第27話:かけ違い(6/6)
俺の背中を熱く濡らし続けるリトリィに、しかし俺はなんと答えていいかわからず、途方に暮れる。
「――ムラタさんはわたしたちのために、一生懸命、考えてくださってたのに。
わたしが、お返事がなくて寂しかったからってすねてみせなかったら、こんな事にならなかったのに……!」
なにか言わなきゃいけない。
彼女が、必死にいま、言えなかったことを伝えようとしてくれているのだ、ここで言わなきゃ、いつ言うんだ!
――そうやって、頭の中で、ぐるぐると輪のようなものが廻る。なのに、言葉が出てこない。何を言えばいいか、どう言えばいいのか。
くそ、くそっ、なにか、何か言わなきゃ……! 焦れば焦るほど、何を言えばいいのか、分からなくなる。
「だから……だから、あなたとちゃんとお話したかった……。
わたしの思いを、きちんとお伝えしたかったんです。
なのに……お話をしに行くと、あなたはどんどん、わたしのこと、嫌いになっていくみたいで……!」
リトリィの言葉はすでに涙声、しゃくりあげながら、それでもなんとか言葉を紡ごうとしているのが分かる。
「リトリィ、俺は君のこと、別に……」
そこまで絞り出して、しかし続かない。
俺は、君のこと、別に嫌っているわけじゃ――
「別に……そう、別に、わたしのことなんかどうでもいい、そう思われているのは分かってるんです。わたしがどんな思いでいたって、ムラタさんには、か……関係ないって、頭では、分かってるんです。
わた、わたしの、わがままで、不愉快にさせてごめんなさい……。でも、離れたくない――離れたく、ないんです……!」
胸が痛い。えぐるように痛い。
そうじゃない――そうじゃないんだよ、リトリィ……!
「自分が、勝手なことを言ってるのは分かっています。でも、でも……!」
――あとはもう、言葉になっていなかった。
こんなとき、どうしたらいいんだ。
俺の背中で泣き続ける女性に、どんな声をかけてやればいいんだ!
すまない?
ごめん?
それとも、彼女を許す言葉?
――どれもしっくりこない!
頭の中でかけたい言葉がぐるぐる巡り、だがどれも違う気がして、何が正解かが分からない。
いろいろシミュレートしてみて、けれどどれもろくでもない結果を想像させる。ああくそっ、三洋や京瀬らの話をもっと聞いとけば――!
「……あの、明日も、いてくださいますか?」
時間としては、もしかしたらそれほど長くなかったのかもしれない。だが、自分にとっては永遠にも等しい時間に感じられた、リトリィが落ち着くまでの時間。
落ち着いて、最初の一言が、それだった。
なぜ、明日の話なのか。
わからないままに、答える。
「明日は親方に、濾過の桶を見せるからな」
「……
「あ……ああ、親方と約束したからな」
「明日より、あとは……?」
「それは分からない、濾過装置の出来次第だからさ」
「……もし、明日、出来上がってしまったら……?」
「そしたら、おしまいだ。恩返しもできたことになるからな」
「――そんな……!」
背中に顔をうずめていたリトリィが、弾かれたように顔を上げたのを感じる。
「だって、いつまでもこの家にいるわけには行かないしな。やっぱり、俺はこの家じゃ半端者だし、だからといって鍛冶師になる気もないしな」
「そんなこと、ないです! ムラタさんは――」
「リトリィは、優しいね。気立てもいいし、働き者で、料理もうまい。頭の回転も速くて、相手の考えを汲み取って、言われる前に動くこともできる。文句なしの、素敵なお嫁さんになれるよ。俺ならそうしたい」
「お嫁さん……私が?」
「ああ。間違いない」
再び、リトリィが背中に顔をうずめてきたのが分かる。
温かい吐息が、カッターシャツ越しに伝わってくる。しばらく泣いていたせいか、ときどきしゃくりあげるように鼻をすすりながら、なにやら鼻面を押し付けられ、顔をゆっくり振っているのが分かる。
時々、ぱくぱくと口が動いているのが分かる。シャツを噛んでいる? それとも何か、話そうとしている? だが、声にはなっていない。
しばらく、俺の背中に顔を押し付け首を振り続けていたリトリィが、か細い声を上げた。
「……私が、お嫁さんで、迷惑にならない、ですか……?」
「リトリィが迷惑になるなんて、そんなことを考えるやつの気が知れない」
「ムラタ、さん……」
彼女が、俺の胸の回していた手に、力がこもる。
「だから、俺は、ここにはいられない」
びくりと、リトリィが震えたのがわかった。
「俺は他人だ。親方たち家族とは違う。俺がここにいるわけにはいかない」
「そんな、だっていま、お嫁さんって――」
「ああ、保証する。君は絶対に素敵なお嫁さんになれる。まあ、女性経験のない俺が言っても、大した説得力なんて無いけどね」
これは本音だ。彼女は食事も美味しいし、細やかな気配りもできる女性だ。男所帯を切り盛りしてきた彼女は、きっと素敵なお嫁さんになれる。
――俺が、その、相手になれたなら、俺は、本当に幸せになれただろう。
「じゃあ――」
「ま、アイネの拳骨に耐えるって試練はあるだろうけどさ。君を手に入れるための、必要経費ってやつだ。
――
「――え?」
「アイネじゃないが、
……だから、いられないんだよ。君は、俺には眩しすぎる」
リトリィが、背中から離れた。
やっと落ち着いたみたいだ。
「じゃあ、明日も早いから寝るよ。リトリィも、朝は早いんだろう? おやすみ」
振り返り、リトリィのほうを見ると、右手を上げる。
……リトリィは、うつむいたまま、挨拶を返してくれなかった。
まあ、そんなもんだよな。大して期待もしていなかった。いや、期待すること自体がおかしかったのだ。
俺は居心地の悪い食堂を後にすると、いつもの半地下室に向かった。
玄関を出て、すぐ左の奥まった入り口が、いつもの半地下室への入り口。
ちょうつがいが破壊され、用を成さなくなったドアが、立てかけられたまま放置されている。月明かりの中でも分かるほど、力任せに引きちぎられた形跡が見られる。
鍵をかけておいたら、このざまだ。アイネの怪力ぶりが分かる。半地下室は、今は俺が使っているとはいえ、もともとアイネたちの家だ。アイネはこの破壊活動について、親方から叱られたりしなかったのだろうか。
ふと足元を見ると影が、異なる方向に三つできている。
三つ目の月が出てきたのだ。一番大きな、青い月。
さっき、アイネに殴られる前に見ていた悪夢。
俺は、本当は、この家で初めて目を覚ましたのではなく、最初はどこか森の中にいたことを思い出した。
最後には正気を失って、崖から飛び降りていた。
独りぼっちで、訳の分からない世界に飛び込んだことに、理性を失ったのか。
俺は、そんなにメンタルが弱かったのか。
気が付いて、すぐにパニックになり、気が狂って崖から飛び降りるほど。
なにか、まだ忘れている気がする。
異世界に来た、それだけで、俺は本当に飛び降りたのだろうか。
なんだったか。思い出せない。
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