第73話:かっこいいひと
「ムラタさん、とってもお話が上手だったんですね。知りませんでした」
さっきまで俺と一緒に笑い転げていたリトリィだったが、今は少し複雑そうな顔をしている。
「……本当は、女の人のこと、とってもよくご存知なんじゃないですか……?」
待て、なぜそうなる。
「なんか誤解してるみたいだけど、さっきのあれは、ビジネスモードに入ってたからできたことなんだって。
相手を女の人じゃなくて、商売相手だと自分に言い聞かせて、やっと実現出来てるだけだ」
だが、なおも疑惑は晴れぬらしい。うつむき加減の上目遣いで、じっとこちらを見つめてくる。
「……本当に?」
「ほんと」
「今まで、わたしの前でおどおどしていたのが、ほんとうのムラタさん?」
……ぐふっ。
やっぱりおどおどしていたように見られてたのか。
「……ああ、そっちのヘタレが本当の俺」
なおもじっと見上げる彼女に、何も悪いことはしていないはずなのになぜかどぎまぎしてしまう。あ、ヘタレモードに帰ってきた感じだ俺。
そんな俺の内心を見透かすかのように、リトリィはふっと表情を和らげる。
「さっきのムラタさん、かっこよかったです。優しいムラタさんが好きですけど、言葉巧みに一歩も退かずに堂々としていた姿も、素敵でした」
そう言って、握る手に力が込められた。
俺もそれに応えて、そっと力を込める。
リトリィが微笑みを向け、そしてそっと身を寄せてくる。
すれ違う人々の中には、やはり興味本位に不躾な視線を向ける者、不快そうな目を向ける者など、さまざまな奴らがいる。
だが、俺の人生に対して関わりのないその他大勢のやつらのことを、いちいち気にしても仕方がない。俺は彼女を選んだ、それを誇るだけだ。
「ムラタさん、お昼にしませんか?」
ひとしきり笑ったあと、リトリィが屋台を指しながら言った。
時はもうすぐ七刻ごろだろうか、太陽が中天にさしかかろうという時間帯。広場の屋台では、美味そうなものがいい匂いを放っている。
この世界の食べ物など、リトリィの手料理以外は昨日と今朝食べた宿の食事以外は全く分からない。とりあえず、リトリィの嗅覚を信じて選んでもらうことにした。
「ムラタさんは、お肉とお芋と、どちらがよろしいですか?」
聞かれて肉、と即答してしまった俺に、リトリィがくすりと笑う。
「お肉ですね? 少々お待ちください」
そう言うと、いかにも従者然とした振る舞いで俺に
……ああ、そういうことか。
彼女が、個人的な買い物をするのではなく、俺の命令を受けて購入する――そういうパフォーマンスが必要だったということか。
彼女に、そんな態度をとらせてしまう、そんな環境に今、俺たちはいる。
――門外街のことはまだよく分からないが、少なくとも城内街というのは、どうにも俺には合いそうにない。
ただ、リトリィが買ってきたものは、実にうまそうだった。肉を包んだクレープというかトルティーヤというか、とにかくそんなようなものを受け取ると、あらためてベンチに腰掛けて、二人で並んで頬張る。
俺が渡されたものは、味は塩と、
肉を包んでいる皮はまさに固めのクレープといった感じで、なんというか、何かの穀物の味、それしかない。ただ、しっとりとした固めの食感は好みだ。
肝心の肉の方は、強いうまみと甘辛い味付けが、なんとも不思議な味わいだ。若干の酸味は、魚醤ゆえか。癖の強い独特な風味だが、悪くない。食べ慣れた焼き鳥のタレのような味わいとはまた違った、また食べたくなる味だ。
それに対して、リトリィの方は、シンプルに塩焼きといった風情である。ただ、見た目は焼いた肉色をしているが、スパイシーな香りがする。見た目は、パセリの粉末でも散らしたかのような、細かな緑の葉の破片がまぶしてある感じだ。
「リトリィ、どんな味?」
興味がわいて、聞いてみる。
「どんな味、ですか? 塩と香草の香りが、自然な感じで美味しいですよ?」
香草――ハーブか。どんな感じなのだろう。
