第85話:どう生きるか

 簡単だと思っていた仕事に対して意外に手こずる自分に、苦笑する。

 日本での最後の仕事――仁天堂にんてんどうさん夫妻のあの家も、そんなかんじだったか。


「暮らしやすい家でさえあればあまり要求はないけれど、できるだけ自然光を取り入れたい」


 あまりお金にならない仕事で申し訳ないけれど、と、夫妻は恐縮しながら言っていた。だが、制限のある仕事ほどやる気がわくというものだ。


 窓を増やせば予算を圧迫し、窓を減らせば照明のための電気代が飛んでいく、維持費の高い家になる。

 しかし窓の少なさは結果として断熱性能の高い家に繋がり、エアコン等の冷暖房費を浮かすことができるとも考えることができる。


 あとは、さんさんと降り注ぐ太陽を、いつの時間帯に、どの部屋で、どのくらい確保することを優先するか。


 あれはほんとうに、パズルのような仕事だった。得られる報酬の額と俺の苦労は、見合っているとは言えなかっただろう。

 だが、本当に楽しかった。割に合う、合わないなんて問題ではなかった。


 あの若夫婦、俺の図面を採用してくれただろうか。

 もし――もしあの家を選んでくれていたら、俺があの世界に生まれた意味が、たしかにあったことになる。

 あの夫妻がその家で未来を切り拓き、その子供たちがさらに未来を作っていってくれたら、あの世界で俺が、その証明になるのだ。




 あらためて、図面を見直す。

 耐力壁の問題もあるが、まずは使いやすい間取りをもう少し考えよう。


 キッチンの通路は、日本だと一般的に半間はんげん――約九十センチメートル――程度だろうが、複数の人間が入れ代わり立ち代わり利用できるよう、広めにしておく。気軽に互いに声をかけながら、楽しく調理できるようにしたい。


 この世界に電気冷蔵庫はないから、炊事場の反対側にはそのまま食品貯蔵庫パントリーだ。それほど奥行きは必要ないだろう。どうせ冷蔵庫がない以上、食べ物を長期間置いておくようなことはないからだ。必要な時に必要なものを置いておく、その場所になればいい。


 出入口を挟んだ反対側には、ものを食べたり飲んだりするためのスペースを作る。さっと集まって話ができる、簡易な集会施設として機能できるようにするのだ。入口付近に小部屋、奥に大部屋の二部屋もあればいいだろう。


 ちょっとあらたまった話、あまり表ざたにしたくない話をする場合は、食品貯蔵庫の裏、奥の部屋。この部屋は食品貯蔵庫を通じで行き来できるようにし、キッチン利用者の休憩室にもできるようにする。

 ただ、奥の部屋から鍵をかけることができるようにすれば、不用意な出入りを防げるわけだから、会議室にもできる、というわけだ。


 ツーバイフォー――木造枠組壁わくぐみかべ構法は、耐力壁たいりょくへきの配置の関係上、間取りが在来工法――木造軸組じくぐみ構法――に比べて制限される傾向にある。施主の思い通りの間取りにしづらいことがあるのだ。さっき、開口部を広くとったために、耐力壁の配置に悩んでいたように。


 だが、この方法は、俺が勤めていた木村設計事務所の特徴だった「クソみたいな面白みのない家」、つまり、間取りの自由度は低いものの、頑丈で高気密、断熱性能が高く冷暖房費を節約できる高機能なわりに安い家――質実剛健な家を造るのに適しているのだ。


 ちなみに、家は立方体――つまりサイコロ型が一番安い。そして、木村設計事務所の家は、とにかくサイコロが標準だった。一番安くて一番ものを詰め込める家。


 そこからなんとか抜け出そうとあがいていた俺が、木造枠組壁構法をこの世界にもたらそうというのだから、なんとも皮肉なものだが。




 それにしても、茶を淹れるという目的のために下に降りて行ったリトリィだが、妙に時間がかかっているような気がする。湯を沸かすのに、そんなに時間がかかっているのだろうか。それとも、暖炉の火が落とされてしまっていたから、火をつけるところから始めなければならなかったとか?

 ある程度図面もキリのいいところまできたので、下に行ってみた。


 果たしてリトリィはそこにいた。


 とろ火の暖炉の前の、大きな肘掛け椅子に、すっぽり収まるようにして、猫のように体を丸めて眠っていた。

 よく見ると、目元がしっとりと濡れている。泣きながら眠ってしまったらしい。


 ――泣きながら。


 俺はため息をついた。

 また、彼女を泣かせてしまったのだ。

 また寂しがらせてしまったのだろう。

 ここに来る道中から、夜を過ごすたびに泣かせている気がする。


『獣人は情が深い。だが、それゆえに寂しがり屋で、焼きもち焼きでもある』

『表向きは、こちらを心配させないように、口ではなんともないふうにしているかもしれん。だが、こちらから気づいてやって十分話を聞いて、夜も十分に可愛がってやらんと、どんどん内へと鬱憤うっぷんを貯めていくことになる』

『そのうち、とんでもない時にとんでもない形で爆発するから、気をつけるといい』


 そんな、瀧井さんの言葉がよみがえってくる。ペリシャさんが十二歳のときに男女の仲になって、十四歳で結婚したということだから、まだ若く精神的に不安定な時期を共にしたのは間違いない。

