第95話:冬の短い夜.
※ 飛ばしても、97話以降を楽しむことに支障はありません。
痛くないのか――聞くと、正直に言うとまだ痛いと思う、と彼女は言った。
それでも、彼女は望んだ。
あなたの仔が、ほしいから――不安げにつぶやいた彼女を力いっぱい抱きしめ、俺も欲しい、と言う。
これは、仕切り直しだ。
さっきの行為とは違う、互いの愛を確かめ合うためのもの。
俺が、一生をかけて守っていくその相手を、全身で確かめるための。
三夜の
この人と、一生を共にする。
それを、婚姻という契約を結ぶ前に確かめる。
たとえ体の関係を持たずに終わったとしても、一つのベッドで三夜を共に過ごす中で、見えてくるものもあるだろう。
リトリィが求めてくれたのだ。
先の、あの身勝手な行為で満足していた俺を、
ならば、やれるだけのことをやるだけだ。
唇を重ねると、互いに舌を絡め合う。
もう馴染んだ、彼女の舌。
心臓の音がやかましい。
頭に血が上る。
いつよりも、数倍体が火照る。
いつものキスのはずなのに、いつもと違うこの感覚。
さっきは自身に余裕も何もなかったが、今度は違う。
村田誠作二十七歳。現代日本には
今日は、あらためてそのチカラを発揮する最初の日――
――って、どこから何を、どうすればいいんだっけ!?
あああ、もう化けの皮が剥がれる!
さっきだって、リトリィに導いてもらってのことだった!!
俺の焦りを、その所在なさげな手の動きから感じ取ったか、リトリィは俺の手を取ると、そっと、自身の心臓の位置に導いた。
「感じますか? ムラタさん」
「な、何を?」
「わたしの胸の高鳴りを。あなたが好きで好きでたまらない、あなたのものになりたい、わたしの思いを」
俺の指に自身の指を絡め、ともに、その白磁のような肌をすべらせる。
「この胸の高鳴りを、喜びを、感じてほしいんです。ムラタさんの求めるまま、わたしを欲してください。わたしは、ずっとあなたについていきますから」
白い吐息が混じり合い、汗ばむほどに火照る胸の高鳴りを、二人で共に添えた手で感じ合う。
ずっと、ずっと、こうして結ばれたいと願ってきた二人の思いが、手のひらから、互いに交わり合う鼓動から、あつく伝わってくる。
彼女は、自分から胸に導いた俺の手をもう一度掴み、引き込む。
その、奥に。
「ムラタ……さん……!」
彼女の、感極まった声。
ああ、どうして――
どうして俺は今まで、この、熱いとすら感じてしまうほどのぬくもりを、拒絶してきてしまったのだろう。
彼女の熱い吐息が、
すがりついてくる腕が、
俺の手を掴み引き込む指が、
これまでずっと俺を求めてきてくれた切実な思いを、俺に伝えてくれる。
言葉にできないほどに高ぶる吐息と共に、その想いを、俺に、明言してくるのだ。
俺を迎え入れる、その、よろこびを。
リトリィ、ああ、リトリィ!
俺は君と出会えてよかった!
力いっぱい抱きしめる。
その、ふわりと柔らかな体を。
「ムラタ、さん……もっと……もっと強く、抱きしめてください、もっと……っ!」
すすり泣くような声とともに、彼女がその脚を絡ませる―― 一度、見失いかけた俺を、二度と離すまいとするかのように。
こんなにも俺という存在を求めてくれる女性を、どうして俺は、もっと大切にしようとしてこなかったんだろう。――自分の都合ばかりを考えて。
ありがとうリトリィ、俺と出逢ってくれて。俺を選んでくれて。
俺も、もう迷わない。君と共に、ずっと、ずっと……!
――冬の夜は長い、そう思い込んでいた。
いつの間にか、天井の穴から見える空が、漆黒の闇からうっすらと青みがかってきていることに気づくまで。
起きたのは、やや日も上った、おそらく二刻を過ぎた頃。隣で、リトリィが身を起こしたのを感じたからだった。
結局、薄明けまで二人してさんざん愛し合っていたのだから、そうなるのも当然かもしれない。リトリィなど、髪がすごい状態に跳ねている。
おまけに、ほこりまみれの木の床に、毛布に
「……見ないで?」
身を起こした彼女は恥ずかしそうにうつむき、立ち上がると、リボンを手に取って壊れかけた椅子に座――ろうとして、
「はうっ!?」
腰を浮かした。
まるで、痔を患っていた木村所長がうっかり勢い良く座った時の反応のようである。
――ああ、やっぱりまだ、痛いんだな。
おっかなびっくり、ゆっくりと座り直す彼女を見て、昨夜はやりすぎてしまった、と反省する。
壁の小さな穴から横向きに差し込む日差しが、彼女をわずかに照らす。
いつものように髪を束ね、その先端をリボンで結ぼうとしている彼女は、しかし見ないで、と言いながら、彼女は俺に対してまっすぐ体を向けているものだから、その豊満な躰の全てが、真正面から見えてしまう。
よって、よく見たら――よく見なくても、彼女の下半身が、あちこち赤黒く汚れているのが、嫌でも目に入ってきてしまう。
ああ、彼女の純潔の証。
俺はそれを、確かに受け取ったのだ。
と同時に、痛かったはずなのに痛がる素振りなど全く見せず、むしろ何度も受け入れてくれた彼女には、本当に頭が下がる。
彼女は言っていた。
自分が望んだことだと。
ずっとこうなりたかったと。
やっと願いを叶えてもらえたと。
涙を浮かべながら、笑顔で。
今まで満たされなかった想いを、昨夜、ようやく手に入れたのだと。
どこまでも、本当にどこまでも、いじらしい娘だ。
――もう、泣かすものか。
髪を結び終わった彼女が立ち上がると、小さな声を上げる。
何があったかと思ったら、恥ずかし気に椅子を見つめていた。
なるほど、それが何かなど、考えるまでもない。
彼女の奥に残っていたものがなにかなど。
彼女を、背後から抱きすくめる。
「む、ムラタさん……?」
俺の行動に驚いた様子の彼女だったが、小さく笑うと、そっと手に取り、再び導いてくれた。
おかえりなさい、と。
……ああ、覚えたての猿だと言いたくば言え。
何と言われても、俺は、ついに、本当の意味で、彼女を「知った」のだ。
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