第29話:気づき(2/2)

 食堂では、リトリィがキッチンのカウンターで後片付けをしているところだった。

 すでに洗い物は終わったようで、積み上げられた皿を拭いては、戸棚に戻していた。


 なんとなく部屋に入りづらくて、入り口に立ったまま、彼女の姿を見つめる。


 彼女の姿をまじまじと見た機会は少ないが、いつも、たったひとりでこの作業をしている。

 俺たちの世話を終えてから、一人で行っている、彼女。


 アイネの話を信ずるならば、二人の兄弟子よりも優れた素養を持ち、親方のもとで修行を続けながら、しかし彼らを支える道を選び、黙々と歩む彼女。

 水汲みの手間を減らすことができたら、きっと彼女の鍛冶師としての時間を増やすことができる。

 そうしたら、彼女はさらに力をつけ、彼女の望む生き方をしやすくなるはずだ。


 パンを包んでいた布だけそっと返し、すぐに畑に向かうつもりだったのだが、皿を拭く彼女に思わず見とれてしまう。


 いつもの貫頭衣、いつものエプロン。飾り気のないシンプルな服は、だがそれゆえに彼女の清楚な美しさを引き立てているように感じる。


 金の体毛は朝日を受けて、きらきらと輝いているようにすら見える。

 背中のあたりで先端だけリボンで縛られた、長い髪。ややくせっけのある、踊るようなふわふわの髪。


 長い髪が女性の美を表すというのは、もしかしたらこの世界でも共通なのかもしれない。そうだとすれば、鍛冶師としてはおそらく不利なのだろうが、化粧っ気のない彼女なりの、女性らしさの主張なのだろう。


 そんな彼女が、目を伏せがちに皿を拭き、そして棚に皿を戻す。


 この女性を、俺は、この数日間、何度も泣かせてきた。


 その事実に、俺は、どうしようもない胸の痛みと、自己嫌悪の嵐に揺れる。

 あれほどまでに愛らしいと思い、愛おしいと感じた女性を。

 俺は。


 だから――


「……ムラタ、さん……?」


 彼女と目が合ったとき――とき、俺は、何も言えなかった。




「親方様が、今朝、畑から戻ってらっしゃったとき、すごく、興奮してらっしゃいました。あなたのこと、すごいやつだって。あんなもので水をきれいにすることを思いつくなんてって」


