第83話:未来へとつながる図面

「ムラタさん、まだ寝ないんですか……?」


 ベッドから、恐る恐るといった様子でリトリィが声をかけてきた。


「ああ、今ちょっといい感じに図面の神様が舞い降りて来ててさ……。リトリィは先に寝てていいよ」


 ランプの油代も部屋代の一つ、夜遅くまで起きていると出費がかさむ。

 だが、夜のほうがアイディアが浮かんできやすいのは、向こうの世界にいた頃からずっと変わらない習慣なのだ。


「……ひょっとして、宿代が気になる?」

「そうじゃないですけど……」


 リトリィが、身を起こす。


「いつ、お休みになるのかなって。

 ……お夕飯のあとから、ずっとおうちのこと考えて、いろいろとうわの空でしたよね?」

「心配させてごめん。なるべく早く寝るようにするからさ――って……?」


 言い終わらぬうちに、リトリィが、後ろからふわりと抱きしめてきた。


「……ムラタさんって、本当に、意地悪な人です……」

「……意地悪?」


 唐突に、いじめっ子認定されてしまった。首を振り向けると、やや頬をふくらませて口を尖らせたリトリィが、図面をのぞき込んでいる。


 リトリィも、興味をもってくれたのか。

 しかし、意地悪?

 どういう意味なのだろう。使いづらそうだ、ということなのか?


「リトリィ、この図面、見てどう思うんだ?」


 意地悪認定されたということは、普段、家で家事全般を司っている彼女の視点からして、使いづらそうな動線になっているということなのかもしれない。聞いてみるのが一番だ。


 彼女は俺の質問に面食らったようだが、勝手口のないことを指摘した。俺がパントリーを設置していた箇所に、出入り口があったほうが便利かもしれないと言う。

 ――そうか、上水道やガスなどのインフラがない以上、水や燃料を直接運び入れることができる勝手口は、住む人にとって便利だろう。

 早速書き足そうとすると、リトリィが不思議そうにつぶやいた。


「そもそも、あの家を建て替えるとして、誰が住むんですか?」

「――!?」


 しまった、その発想は無かった!

 なんの疑問もなく、を想定していたが、そもそも無人の小屋の建て替え案なのだ。

 公民館のようなものにしたほうがいいのかもしれない。


「ありがとう! リトリィの言う通りだよ!」


 早速、図面の引き直しだ。

 明日までに案を考えてみると、ペリシャさんと約束したのだ。

 まずはこの初仕事、叩き台としての価値がなければ、話にならない。ちょっと、気合を入れ直して頑張らないと。


 とりあえず今書いていたものは床に置き、新たな草皮紙を準備する。外枠はいいとして、もう一度部屋割の見直しだ。


「あ、あの、ムラタさん……?」


 なにやら戸惑った様子の声。一からやり直し始めた俺を見て、罪悪感でも覚えたのだろうか?

 ――とんでもない!

 自分に欠けていた視点をもらえて、むしろ大感謝だ!


 そのことを伝えると、リトリィは嬉しそうな、だが困ったような、大変複雑そうな顔をした。

 優しい彼女のことだ。俺の仕事がやり直しになったことを悔いているのかもしれない。


 いやいや、こちらは、掛け値なしの感謝なのだ。浄水の風力利用でも、俺のために作ってくれたナイフのことでもそうだが、彼女の疑問や発想には、こちらも何かしら気づかされてばかりだ。

 やはり、将来のジルンディール工房を支える影の立役者は、彼女かもしれない。


 再びカリカリと草皮紙に図面を描き始めた俺――だったのだが。

 リトリィが、隣の席に座ったまま、動こうとしない。


「リトリィ、先に寝ていいんだよ?」


 しかし彼女は、動かない。


「リトリィ?」

「……ムラタさんがお仕事をがんばっているのに、わたしだけ寝るわけにはまいりませんから」

「いや、これは俺が頑張るべきことだから。リトリィはちゃんと寝てくれよ」

「でも……」

「なんだ、俺のこと監視してなきゃ心配なのか? 俺って、そんなに信用ないかな?」

「そんなわけ……!」

「だったら、もうリトリィは寝て、明日、俺はどうせ寝坊するに決まってるから叩き起こしてくれよ」


 なにやら釈然としない様子だったが、その顎をとらえて彼女の頬を押さえると、たっぷりとキスをくれてやる。


「……じゃあ、お休みリトリィ」

「……ずるい、です」


 リトリィの目尻に、じわりと涙が浮かぶ。


 うわ、慣れないキザったらしいことしたら彼女を泣かせてしまった!?

 ああもう、くそっ、俺の馬鹿野郎!


「ご、ごめん、嫌だったか!?」


 慌てて謝る。不快にさせるつもりなんてなかったのだ。

 しかし、リトリィの反応は予想外のものだった。


「……どうして、ムラタさんが謝るんですか?」


 すでに真っ赤になった目で、だが小首を傾げる。


「だって、いま嫌だったんだろ?」

「何がですか?」

「え?」

「え?」


「いや、泣いてるから……」

「だ、だってそれは、ムラタさんが、その――」

「俺が、なに?」

 俺の問いに、リトリィは頬を押さえて首をぶんぶん振る。

「か――」

「か?」

「……かっこいいんですもの!」

「……は?」


 ――何を言っているんだ?

