったのにな。なにをやらかした?」

「……いや、仕事の関係で――」

「仕事で関係がこじれたっていうのか? 情けない、自分なら仕事よりも女を取ってみせるがね。一日や二日くらい、看板を下げたって食っていけるだろうに」

「いや、だから、そうじゃなくて……」

「あの娘さんがいないんなら、部屋は最低クラスでいいな? 屋根裏部屋にでもしておくぞ? それともうまやでいいか?」


 ――ひどい扱いだ。


 リトリィ……きみは、奥様方といい、大工たちといい、この宿の主人といい、めちゃくちゃ人気じゃないか。

 ああもう、そうだよ! きちんと向き合えば彼女は素敵な女性なんだ。この街の人間は、どうして獣人を差別するんだろう。


「なに? あの娘さんはあとから遅れてくる?

 それを早く言え、部屋はとっておいてあるぞ。角で一番壁が厚い部屋だ。廊下とベッドの間はクローゼット、隣室との間には物置といった具合に、外壁以外は全周二重構造、当然ドアも二重。下も倉庫だから、あんたらみたいに部屋だ。そのぶん、前の部屋より少々狭いが、そこでいいよな?」


 ――宿の方から部屋を指定されたよ。

 ていうか、ご主人。俺たちはそんなにほかの客から隔絶されるべき客なのか?


「あんた一人だから言うんだが……あの娘さん、たぶん声を殺してはいたんだろうが、前の部屋だと、下まで丸聞こえだったんだぞ? 朝まで隣がうるさいと、苦情まで入ったほどだったからな?」


 ……まじか。

 アノ声、垂れ流し状態だったというのか。

 いやまあ、たしかに、彼女はいつも必死で声を噛み殺そうとしているのは分かるけど、……うん、まあ、納得できてしまう。


 ……しかし、内容がヤバい、ヤヴァすぎる。


 どこまで鮮明に聞こえていたのだろうか。

 喘ぎ声が漏れ聞こえる程度ならまだ仕方ないで済むが、言葉まではっきり聞こえてたとしたら。


 ……将来的には、寝室周りの壁作りには気を配って、できるだけ音漏れのない部屋づくりを意識した家を建ててやらないと、子供ができたあと、子供に気を遣って、できなくなっでしまうかもしれない。


 しかし、わざわざ遮音に配慮された部屋を割り当ててもらえるとは。

 これも、きっとリトリィが、俺の気づかないうちにいろいろと宿の主人に心遣いをしてくれていたお陰なのだろう。なんとできたなのだろうか。


 リトリィ。

 君は今、何をしているんだろうか。

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