 マグに注がれた茶からは、湯気が立ち上っている。

 わざわざ、俺のためだけに、火を焚き、湯を沸かしてくれたのだ。

 ――リトリィが。


 テーブルの、俺の正面に座ったリトリィは、穏やかな微笑みを浮かべている。

 俺は、単に弁当の包み布を返しに来ただけなのに、彼女に引き留められ、茶を勧められ、そしていま、こうしてテーブルについてしまっている。

 ……実に居心地が悪い。


 真正面に座った彼女は、なにを考えているのか、微笑みを絶やさない。

 俺に対して言いたいことはあるだろうに、何も言わず、ただ、だまって座っている。


「……リトリィは、怒っていないのか? その、俺がしてきたことを」


 マグの茶が半分になるまで、時間をかけて啜り続けて、それでもずっと、俺を見つめて微笑んでいる彼女に、ついに耐えきれなくなって聞いた。


「どうして、わたしがおこってるって思うんですか」


 微笑みを浮かべながら小首をかしげる彼女。


 怒りを隠してあえてとぼけて見せているのか、それとも本当に怒っていないのか。

 正直、分からない。前者だったら、相当な演技力だと思う。

 いや、自分の目が節穴だけなのかもしれないが。


「わたし、うれしいんです。だってムラタさん、今日は自分から来てくださったんですから」

「……今まで、意地の悪いことばかり言ってきたぞ、俺」

「でも、朝ご飯を食べてくれて、布も届けてくださって。わたし、うれしいです」


 本当に嬉しそうに、にこにこしている。


「昨日、あんなことおっしゃってたから、わたし、もう、だめなのかなって。――期待しちゃ、いけないのかなって。

 ……だから、今、とってもうれしいんです」


 見ていて、こちらも胸暖かくなる顔。目を細め、口元を緩ませている、その笑顔。

 ――作り笑いがこれだったら、相当に恐ろしい。


「親方様も、お兄さま方も、ムラタさんのこと、すごく期待してるみたいです。わたしではムラタさんのお邪魔になると思うので、お手伝いできないのが残念ですけど……」


 ぐ……

 嬉しいと言った直後にくるか。

 やっぱり、相当に怒っているようだ。

 今朝、俺が畑の井戸にいることを知っていてなお来なかったのは、そういうことか。


 これは間違いなく皮肉だろう。――家族は期待しているようだが、自分は、邪魔者扱いしたお前のことなど手伝わないぞ、そう言いたいに違いない。


 ――胸が痛い。

 邪魔者扱いした自分が悪いのだが、今、ここで、あたたかな、穏やかなその笑顔で言われるのは、かなり堪える。


 つまり俺は、彼女にそのような対応をだけのつらい思いをさせてきた、ということなのだ。


 ならば、その柔和な笑顔は、きっと俺と彼女の間に引かれた、境界線に違いない。

 貼り付けられた笑顔は、仮面であり、壁なのだ。それが、俺という人間との、今後の付き合い方なのだ。


 彼女は、俺がいる限り、としては接するのだろう。

 あくまでも、隣人として。


 ――いまさらだったのだ。

 許しを乞おうと考える、だったのだ。


「ムラタさん」


 食堂を出ようとしたとき、リトリィから声をかけられた。

 彼女から声をかけられるなどとは思ってもみなかったから、驚いて振り返る。


「がんばって、くださいましね」


 そう言って彼女は、麦焼き――“ビスケット”を布に包んで渡してきた。

 ――、きたか……。


 ジャムをどうとか言っていたが、その瞬間の記憶は、あまり残っていない。

 ただ、彼女のに、目もくらむばかりの失望に打たれていた。

 この数日の、あの苦しい思いの、ある意味引き金となった麦焼きビスケットを、あえて手渡してくる、彼女のその仕打ちに。


 顔が強張ってうまく動かない中、むりやり笑顔を作り、ありがとう、という以外、何もできなかった。

 彼女の穏やかな笑顔が、醜く歪んで見えた。

 初めてその笑顔を、醜悪な顔だ、と思ってしまった。

 そして、をして、自分の今までの行動を、呪った。




「ムラタ、やっぱりでかい『たらい』か何か、あったほうがいいか?」

「そうですね、出来れば深めの器があるとありがたいです。あと、溜まった錆を掻き出すのは手間ですから、それを抜くために、底に栓があるといいのですが」

「栓ねぇ……水漏れがしねえようにしなきゃならねえんだよな?」

「難しいですか?」

「馬鹿野郎、俺らを何だと思ってやがる。何回開け締めしても緩んだり水漏れしたりしねぇヤツをこしらえてやるよ」

「さすが親方、お願いします」

「ムラタ、実はよぅ、工房にいくつか、樽とか、穴の開いた鉄の水槽とかがあってよ」

「アイネ、そういうものがあるっていうんならぜひ――」


 親方、フラフィー、そしてアイネと、思わぬ勢いで話が弾む。


 久しぶりに同席した昼食で、俺はいくつかの提案をした。

 木炭フィルターを作るための濾過槽。

 濾過槽に通す前の沈殿槽。

 濾過した水を溜めておく貯水槽。

 巻き上げ式の取水桶。


 鍛冶屋の彼らは、板金加工の技術もなかなかのもののようで、今日明日というわけにはいかないがやってみよう、と約束してくれた。これで、いままでありあわせのもので行っていた濾過装置を、本格的なものにできそうだ。それに、頑丈な鉄でできるのならば、当分はそれを利用することができる。

 そして一度作ってしまえば、彼らがあとはそれをもとに補修することもできるし、なんなら工夫して、提案した物以上のものをこしらえることもできるようになるだろう。


 日本のODAによる途上国支援も、単に食料を渡すとかではなく、技術を広めることで、自立できるようにするという意図があるのだそうだ。

 じゃあ、俺が今彼らに提案していることも、日本から異世界に出張してのODA事業みたいなものか。そう考えると、なんだかわくわくしてくる。


 そうやって、親方たちと胸躍る話をしている中で。

 実は対応に困るのが、リトリィだった。ぴたりと、俺の席の脇に張り付いているのである。

 あの、微笑みを貼り付けて。

 給仕なら野郎三人のところにいればいいものを、なぜか俺のそばにいる。


 ――正直、何を考えているのかがまったく分からない。俺のことは、嫌いになっているはずなんだ。どうしてあんなにそばにいたがる?


 おっかなびっくり声をかけると、さも嬉しそうに応えてくれるのが、余計に不気味である。

 自分にはその笑顔が作り物のようにはどうしても見えないのだが、あの麦焼きを平然と渡してきた彼女だ。


 あの時渡されたビスケット自体は、ベリー風味のジャムが練り込んであったようで、ほのかな酸味と豊かな甘みがあり、とても美味しかった。以前食べた、あの麦味のみのビスケットとは、天と地ほども違う美味しさだった。


 彼女は俺を恨んでいるんじゃなかったのか?

 どうしてあんな美味いものを寄こす?


 もちろん、食べるにあたって激烈に水分を要求するのは変わらないため、最終的には濾過したばかりの水で喉に流し込んだのだが、彼女は濾過装置が未完成だと知っている。

 そしてリトリィは、井戸の水が一度や二度の濾過では鉄臭さが取れないということも、もちろん知っている。


 つまり、何度も濾過しなければならないはずの、それでも鉄臭さがなかなか取れない水で喉に流し込まなければならないと思われるものを、わざわざ俺に渡した……と考えられる。


 ――でも、本当に、そうなのか?


 穏やかな笑顔の下で、私と同じように苦しみを味わえとでも言っているようにも感じるし、考えすぎだとも思う。


 だめだ、アイネでさえも頼もしい味方のように感じてしまうくらい、今はリトリィが怖い。

 いったい、彼女は何を考えているんだろう。こんな状況で隣に座るかと聞いたら、一体どんな形の肘鉄となって返ってくるのだろうか。


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