第106話:親父殿の許可

「おせぇ! 街で何やってたんだムラタ!」


 リトリィに励まされながら、やっとのことでたどり着いた、山の家。

 日もすっかり沈み、だいぶ暗くなっていた中で薪割りをしていたアイネが、こちらを発見するや否や、腕ほどもある薪をぶん投げてきた。


 普段の俺ならかろうじてよけられたかもしれない。だが、連日の酷使で腰を痛め、ここまで登ってくるだけで疲労困憊状態だった俺は、迫ってくる薪を避けることもできず、顔面にクリーンヒット。

 悲鳴を上げたリトリィと、なぜかバツの悪そうなアイネを見届け、俺はそのままぶっ倒れた。




 夕食後、親方はリトリィに厨房の片づけを命じたうえで、俺を含む野郎どもを工房に集めた。


「だーっはっはっはっは! まあ許してやれムラタ、妹を取られて悔しいんだこの馬鹿はよぉ!」


 フラフィーにバシバシと背中をぶっ叩かれる。ああ、はこういうところだった。リトリィに逆襲されたのか、見事なたんこぶを脳天にひとつこしらえているアイネは、俺をにらみつつ、しかしおとなしくしている。


「……で、また街に戻るって、おめぇ街に住むつもりか?」


 親方が無表情で聞いてくる。


「ええと、いま、小屋づくりの仕事を請け負っていますので、さしあたってその仕事が終わるまではと」

「ふん……アイツはどうするんだ」


 アイツ――リトリィか。やっぱり、として、気になるのだろう。当然だな。


「彼女は、おそらく私の身の回りの世話をするためについて来てくれるだろうと」

「世話……ねぇ」


 親方は目を閉じて、大きなため息をつく。


「まだるっこしいことを言うんじゃねぇ。要は嫁によこせと、そう言いたいんだろうが」


 さすが親方、オブラートに包んでものを言うという発想など無いかのようだ。いっそ清々しい。

 ……清々しくはあるのだが、それを彼女の父親から切り出されると、どうにも気後れしてしまう


「……まあ、そういうことですね」


 立ち上がりかけたアイネを、フラフィーがぶん殴って座らせる。


 しばらく目を閉じて黙ってヒゲをしごいていた親方は、再びため息をつくと、がりがりと頭をかいた。


「……アイツを嫁に出すのは、まだまだ先だと思っていたが――考えてみればもう十九だしな。むしろ遅くなっちまったのかもしれん」

「嫁に出すのは反対だ! ムラタが婿に来やがれ!」

「だからおめぇは黙ってろよ」


 アイネの主張は、フラフィーによって却下されるが、親方はしかめっ面を崩さず、むしろフラフィーを抑えた。


「ムラタ。正直に言うとな? オレはアイツが、誰と、どこでどう生きていこうと、アイツの好きにすればいいとオレは思っている。

 ……だがな、その連れ合いがおめぇというのは、アイネじゃねぇが、オレも判断がつかねぇ」


 判断がつかない、とはまた奥歯にものが挟まったような言い方だ。親方にしては珍しい。


「どういうことですか?」

「親の贔屓目かもしれねぇが、アイツはいい目をもっている。鍛冶屋としての勘もいい。だが、おめぇについて行って、その後、鍛冶屋として日の目を見ることができるのか、それが読めねぇ。

 ……まあ、要するに、おめぇにくれてやるにはもったいねぇってことだ」


 言いたいことは分からなくもない。「鍛冶師としてのリトリィの力を活かすことができる嫁ぎ先」として、俺がふさわしいかと問われたら、それは確かに「はい」と返事をすることにはためらいがある。


「……つまり、私は信頼できないと」

「いや。信頼はできる。井戸の水を曲がりなりにも飲める程度にはできるようにした、その知識と仕事ぶりは、確かだった」


 ……信頼できるが、しかし俺にはリトリィはもったいない?

