第60話:思慕(6/7)

 一緒に食べようと声をかけたこと。

 家族なら一緒に食べるのが当たり前だと思っていた、だから誘った――それだけのことだった。


 下心がなかったかと問われたら、そりゃ全くなかったわけじゃない。だが、そうまで喜ばれていたとなると、少々、面映おもはゆい。

 人間、何が心の琴線に引っかかるか分からないものだと思う。


 俺は日本で、いったいどのように女性に接してきていただろうか。

 ほんの二カ月ほど前のことだというのに、自分がどんな行動をしてきたか。


 ――まったく思い出せない。


 つまりそれくらい、害にもならなければ印象にも残りそうにない、当たり障りのない行動しかしてこなかった――。

 それだけのことだったのだろう。


 そもそも、俺は自分から女性に好かれようとして――相手のためを考えて、行動していただろうか。

 顧客のために必死になるのと同じくらいに、一人の女性のために努力をしてきただろうか。


 それも無しに、どうして自分に彼女ができないと僻んでいたのか。行動なしに成果が得られるはずがないのに。


 ウチの事務所のヘラヘラナンパ社員だった三洋も京瀬も、陰ではその努力を続けていたのだろう。

 俺はあのヘラヘラぶりを時に不快に思っていたが、彼らにしてみたら、努力もなしに成果が手に入らないと最初から諦めていた俺の方こそ、イライラする存在だったかもしれない。


「ムラタさんはこんなに素敵な人なのに、どうして、ご自身に魅力がないっておっしゃるんですか?」

「……無いだろ。二十七年間、俺は、人に好かれる努力をしてこなかったんだ。当然、俺のことを好いてくれる女の子なんて一人もいなかった」


 ありのままを見てくれる女性が理想、なんて考えていたが、今にして思えば、取り繕う努力すらせずに、何を言っているんだか、というやつだな。

 ……だから、俺に男としての――いや、人としての魅力なんて、無い。


 年齢=彼女いない歴、バレンタインデーは母が存命の間は年間一個、誕生日やクリスマスにバカ騒ぎする友人はいても彼らも同じ年齢=……な奴ら。


 学校で隣の席の女子など「隣人」以外の何者でもなく、よって女子との浮いた思い出など何一つなく、最初からカノジョなど諦め作ろうとも思わなかった日々。


 自分から獲得するのではなく、甘いラブストーリーは向こうからやってくるものだと思い込んでいた、本当にどうしようもないヤツだった。

 そして、それを全く理解していなかった。


 そりゃあモテるはずがない。

 俺だからモテなかったわけ。俺がモテるための努力を、ただそれだけのことに――いまさらそんな、当たり前のことに気づく、そんな男なのだから。


 ところが、俺の言葉を聞いてなにやら妙に嬉しげな様子になったのがリトリィである。

「じゃあ、ムラタさんの魅力に気づく人がいなかったから、わたしは今、ムラタさんの魅力を独り占めできるんですね」

 すんすんと鼻を鳴らし、尻尾をゆらしながら、頬をそっとなめてくる。


 俺に、魅力? ないない、あるわけがない。

 あるとしたら逆に聞いてみたいものだ。

 そう思うと、なんだか少し、リトリィを困らせたくなって、聞いてみることにした。


「じゃあ、俺の何が魅力的?」

 それが自爆級の質問だと気づかずに。


 俺なんかに魅力があると連呼する娘だ、反撃用の弾薬を大量に搭載しているのは自明の理だったのに。

 我が意得たりとばかりに、リトリィは嬉しそうに――ほんとうに嬉しそうに、恐るべき劫火の口火を切ったのだ。


「いつもわたしのことを一番に考えてくださいます。お水のことも、お食事のことも、なにもかも。さっきも、わたしのために橋があるといいなって言ってくださって。うれしいです。


 わたしの作る食事を、にこにこして美味しいって言ってくださいます。がんばって作ったお料理を、好きな人に美味しいっていてもらえるの、すごくうれしいです。

 それだけじゃなくて、いつもお代わりをしてくださいます。いっぱい食べてくれる人、大好きです。


 わたしをそばに座らせて、一緒にお食事を食べてくださいます。わたし、お母さまが亡くなってから、お母さまの代わりにならなきゃって思って、お母さまと同じようにしてきたんですけど、やっぱり誰かと一緒に食べるのって、幸せです。それが大好きな人に声をかけてもらえるなら、なおさらです。


 お仕事を頑張ってるときの目がかっこいいです。もう寒い季節なのに額に汗を浮かべて、流れる汗もそのままにして、すごく真剣な目で。ほんとはお手伝いしたいんですけど、みとれちゃってわたしがお仕事にならないから、がまんしてるんです。


 お仕事がうまくいったときの笑顔が可愛かったです。手押しポンプがうまく水を出し始めたときの顔、子供みたいに顔中を口にして笑ってました。やったーって兄さまたちと抱き合って喜んでいる姿、すごく可愛かったです。


 わたしと口づけしてるときの顔、いつもすごく恥ずかしそうな顔してます。ほんとは見ちゃいけないって思うんですけど、そっと見ると眉根がきゅって寄って、いつもほっぺが上がってて――」


 戦車を紙細工のように粉砕する機関砲アヴェンジャーのごとくというか、都市を丸ごと焼き払う絨毯爆撃というか、聞いていてどんどん顔が熱くなる。背中が、頭が、ぴりぴりと痒くなってくる――!


