第30話:めざめ(1/2)

「ムラタ、他に欲しいものはねぇか? ちょっとした小道具なら、合間に作れるかもしれねぇぜ?」


 ああ、リトリィが怖いぶん、アイネが俺の味方であるかのようだ。たとえ、「敵の敵は味方」レベルの錯覚だとしても。


「そうだな……砕いた木炭を詰めるときに使いたいから、片手で持てるシャベルがあると嬉しい。底が平らになってると、なおいい」

「そんなもんでいいのか? 短剣とか手斧とか、そんなのでもいいんだぜ?」

「いや、いい。そっちはそっちの仕事を頑張ってくれれば」


 ああ、男同士の会話っていい。女性と違って気を遣う必要がない。リトリィが絡むと面倒くさいアイネだが、職人として付き合うならなかなかに気持ちのいい奴だ。


 しかし、そんな楽しい時間も、早飯が基本の彼らにあっては、長く楽しめない。

 そもそも、彼らも秋の収穫に向けての大量注文を捌かなければならない、忙しい身なのだ。

 引き留めるわけにもいかない。


「おめぇは相変わらず食うのがおせぇな、そんなんじゃ生きていけねぇぞ」


 そう言って、フラフィーが先端をかじったソーセージを寄こしてきた。

 おい、お前それが客に対する礼儀かよ。

 笑いながら受け取り、かじってみせる。

 男たちは食堂を出て、工房のほうに向かっていった。


 ――そしてリトリィと、食堂に二人、残される。

 ふたりきりに、……!!

 ヤバイ、俺も早く食って出て行こう!

 慌てる俺の隣に。


「――ふふ」


 リトリィが、座る。

 微笑みを浮かべて。


 ――誘っていないのに、自分から。

 これまでなら、なかった姿。


「やっと、ムラタさんを独り占めできます」


 その言葉に、耳を疑う。

 いま、彼女は、なんて言った?


「麦焼きのお味は、いかがでしたか?」


 ぐ……今、それを聞くか。

 『鉄錆味の水で流し込んだんだろう?』

 そう言いたいのか。

 ――そう邪推した俺に、リトリィは微笑みを浮かべたまま、続ける。


「ムラタさん、前にそのまま召し上がってらっしゃったから、ジャムをつける習慣がないのかなって思って、生地にジャムを練り込んでみたんですけど」


 ジャム――言われて思い出す。

 確かに美味しかった。初めて食べた、あの麦の味しかしない麦焼きビスケットと違って。


「あ……ああ、美味しかったよ。甘酸っぱくて、でも甘すぎなくて――すごく、美味しかった」


 なんとかして、その美味しさを言葉にしてみる。

 ――相変わらず貧相な食レポに、我ながら絶望したが。


 しかし、リトリィは途端に、満面の笑みを作った。


「よかった! ああいうの、初めて作ってみたんです。焼くと酸味が飛んじゃうから、どうかなって思ってたんですけど」


 嬉しそうに――本当に嬉しそうに、両頬を手で覆いながら、笑顔で顔を振り続ける。ばっさばっさと音がするので目を向けると、彼女の椅子の背もたれの後ろに垂れ下がった尻尾が、乱暴なほうきのごとく荒ぶっていた。


「うれしい……うれしいです! ムラタさんに、美味しいって言ってもらえた……!」

「お、大げさだな……」


 すると、リトリィが急に真面目な顔を作る。

 上半身を突き出し、まっすぐに俺を見上げる眼差しがあまりにも真剣で、ついのけぞり気味になってしまう。

 ……その胸元に目がいってしまうのは男の悲しいサガだ、断じて下心は――

 ……ごめんなさい。


 そんな俺の情けない葛藤など全く気付く様子もなく、リトリィは続けた。


「ムラタさん。好きな人に褒めてもらえるって、とっても、うれしいことだと思いませんか?」


 素直に考えればその通りだ。だが、突然の問いかけに、言葉が詰まる。


「そりゃ、嬉しいだろうけど……」

「じゃあ、大げさじゃないですよね?」

「そ、それは、まあ――」

「じゃあ、それで納得してください」


 そして、また、にこにこ顔に戻る。


 ――ん?