 あれか? やっぱり、リトリィが欲しければ鍛冶師になれと言いたいのだろうか。


「……あの、どういう意味……?」

「信用が足りん。およそ四ヶ月、この家で暮らしてきたおめぇを見るに、娘を任せたいと断ずることができる男には見えん」


 ……ああ、やっぱりか。まあ、そうだろうな。

 散々彼女を泣かせてきた俺だ。親方は俺たちの関係にほとんど口を挟まなかったが、やはり苦々しい思いでいたのだろう。

 親方というより父親として、娘を任せるにふさわしくないと判断されても仕方がない。


 この場にリトリィが呼ばれていない理由がよくわかった。要は、俺という人間はまだ、リトリィの伴侶としてふさわしいとは判断できないという結論なのだ。


 多分、こんなことを言われたら、リトリィはおそらく「認めていただけなくて結構です」とかなんとか言って、即日にでも街にとっかえしたに違いない。俺を引きずってでも。 

 そういうところの行動力は、たぶんすごい娘だからな。

 親方も、それを分かっているからリトリィをこの場に呼んでいないのだろう。


 だが、俺にだって意地がある。今は確かに実績もないし、彼女の伴侶として認められないのかもしれない。だが、だからといってハイそーですかなどと諦めてたまるものか。


「まあ、そうですね。たしかに、なぜ彼女をあれほどまでに頑なに拒み続けていたのか、当時の私の思考が、今となっては我ながら理解ができません。本当に愚かだったと思います。

 ですが……いえ、だからこそ、一つだけお言葉を返すなら――いま、どんなご返答をいただこうと、いずれは彼女をもらい受ける所存です」

「認めない、と言ったら?」

「あとは、彼女の判断です」

「てめぇ! 女に判断をさせるってのか!?」


 リトリィを大切に思うアイネがいきり立つのは分からなくもない。だが、その言葉を認めるわけにはいかない。女には――リトリィには、判断する資格がないとでもいうかのような、その言葉を。

 もしそうだとしたら、それは女性――俺の愛する女性ひとに対する侮辱だ。


「リトリィは自分で判断できる。アイネ、それとも彼女は自分では何も決めることができない、人形のようなものだとでも言いたいのか?」

「なんだとてめぇ!」


 激昂して立ち上がったアイネを、フラフィーが制する。


「やめとけ。リトリィが選んだんだ、その生き方を。なあ、ムラタ?」


 フラフィーの言葉に、俺は大きく頷いてみせる。

 リトリィは、大人しく従順なようでいて、決して従順なだけではない。相手に心身を委ねるような言動があっても、それは目的を達成するためのいわば手段であって、彼女自身が誰かに依存しきるようなことはない。

 納得できなければ、きちんと理由を求める。決して、言われた通りにしか動かないひとではない。


 事実、俺が瀧井さんに対してあってもいないのに不信感をつのらせていたとき、彼女は自身の考えに従って、俺をたしなめ、目を覚まさせてくれた。礼儀作法指導中のナリクァンさんにも、ちゃんと質問をして納得できるように説明を求める。そして必要と理解し、納得すれば、それに全力で打ち込む。


 ――じつに強い生き方だ。自立するとは、まさにこういった生き方なのだろう。いったい、この芯の強さをどこで身につけたのだろうか。

 そんな女性が、俺のことを好いてくれていて、そして、俺と共に生きようとしてくれる。というか、俺みたいなヒネていた男を、よくもまあ、これまで見捨てずにいてくれたものだ。

 親方の台詞じゃないが、はっきり言って俺にはもったいない、できた女性だ。


「……ふん、ちったあ、世界を広げてきたか」


 親方が、口の端を歪める。


「はい。自分が、狭い世界でうぬぼれながら怯えていたことを理解してきました」

「……なるほど。アイツを同行させて正解だったというわけか」

「賢明なご判断、ありがとうございました」


 俺の言葉に、親方はひげをしごきながら面白くもなさそうな顔をする。


「ふん……。機会を活かしたのはおめぇだ。

 まぁ、確かに今のおめぇなら、アイツのこと、ちったぁ考えてやらんでもねぇな」

「まだ、ですか」

「だから焦るな。その話は後にしよう」


 そう言って、アイネたちを下がらせる。アイネは話に参加したがったが、フラフィーに引きずられて工房を出ていった。




「……さて、娘を寄こせ、という話はまあ、とりあえず置いておく。アイツ自身が望んでいることだ、今さら反対もクソもねぇ。時期を見定めたら、くれてやる」


 思わず腰が浮いた俺の頭に、親方のハンマーナックルが振り下ろされる。

 ……目から星が飛び散る思いだ。


「時期を見定めたら、と言ったろうが。がっつくな、ヒヨッコめが。そんな分かり切った話よりもだ、まずおめぇが欲しいという、ノコギリについての話だ」

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