 実に含蓄ある言葉だ。彼の実体験に基づく人生訓だろう。


 十分可愛がれ。

 まあ、つまり、そういうことか。


を、んですね」


 女性にとって、子供を自分の存在意義に感じる人もいるという。たくさん産むことに、誇りを感じる女性もいると聞いた事もある。


 だが、妊娠はともかく、出産は、現代日本でも時と場合によっては命を落とすことがある。だから、できればきちんとした医者のケアが欲しい。

 そのためには当然、金が必要だろう。だが、今の俺にはその先立つものがないのだ。ちゃんと稼いで、万全な状態で、を迎えたい。


 この世界の医療技術は、当然日本ほど高くはないだろう。

 だが、それでも医療の支援がないよりもはるかにいいはずだ。


 この世界には魔法があるらしいが、怪我や病気の治療に役立つかどうか。

 ペリシャさんの家族は、瀧井さんの話だと流感――インフルエンザのようなもので、ペリシャさん以外全滅したという。魔法は、大して当てにならないかもしれない。

 だから、医療のバックアップは欲しいし、リトリィにはもう少し、待ってもらいたいのだ。


 にもかかわらず、彼女は今すぐ、という勢いで子供を欲しがる。それも熱烈に。

 なぜだろう、彼女はなのだ。

 まさか獣人の寿命は二十代、なんてことはないだろう。人生はこれからだろうに。


 思えば彼女は、俺と知り合ってかなり早い段階から、俺との関係を熱望してきたように思う。子作りを迫られたことなど、もはや両手の指の数では足りない。

 ここのところ特に迫られるようになったが、たぶん、俺が自分の気持ちをきちんと伝えたからだろう。


 三夜の臥所ふしどという、結婚前に踏むべきステップがある以上、子作りを済ませてから結婚というのが、こちらの世界のしきたりらしい。

 相手の純潔を確認するためなのか、互いの相性を確認するためなのか、それとももっと生々しく、子供ができる組み合わせだということを証明してから結婚という意味なのか。


 そんな風習ができたきっかけは分からないが、しかし、それはもう、この世界の住人の生き方として定着しているのだ。俺一人が抵抗したところで、何の意味もない。

 強いて言うなら、俺の悪あがきはリトリィをまた泣かせることにつながる、ただそれだけだ。


 だが、日本では、結婚自体は女性なら十六からできるとはいえ、本当にその年で子供を産むというのは異例中の異例だ。

 晩婚化が進んでいるといわれているが、多くの人が高等教育を受けるようになり、就職をして、ある程度働いてから結婚するようになった現代日本では、結婚は二十代の中盤以降という人が多いのではなかろうか。

 俺も、別に彼女がいたわけじゃないが、結婚は二十代後半、子供もそれに準じて、というイメージだった。


 やはり、生活基盤を固めないうちから子供を作るというのは、どこか無理があるように思えてしまう。カネがすべてとは言わないが、やはり妻子の生活を保障することができるだけの収入が無くてはならないだろう、そんなことを考えてしまうのだ。


 そこまで考えて、ハッとなる。

 それは、あくまでも、現代日本人としての俺の感覚だ。


 なぜ生活を保障するカネが必要なのか?

 それは生活の中で必要なものを、カネで賄っているためだ。


 では、例えば江戸時代の町人並みの生活――ほとんどのものを自給自足し、不足分は隣近所と物々交換か日雇い働きの収入で補い、貯蓄をほとんどしない生活が、当たり前に


 ……俺にはまだ、確固たる生活基盤がない。だからためらってしまう。

 だが、リトリィは違う。

 基本的に食べ物は畑で栽培したり、飼育している家畜から得る。ほとんど自給自足の生活だった。


 現金収入は、間違いなく鍛冶仕事による成果物の販売。ジルンディール工房というブランドは、掛けた手間の分、それなりに高額な値段を保障してくれるだろう。そして、彼女はその収入の一翼を担う働きをしてきたはずだ。


 あの家にいれば、彼女はいつでも子供を持てるのだ。あの家ならば。

 俺が、農夫になって畑を管理し子供を育て、リトリィが工房を維持していけば。


 ――いや、違う。


『あなたの居場所が、私の居場所です』


 彼女は、確かに、そう言った。

 彼女は俺について来る気だ、たとえどんな場所であろうとも。

 彼女が俺を婿に迎え入れるのではなく、自分が嫁に出る、そういう考え方をしている。


 だから仕事の内容も確認してきたのだろうし、俺がどこで生きていくのか、それも確認しようとしたのだろう。


 俺は、仕事がない今はまだ、子供は早いと言った。

 彼女はそれを、仕事さえ見つかれば子供を作れる、と判断した。

 だから彼女にとって、俺に仕事が見つかる、その一点だけで十分だったのだ。

 彼女は、この世界で、という俺の踏ん切りだけが必要なだけで、それさえあればあとは自分の腕で生きていける、そのように解釈していたのだ。

 なんとも頼もしい女性である。


「まったく、俺を二十七まで童貞で引っ張ってきたぶん、神様はずいぶんと頼もしい嫁を準備してくれたってことか?」

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