 好きな人に、褒めてもらえるのは、とても嬉しいこと……?

 それは分かる

 分かるが――

 で、……?


 隣で、いつものパンにザワークラウトを刻んだものを挟んで、両手で持って少しずつかじる――以前、真似させたあの仕草で食べているリトリィを見る。

 にこにことパンをほおばる彼女は、アイネが言っていた「毎日泣いていた」人物とは、とても思えない。

 感情をコントロールする術に長けているのか、それとも仮面と割り切っているからこそできるのか。

 こちらの視線に気づいたらしく、彼女は再びこちらを見上げ、笑顔になる。


 微笑んだ、ではない。

 全力で作る笑顔。

 その、やや伸びている犬歯――牙と呼んだ方がいいか――すらも、なんだか愛らしいと思えるくらいの、笑顔。

 たとえ犬の顔であっても、その、顔全部で幸せを表現するような、こちらも思わずつられて笑顔になってしまうくらいに――


 だから、そのまま幸せのおすそ分けをいただきます、とばかりに、思わず、口元についていたザワークラウトの破片をつまんで、食べてしまったくらいに。


「ひゃ――!?」


 そう、やった……

 ――やってしまったのだ!


 女性の唇――リトリィに人間のような唇はないが――についた食べ物をつまんで食べる、少女漫画でも今時なさそうな――いや定番でありそうな?――行動を!


 リトリィは短い悲鳴を上げたあとそのまま。

 俺も悲鳴を受けて食べた瞬間の状態のまま。

 ――お互い、時間が凍り付いたかのように固まっていた。


 いや決してセクハラをかましたかったとかそういうことではなく、もちろん嫌がらせのつもりも毛頭なく、強いて言うなら、俺の姪――小児を相手するような――

 いやそれはそれで妙齢の女性に対して失礼なのは間違いないんだが!

 あああ! 黒モード中のリトリィにこんな事したら、ますます陰険な仕返しをされるのは確定的に明らか――


 俺は頭を抱えたくなるところを超人的な自制心で抑え、座り直して顔はまっすぐ前を向け――目をややリトリィのほうに向けつつ――背筋を伸ばして手は軽く握って太腿の上、観念して裁判官リトリィの沙汰を待つ。


 リトリィはというと、両手で鼻面を覆い、首――というより全身でゆっくり体を左右に振り続けている。椅子から垂れていた尻尾は、揺れるリトリィの体と関係なしにばさばさと大きく振られ、目をつぶり、なにやらぼそぼそとつぶやいているようだが、よく分からない。


「……あー、あの、リトリィ……さん?」


 放っておいたらいつまで続くのかと思うほど延々と揺れているリトリィに、仕方なく声をかけてみる。


「はいっ!?」


 これまたびくんとしたリトリィ、全身総毛立ち背筋をのばし、尻尾も跳ね上がる。

 しまった、これはこれでまたリトリィの気分を害したに違いない。あああ、どこまでも俺という人間は。


 リトリィはというと、なにやら両手で口元を押さえつつ、目を伏せがちに、しかしちらちらと上目遣いにこちらを見上げてくる。


「あの……ムラタさん?」

「はいっ! なんでしょうかリトリィさん!」


 あらぬ方をにらみつけるように、全身全霊で背筋を伸ばしている俺に、リトリィがためらいがちに聞いてくる。


「……あの、わ、わたしの、見間違いじゃない、ですよね? いま、わたしの口元についていたもの……食べましたよね?」

「はい! リトリィさん! 不肖わたくしムラタ、リトリィさんの口元についていたものを食べました!」


 誤魔化したら絶対にろくでもない報復が来るような気がして、全力で返答する。


「……どうして、敬語なんですか?」

「はい! なんとなくであります!」


 単に黒モード発動中のリトリィの機嫌を損ねたくないだけだ。

 ――そう、怖いのだ!


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