第32話:共に

 木炭を砕きながら、こう考えた。

 智に働けば角が立つ。

 情に棹させば流される。

 意地を通せば窮屈だ。


 ――明治の文豪はよく言ったものだ。


 頭でっかちに考え過ぎて、大切にしたいと思ったはずの女性の想いを全力で勘違いしていた。勝手に思い込んだことをぶつけ、衝突し、一人で――いや、二人で、共に落ち込んでいた。


 勘違いしたまま彼女のためだと考えて、一人で解決できぬままに迷走していた。

 それでも、一人で、なんとかするのだと意固地になり、誰かに助けを求めることを忘れていた。


 昼食での話で、この家の職人たちの協力も取り付けた。

 アイネは手もよく出る短気な男だが、意外にも手先が器用で、こと板金加工に関しては、三兄弟の中で一番なのだそうだ。


 その彼が、穴が開いて使われなくなっていた水槽を、沈殿槽に使えるように修復してくれるのだという。あちこちへこんでいるらしいが、それをきれいに直し、穴をふさいで、沈殿槽にしてくれるのだそうだ。ついでに、飲み水用にもするのだからと、秘伝の薬剤を使って防錆ぼうせい処理をほどこすのだという。


「楽しみにしてな、これが鉄なのかって、たぶん驚くぜ!」


 などとうそぶいていたアイネだが――秘伝とは言っていたが、なぜかお茶が毎食出るほどに茶葉を蓄えているこの家だ。おそらく茶殻や酢などを使った、タンニンによる黒錆くろさび加工をするのだろう。


 ごめんアイネ、たぶん、驚かない。いや、驚いてほしいと思っているのだから、武士の情けで驚いてやるべきだろうか。


 濾過槽についてはすぐに転用できる手ごろなものがないため、しばらくは今の木桶を使うしかないだろう。いずれフラフィーが作ると言っていた。


 そして貯水槽は、さしあたっては大きな空の麦酒エール樽が工房にいくつか転がっているそうなので、当面はそれを使うことにした。ちょうど水栓もついているそうだし、水を汲みだすのが楽にできるかもしれない。


 あとは沈殿槽で、いかに鉄分を酸化させることができるか、だろう。

 一度濾過してもまた水が茶色になるのは、おそらく溶けている鉄が酸化するためだろうし、じゃあなぜ溶けている鉄が一度に全部酸化しないのかと言ったら、水中に溶けている酸素が酸化のために使い切られてしまい、全てが一度に酸化できないからなのだろう。


 つまり、金魚鉢などでおなじみの「ぶくぶく」――エアレーションがあれば水槽に酸素を送り込むことができ、酸化のスピードを速めることもできるのだろうが、もちろんこの世界に――少なくともこの家に電気などないし、電動ポンプもない。


 一緒に畑に来て、カブと菜っ葉を収穫していたリトリィが、頭を抱えていた俺のところにやってきた。


「ムラタさん、お悩みですか?」

「んー……いや、大丈夫だよ。ちょっと行き詰っているだけで――」


 ――と言いかけて、思い直す。

 自分一人で考え込まない。

 さっき、明治の文豪が残した名冒頭から、気づかせてもらったばかりじゃないか。


「……ええと、つまり、お水の中に、空気が混ざるようにすると、溶けている鉄がよく錆びて、取り出しやすくなるんですね?」


 ――実に理解が早い。なんでそんな、一度の説明で瞬時に理解ができるのだろう。初めて聞いたことのはずなのに。


「……だれかが、麦わらで、お水にぷーって息を吹き込むとか……?」


 その言葉に、リトリィがストローを大量にくわえて、大量のストローからぶくぶくやっている姿が頭に浮かんできてしまい、笑ってしまう。


「あ、ムラタさんひどい、一生懸命考えたのに!」


 そう言って、沈殿槽代わりに使っていたたらいの水をすくうと、こちらにかけてくる。

 ――やったな! 俺も反射的に水を握ってかけてやる。


 しばらくそうやって互いにかけ合い、笑い合い、そして――


「……ムラタさん、こうやって、今みたいに、お水をかき回すみたいにしたら、空気って、お水に溶けませんか?」


 リトリィが、水面を、ぱちゃぱちゃと叩くようにしながら言った。


「いや、そうかもしれないが、それをいつまでも続けるわけにはいかないだろ? ストローでぶくぶくと同じで、誰が水を叩き続けるんだ?」

「……風車かざぐるま、とか? こうやって、水に羽がかかるようにして――」


 ――――!!


 そうだ!

 別に人力に頼る必要はない、どうして今まで、それに気づかなかったんだ!

 ここは丘陵地帯、常に風が通り抜ける場所。防風林として畑に何条も木々の帯が残されているくらいに、風の力に困らない場所!


 継続的な動力。

 足りなかったピースが、今、埋まった気がした。


「そうだ――そうだ! 風車ふうしゃだよ風車! 風の力を頼ればいいんだ! すごい、すごいぞリトリィ!」


 おもわず彼女に飛びつき担ぎ上げ――ようとして、意外な重さに挫折し――同時に「お姫様抱っこ」の壁の厚さにも気づき――あらためて彼女を抱きしめる。


「え――あ、あの? ムラタさん?」


 俺のはしゃぎようについてこれないリトリィが、目を白黒させている。

 いいのだ。

 これでいいのだ。

 やっと、ここに帰ってきたのだ。

 ――共に歩む道に。




 この世界には、日本で言うところの紙はないらしい。羊皮紙か、あるいはパピルスに似た草皮紙そうひしが使われている。ただ、パピルスはあまり折り曲げに強くないそうだが、この草皮紙はけっこうしなやかだ。どんな植物を使っているのかは分からないが、これがあるなら確かに紙は無くても問題ないのかもしれない。


 リトリィに草皮紙を何枚か用意してもらい、食堂のテーブルでさっそくペンを走らせる。


 風車と言っても、いきなり風車小屋を作るようなところから始めることはできない。

 まずは、高い位置の勢いある風の力をとらえて回転力に変えるためのプロペラと、それを支えるための支柱、回転力を下の水槽まで伝えるためのシャフト。プロペラの回転力をシャフトに伝えるための歯車。その他諸々。


 ただのメモでしかないが、イメージさえつかむことができれば、彼らもモノづくり職人、応用を利かせてなんとかできるだろう。


 風の力を使って水面を波立たせるには、水車のようなものを動かすことができればいいが、風の力では水圧に敵わないかもしれない。ギア比には悩むことも多くなるだろう。そのあたりは、試行錯誤を繰り返してみるしかない。


 ただ、昨日までの、一人ですべてを抱え込んでいた時よりも、格段に前進している感じがして、それが嬉しい。

 俺と、鍛冶屋の野郎三人と、そして――リトリィと。


 ――そして、リトリィのことを、完全に忘れるほどにほったらかしていたことに気づく。

 ぞくりと背中に冷たいものが走り、キッチンにいるはずのリトリィの方に向かって、弾かれたように立ち上がる。


 果たして、リトリィはそこにいた。

 目を伏せ、だが口元をほころばせながら、芋の皮をむいている。

 今の今まで気づいていなかったが、なにやら鼻歌のようなものを歌っているようだ。

 立ち上がった音に気づいたのか、こちらの方に目をやり――


 小首をかしげるようにして、微笑んでくる。


 『天使だ』と、アイネは言った。

 ――ほんとうに、そうだ。

 何度見ても、彼女の微笑みは、天使のそれだと思う。――いや、天使のそれだ。断言できる。


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