「わ、分かったもういい! もういいよ!」

「まだいっぱいあります。えっと、このまえ『もうお婿に行けない』って言ったとき、わたしが下着の匂いを嗅いだらすごく驚いて焦って、その慌てぶりが可愛くて――」

「だから、もういいって――」

「そうそう、そういえばそのとき、はじめてわたしで精を漏らし――」

「ギャース!!!! もうやめて! 俺のライフはゼロよ!!」

「あ、それ初めて目を覚ました時のお言葉ですよね。ときどき不思議な言葉をお使いになられるところも、なんだかかっこいいです。“ライフはゼロ”って、どういう意味ですか?」

「もうやめて……ほんともうやめて……」




「――ふう、あぶねえあぶねえ。なんとか致命傷で済んだぜ……」

「致命傷って、命に関わる傷ですよね? 死んじゃうってことですよね? なんとか済む、どころじゃないと思うんですが、どういう意味ですか?」


 くりくりと可愛らしい上目遣いが眩しい。

 大真面目に質問しないでください。これはミーム、そう、インターネットミームなのです。


 ――ああ、だめだ。俺はなぜ、今夜に至るまで、こんな素直で愛らしい少女に、あんな死んだような目をさせ続けてしまったのだろう。

 それも、大きくは二度目だ。本当に、俺というやつは。


『ムラタさんは、考えすぎなんだと思います』


 考えすぎ――たしかに、そうなのかもしれない。

 リトリィという、地球人類とは違うという意味の異種生物(嫌な言い方だが)のことがどうして今、……その、『好ましい』と思えるようになったかということについては、とりあえず原稿用紙にして百枚程度は書けそうだが、それだって「であろう」をぐだぐだ並べるだけに過ぎない。


 世の中には、いわゆる一目惚れのような、理屈を超えた出会いだってあるだろう。


『あなたが好きだから、好きなんです。それ以外に、理由はありません』


 リトリィの考え方は至ってシンプルだ。まあ、あの鍛冶ファミリーの中にいれば、そうなってしまうものなのかもしれないが。


 こうして、俺の腕枕に首を載せ、ややうつむき加減に上目遣いで、じっとこちらを見つめては、何が楽しいのかときどき「ふふ」と微笑む彼女を見ていると、今まで何に怯えて臆病になっていたのか、自分自身のこれまでの行動の理不尽さに、ため息が出そうになる。


「……ムラタさん?」


 呼びかけられ、視線を彼女の目に合わせて、返事をする。


「ふふ……、呼んでみただけ――」


 そう言って、彼女はまた、そっと口づけを交わしてくる。

 思わずそのまま強く抱きしめると、驚いた様子ではあったが、彼女も、俺の背中に回した腕に力を込めてきた。


 彼女は、あれだけ冷たく扱ってきたというのに、こうまで俺を好いて、慕ってくれている。

 大した魅力もないはずなのに、俺を魅力的だと言い、そばにいてくれているのだ。

 今までの、愚かな俺の所業を、ゆるして。


 だったら、俺はそれに応えるしかない。

 いずれやってくるだろう別れに対しては……その時考えればいい。

 なにより、彼女がそう、望んだのだから。


 彼女をさらに強く、抱きしめる。左手が使えないのが残念だが、腕枕兼拘束具として、右腕にさらに力を込める。

 苦し気に首を振って見せたリトリィだが、あえてさらにその唇をふさいでみせる。

 彼女も負けじと、舌を絡ませ――


 唐突に、唇を離し。

 もう一度ふさごうとした俺に、ふふ、と微笑みかける。


「おやんちゃさん……お元気になりましたね……?」


 ――――!!


 即座に背中を向けようとしたが、それを許してくれる彼女ではなかった。

 俺の背中に回された腕には、見た目以上に強い力が籠められ、がっちりと固定されてまともに動くこともできず……!


「えっと、リトリィ、その、分かってるとは思うんだけど……」

「はい、


 ちょっと待ってリトリィわかってない全然わかってないよあのね俺も一応女の子に対して形だけでもいいから主導権を握りたいなんていう願望がちょっと待って掴むの無しってかそここするの反則でホント動かしちゃダメでだから待っ……、

 …………、

 あー……

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