第26話:かけ違い(5/6)

「リトリィが素敵な女性だと、今言ったな、おめぇ」


 言った。

 彼女を超える女性を、俺は知らないと。


「だったらなんの問題もねぇだろうが。オレが言ったとおり、天使のようなイイ女だろ? 何が不満だ」

「俺が耐えられない」

「……バカにしてんのか?」

「じゃあ、俺の嫁にしていいのか?」

「はぁ!? そんなこと許すわけねぇだろ。そんなことになるくらいなら、てめぇをぶっ殺す」

「だろ? だから出ていくんだよ。できるだけ早く」

「そりゃ当然……あ、でもそしたらアイツまた泣いて……でも……」


 そこでやっと、何かに気付いてくれたらしい。なにやら頭を抱え始める。


「まあ、リトリィは誰にでも優しいからな。優しいから俺のことを気にしてくれてるだけで、俺なんかを好いてくれてるわけじゃないことくらい、分かってるんだけどな」

「あ……ああ、そりゃま、当然だな! アイツがおめぇに惚れるわけねぇだろ!」

「だろ? それじゃあんまりにも辛くてみじめだから出ていくんだよ、できるだけ早く」

「そりゃ当然……あ、でもそしたらまたアイツが泣いて……でも……」


 顔中傷だらけの凶相持ちの男が、頭を抱えて呻く。

 見ている分には面白いが、今はべつにアイネをからかいたいわけじゃない。


「俺は、もともといなかった人間だ。たまたま立ち寄っただけのよそ者だ。お互いにおかしな影響が出る前に、さっさと俺が出て行くに越したことはない。違うか?」


 そう言うと、アイネはどこか釈然としない様子で、だが笑顔になる。


「そ……そうだよな! 分かってくれて嬉しいぜ!」

「だから、なにかいい知恵はないか? ここの井戸水、錆さえ取れば畑にも、飲み水にも使えそうなんだ。今いろいろやってて、だいぶ透明な水にはできるようになってきてるんだが、まだまだ普段使いができるほど簡単、というわけにはいかないんだ。

 ――さっさと俺を追い出すために、協力してくれねえか」


 俺を追い出せるとあれば、喜んで協力してくれるだろう。

 そう思ったのだが。


「……いま、なんつった?」

「俺を追い出すために、俺に協力してくれ」

「違う、その前!」

「まだ普段使いにできるほどじゃないってことか?」

「そうだけどそうじゃねぇ! もっと前だ!」

「井戸水をだいぶ透明にできた?」

「そうそれ! それだ! どういう意味だ!?」


 どういう意味も何も、それだけだ。

 すっかり夜で、濾過した水を見ても透明かどうかなどわからない、黒々とした水が桶にある。


「まだ金気かなけがなくなったわけじゃないから、錆臭いけどな。まあ、そこそこ飲めるようにはなってきたぞ。ただし、ここまでするのが少々面倒くさいが」


 アイネはしばらく、黙って桶の水を見つめていたが、「ちょっと待ってろ」と言って、桶を抱えて家の方に駆けて行った。

 置いてきぼりにされたこのパンと燻製肉は、リトリィの手によるものだろうか。食わないともったいない。腹はカブで満たされているが、しかたない、食うことにしよう。




「……ムラタ、話がある」


 なぜかやってきたのは、親方だった。


「ムラタ。この水、どうやって作った?」


 さっき、アイネが持っていった桶だった。


「おめぇ、この井戸の水を、こうしたらしいな? どうやった? まさか、“法術使い”なのか?」

「いえ? “法術使い”がなんなのかは分かりませんが、魔法と仮定するなら、そんなことしてません。私は濾過をしただけです」

「“濾過”?」

「ええ、木炭で」

「はぁ? ムラタ、オレは真面目に聞いてんだ。真面目に答えろ」


 ……なるほど。木炭による水質浄化は、リトリィが知らなかっただけ、というだけでなくて、あまり一般的でないということなのか?


「私も至って真面目です。神にでもなんでも、誓ってみせますが?」


 以前のアイネの反応から、この世界の住人は、神に対する信仰がとても厚いようだ。

 だからだろう、神にでもなんでも誓ってみせる――このフレーズは、それなりに効果的だったようだ。親方が、とりなしを求めるように笑ってみせる。


「すまねえ! あの真っ黒い木炭で水が透明になるなんて、どうも技術屋としての性分で、目で見るまで信じられなくてな」


 まあ、信じられないのも分かる。現代日本でも科学番組で取り上げられるくらい、そこそこには意外性のある浄水方法だからな。


「この桶がそうです。これに何度か井戸の水をくぐらせるだけで、それなりに透明な水になりますよ」

「……こんな、石をいっぱいに積み上げただけの桶が?」

「中身が肝心なんですよ、と言いたいですが……」


 早速、井戸の水をぶち込もうとする親方を制する。


「今やっても、多分よくわかりません。こんなに暗いですから。明日の朝、ということでどうですか?」

「そ、そうか……分かった! 明日の朝、一番に始めるぞ!」




「いや、ですから、食事はもういただきましたので……」

「家長の言うことにここまで逆らうたぁ、いい度胸だ。ますます食ってけ」


 そう言って俺を小脇に抱え、食堂に放り込む親方。


「じゃあな、明日、楽しみにしてるぜ」


 やはりアイネの育ての親だ。アイネをパワーアップさせたような怪物だ。

 打った膝をさする。

 明かりはなく、暗い。窓から差し込む月明かりで、かろうじて様子がわかる。


「あるものを勝手に食えって言われても、冷蔵庫があるわけじゃないし、何を食えって言うんだ……」

 