 開いた口が塞がらない俺の前で、リトリィがくねくねし始める。


「だって、わたしのあごをくいってさせて、そこからながーい口づけをくださって! それが終わったら、薄く微笑みながら『……お休み、リトリィ』って!!」


 ……あれ?

 泣いてたんじゃなかったのか?


「それに、前は口づけをくださるとき、慣れてなくて眉をきゅっとしてて、それが可愛かったのに、今なんてすごく自然で、舌もすごく絡めてきて! いつの間にこんなにかっこよくなってくださったのって!」


 いや、あの、その……何? その、褒め殺し的な何か。


「それに、口づけをくださってる間、ずっと頬をなでてくださってて! もう、ぞくぞくしてどきどきしてたんですっ!」


 きゅーん、と、何やら可愛らしい声を上げながら、尻尾をバサバサ振り回している彼女は、いつもの落ち着いたリトリィではない。


「ああ、この人がわたしの旦那さまになるんだって! わたし、この人に添い遂げるんだって!

 もう、もう……!!」


 きゅーん! と、謎の擬声語を発しながら身悶えし続けるリトリィに、ちょっと、ついていけない。

 あー、あれかな? 寝る前のハイテンション状態ってやつ?


 なんにせよ、悲しくて泣いているのではなかったことが何よりだった。




 ……何よりだったが、これは一体どういうことだろう。

 図面を引いている目の前で、こっくりこっくり船を漕ぐリトリィ。

 眠いならベッドで寝ればいいのに、「ムラタさんが頑張ってるのに、わたしだけ寝るわけにはいきませんから」と、頑として聞かない。


「リ〜トリィ?」


 呼びかけるだけでは、もう起きなくなった彼女。このままだと、近いうちにテーブルに突っ伏してくるだろう。そこまで放置するのは、さすがにかわいそうだ。

 寝床へ抱っこして運ぶことにする。


「ムラタ……さん?」


 慎重に、揺らさないように、ついでに自分の腰も痛めないようにゆっくりと抱え上げたつもりだったが、起こしてしまったようだ。

 が、すぐにしだれかかってきて、そのまま、可愛らしい寝息を立て始める。

 まあ、起きなかったのはよしとしよう。


 ベッドに寝かせると、今度は絡みつくようにしがみついてきて、放そうとしない。

 寝ているとは思えない力でガッチリとホールドしてくる。

 しばらく腕をほどこうと奮戦し、しかし体をかがめた状態で力が入るはずもなく、仕方なく、リトリィの上に覆い被さるように、ベッドに横なる。


「リトリィ……本当は、起きてるんだろう?」


 しばらくリトリィの反応はなかったが、


「……ふふ」


 ――やっぱりだ。起きていた。


「だって、初めてだっこされたんですもの。ほんの少しの間でしたけど、うれしかったんですよ?」

「それは分かったから、放してくれないか?」

「……放すと、思いますか?」

「思う」

「……いやです、って言ったら?」


 いたずらっぽい笑みを浮かべて言うリトリィにたっぷりと口をふさがれたあと、俺はため息をつきながら答える。


「リトリィが、俺を困らせるようなことを、これ以上続けるわけがない」

「……さあ、どうでしょうか?」


 ここは大真面目を通す。

 リトリィも大切だが、ペリシャさんから受けた依頼――依頼と呼べるほどのものでもなく、要望程度のものだが――は、今後のこの世界での、俺の生き方を左右するかもしれないものだ。ここで存在感を示しておきたい。


 彼女を養っていく、独り立ちして家族として一緒に暮らしてくためには、仕事が必要だ。

 今回の件は、その実績作りの第一歩だ。もし、ツーバイフォー工法あらため一×三いちさん寸工法が有用性を示せたら、リトリィを妻に迎える準備が一歩前進することになる。


 一軒建てたぐらいで即、事務所を立てることができるとは思わないが、現場で大工と一緒に作業をすれば存在感もアピールできるかもしれないし、そうしたら、早くて頑丈な家をたてるムラタ、という口コミは、次の仕事を呼び込んでくれるかもしれないのだ。


 そう、この世界での初仕事はほぼボランティアになるかもしれないが、自分の将来性を売るための投資だと思えばいい。つまりこの図面は、大げさに言えば、俺の――俺とリトリィが共に生きる未来へとつながる図面なのだ。


 今は寂しい思いをさせるかもしれないが、リトリィはさとい女性だ。きっと分かってくれる。


 リトリィははじめこそ微笑みを浮かべていたが、俺の表情が硬いまま変わらないことを悟ると、その笑みは寂しげなものに変わり、腕を緩めた。


「……ごめん、なさい……」

「いや、ごめん。おれも、今夜中にやりたいことだからさ、アレは」

「ペリシャさんのお願いのこと、ですか?」

「ああ、『明日までには』って、俺が言っちゃったからな。約束は守らないと」

「やくそく……」


 リトリィが目をそらす。


「……じゃあ、図面が出来上がったら、今度はわたしに、お時間をいただけますか?」

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