閑話⑤:初めての約束(1/2)
ペリシャさんとのお話の中で出ていた、「今夜」のお話――ムラタさんに、子種をねだる、という話。
ムラタさんからお話を聞いていなかったと言われ、ちょっぴり胸の痛い思いをしながら、でも恥ずかしい今夜の営みのお話も聞かれていなかったかも、と、ちょっぴり期待して尋ねてみたのですが……
「あ……、ああ、いや、今夜の話は、有効だ。覚えている」
「――~~~~!!」
よりにもよって、そっちの話は聞き覚えていらっしゃるなんて!
もう、どうしてそんなお話ばかり、耳に入るんでしょうか!
いえ、うれしいです。うれしいですけれど、それじゃわたしが、
私が顔を押さえてうつむいていると、ムラタさんが優しく微笑んで、こうおっしゃいました。
「……大丈夫だよ、なるべく早めに終わらせるようにするから」
――――!!
まさか、その、ええと、初めて睦み合うわたしの体を気遣って?
でも、でもでも、こんな真昼間から、その、
いまもそこに、子連れで人が歩いているというのに!
ああ、でも、
それじゃまるで、
そんな身勝手な要求、できるわけないじゃないですか!
「だっ――大丈夫です! わたし、がんばります! ですからムラタさんのお気に召すままに、どうぞ、存分に――」
存分に、抱いてください――
などと、こんな真昼間から、しかも普通に人々が近くを歩いているこの場で言えるはずもないじゃないですか!
でも、一番言いたかった言葉を言えなかったわたしに、でもムラタさんは察してくださったみたいで。
「大丈夫だって。俺だって、いつまでも、リトリィを一人になんてさせないから」
髪を撫でながら、そうおっしゃってくださって。
――これ、あれですよね?
今夜、仔を授けてくださる、そう言いたいんですよね!?
髪を撫でながらって、つまりそういうことですよね!!
心臓が飛び出しそうにどきどきして、頭には血が上って首から上はもう沸騰しそうで。
やっと、やっと、わたし、ムラタさんと――!!
「わ、わかりました! わたし、がんばります! がんばって今日、たっ、――」
もう、結局、何を口走ったのか、自分でもよく覚えていませんでした。
「一刻ほどで戻るから」
そう言って、部屋を後にしてからもう、一刻は過ぎてしまったのに。
まだ、ムラタさんは戻ってきません。
なにかあったのではないか。
怖い想像ばかりが頭の中をぐるぐる回ってしまいます。
ムラタさんを探しに行こうにも、どこに行かれたかが分かりません。
ムラタさんに避けられていた、あのひと月間もつらかったですが、まだ、おそばに居られる時間がありました。
でも、いまは。
どこかにいらっしゃるのは分かっていても、どこにいらっしゃるのかが分かりません。
ただ待つ、ということが、こんなにつらいことだったなんて、知らなかった。
今夜は、抱いてくださるのではなかったのですか。
今夜は、仔を授けてくださるのではなかったのですか。
それとも、わたしの勝手な思い込みだっただけですか。
あなたはやっぱり、わたしに仔など産んでほしくないということですか。
あなたのために、綺麗にしました。
昨日していただけたように、ちゃんと、体も拭きました。
わたしはもう、あなたのために、ぜんぶ準備したんです。
どうして、どうして帰ってきてくださらないんですか。
わたしはやっぱり、あなたにはふさわしくないんですか。
もう、約束の一刻は過ぎました。
何度も外を見て、
人影を見てはあなたがお帰りになったのかと思い、
何度もため息をつきました。
いま、どちらにいらっしゃるんですか。
わたしと顔を合わせるのが、お嫌なんですか。
……ごめんなさい。
わたしは悪い子です。
あなたにはあなたの都合があるって分かっているのに。
それでも、あなたの一番でいたいって、思ってしまうんです。
あなたに、ずっと独占されていたいって思うんです。
あなたを困らせるつもりはないんです。
ただ、おそばに置いてほしいだけなんです。
……ごめんなさい。
ごめんなさい。
やっぱりわたし、じぶんのことしか考えられない。
ごめんなさい。
わたしを嫌わないでください。
わたしを一人にしないでください。
ごめんなさい。
あなたのおそばにいたいんです。
ずっとずっと、おそばにいたいんです。
ごめんなさい。
……ごめんなさい。
「――ごめんなさいね、ノックはしましたけれど、お返事がなかったものですから……」
ふいに、聞き覚えのある、優しい声がして、わたしははっと顔を上げました。
「まあ! リトリィさん、どうしたの? どうしてお一人で泣いていらっしゃるの?」
タキイ婦人――ペリシャさんが、目を丸くして、戸口に立っていました。
「……そう、うちの人と飲みに、ね? ええ、聞いていたわ。うちのひとも、まだ帰ってこないみたいですけれど」
どうしてここにペリシャさんが来たのかは、分かりません。
ただ、もう、ペリシャさんを見たときに、自分の気持ちが抑えられなくて、まるで母に飛びつくようにして。
ずっと、ずっと泣いていました。
「うちの人も、一刻ほどで戻るって言っておいて、もう一刻半は過ぎましたからね。ひょっとして、こちらにお邪魔しているのではと思ってね?
――もしや、若夫婦の大切な夜に迷惑をかけていないかと思って、お邪魔いたしましたのよ」
意味ありげに寝台を見遣りながら、ころころと笑うペリシャさん。
昼間もそうでしたけれど、既婚女性というのは、その……そうまでも、あけすけになることができるんでしょうか。わたしもそうなってしまうかもしれないなんて、とても想像がつきません。
「……わたしは、まだ、妻どころか、抱いてもらってすら、いません……」
「そんな、二人で一部屋なんでしょう? 誰でもしていること、今さら隠さなくても――」
笑い飛ばそうとしたペリシャさんですが、うつむいたままのわたしに、察してくださったようです。
「……あらまあ、ほんとうに?」
恥ずかしいというより、自分が抱いてすらもらえない、魅力のない存在にしか思えず、惨めな思いでうなずきました。
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