「一口、食わせて?」
つい、男友達に言うのと同様に気安く聞いてしまい、慌てて撤回する。
リトリィは一瞬驚いたようだったが、
「ムラタさん、
と、いたずらっぽく微笑んで差し出してきた。
前は知らずにひょいパクをやったのだが、あらためて婚姻儀式と知ってかじるのは、なかなか勇気らしきものがいる。
が、リトリィの挑発だ、あえてそれに乗っかってやろう。というわけで、リトリィのかじった跡を上書きするようにかじってみせる。
彼女は、自分から差し出してみせたくせに、まさか自分がかじったところをそっくりそのままかじられるとは思っていなかったらしい。
目を真ん丸に見開き、ついで恥ずかし気に左手を頬に当ててうつむいてしまった。
うん、可愛い。
味は、塩味にバジル――と似ているが、また違う刺激のある、ハーブ焼きだった。ちょっとハーブ的な癖が強すぎて、正直、あまり好みの味ではない。だが、美味しいといったからには、リトリィはこういう味が好きなのだろう。
リトリィと暮らすとなると、こういった味にも慣れていかなければならないのかもしれない。もしかしたら、彼女が俺に合わせようとしてくれるのかもしれないが。
「俺のも食うか?」
そう言って差し出すと、リトリィは始め、俺がかじっていないところを選んでかじろうとした。しかし何やら思い直したらしく、俺と同じように、俺がかじったところをかじってみせた。
「――おいしいです」
うつむきながらもぐもぐやっているが、俺と同じところをかじったことで、いろいろ思うところがあったのだろう。にへらにへらした顔で、本当に幸せそうにしている。
うん、とても可愛い。
食べ終わると、しばらく陽気に当たりながら人々の行き交うさまを眺めていた。
リトリィが肩に頬をのせるようにもたれかかってくる。そちらを見ると、リトリィもそれを察したらしく、目を向けてくる。
ふふ、と微笑む彼女に、こちらもつい笑いかけてしまう。
何気ない時間。何気ない、幸せな時間。
こんな時間が、ずっと続けばいい。
冬とは思えない、暖かな陽気の中で、こうして、大切な人と過ごす時間。
日本では、決して得られなかった幸せな時間。
――どうして俺は、日本ではあんなに、女性に対して臆病だったんだろう。
確かに、リトリィとの出会いは俺にとって幸運の極みだった。こんな素敵な女性が、俺のことを好いてくれる日がくるなんて、想像だにしていなかった。
彼女の人柄に触れて、今じゃすっかり彼女の虜だ。
「どうか、しましたか?」
穏やかに微笑む彼女に、そっと顔を近づけてみる。
「……ひとが、みてますよ?」
どうせそう何度も来る場所ではない。見られて何を思われようと、構うものか。
「……ふふ、強気なムラタさん、かっこいい――」
みなまで言わせず、そっと、その薄い唇をふさいだ。
早めの昼食を済ませた俺たちは、もう一度、例の軍人の家に行った。
相変わらず、みすぼらしい集合住宅である。ドアも蝶番がいたんでいるのが、ドアが閉じられた状態からもよくわかる。おそらく蹴り飛ばして開けているのだろう、ドアの左下の方の塗装が剥げているのも痛々しい。
俺は、あえて翻訳首輪を外すと、ドアをノック。深呼吸ののち、挨拶をした。
「こんにちは。私は日本から参りました、村田と申します。
それまでひっそりとしていた家の中から、とたんにガタガタと音が聞こえてきた。荒い足音と共に、ドアが乱暴に開かれる。
「――日本、だと?」
厳しい目つきの老人が、白髪を振り乱すようにドアを開け、こちらの姿を認めると両の二の腕に掴みかかってきた。
「お前さんか!? お前さんだな!? いま
「ええ、申し上げました。私は日本から参りました、村田と申します。瀧井さん、ですね?」
「お……おお、おお……!!」
老人は、感極まったように涙をこぼした。
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