 あたりを見回して、そして――


「ムラタ、さん……」


 思わず、うめく。

 リトリィが、そこにいた。

 俺と並んで食べるときの、あの席に、座っていた。

 窓から差し込む月明かりに、浮かび上がるように。


 ――放り込まれる前に、予想してしかるべきだった!


「親方に放り込まれただけだ、すぐに出る」


 すぐに立ち上がると、回れ右ですぐに食堂を出――ようとして、気づかなかった椅子の足につま先をぶつける。


 ――ッ! こ、れ、だから、童貞は!

 こういうシチュエーションで、肝心の場面で、なんでこんな、コメディーみたいなことをやらかすんだよ、俺は!


 涙が出そうになるほどの痛打に、思わずしゃがみ込みそうになりながら、それでも平静を装い、出口に向かって歩き始める。

 その、脂汗が出そうなまでに痩せ我慢をしている俺の背中に、

 ふわりと、柔らかな感触。

 腹に回された、小さな手。


「ずっと、お話、したかったです……」


 リトリィが、そっと、俺の背中に、その鼻面をおしつけてきた。


「話すことなんて、俺にはなんにもないぞ……」

「わたしにはあるんです、いっぱい」

「俺にはないよ、だから離せ」

「いやです。もう、あんな思い、したくない」

「あんな思い? 関わるなと言ったことか?」


「あなたのためにぎたかったポットを持っているのに、でもあなたが注がせてくれなかった、あのときの思いです」


「……ポット?」


 そんなこと、あったか?

 言われたことを一生懸命思い出そうとするが、彼女がポットを持っているのに注がせないなんて、そんな意地悪などしたことがない。第一、する理由がない。


「あのとき……四刻のお茶に誘ったのに、よく分からないことをお話し始めて。

 わたしの言うことそっちのけで考え事を始めたあなたを、ちょっと困らせたかっただけだったんです」


 ……あのときか? お茶がどうとか言った、あのとき? あの、畑でリトリィが不機嫌になったあとの、あのとき?


「わたし、あなたにそばに座るように誘われたとき、いつもみたいに、何度も誘ってもらえるって思ってました。……あなたに、甘えてたんです」


 どこかたどたどしい話し方だ。感情を押し殺したような。


「――でも、あなたは一度きりで、それ以上声をかけてくれなくて。

 ……どうしよう、いじわるして『知りません』なんて何度も言っていたから、怒っちゃったのかなって」


 リトリィの声が途切れ途切れになってくる。

 ……思い出した。あの時は怒ったとかじゃない。たしか、「知りません」と返されて、それ以上拒否されたくなくて声をかけなかっただけだ。

 俺が、臆病だっただけだ。


「わたし、だから、あなたがポットを取ろうとしたとき、とっさに、あなたに注いであげようって思って。それで、お茶を注ぎながら、お隣、いいですかって、聞きたかったんです」


 ぐすぐすと、鼻をすすりながら、彼女は続ける。


「でも、あなたはずっとマグを持ったままで。

 わたし、おそばにご一緒させてもらうどころか、お茶も注がせてもらえなくて。

 麦焼きも、ジャムもつけずに、おいしいとも言ってもらえなくて。

 ……ずっと後ろにいたのに、振り向いても、もらえなくて。

 あんなに優しくしてくださったあなたが、わたしの一切を拒否しているように感じられて。

 ――わたしに、怒ってるんだぞ、嫌いになったんだぞって、背中で、ずっと言われ続けてる気がして……!」

 

 いや、「優しくした」って言われても、そこまで何かしたつもりなどない。

 むしろ、世話になりっぱなしで、何も返せていない。これから返すのだ。

 それより、嫌いも何も、こっちはこっちで、急に不機嫌になられたり泣かれたり、意味のわからない行動に悩まされていただけだ。


 ――とは、さすがに言えなかった。黙ってリトリィの話を聞き続ける。


「だから、あなたが出ていくつもりだって言ったとき――どうしていいか、分からなかった。

 あなたがわたしを嫌ってるなら、止めてもきっと聞いてくれない。

 じゃあ、止めなかったら? やっぱりあなたは出ていっちゃう」


 俺は、彼女を嫌ってなんかいなかった。むしろその逆だと思っていた。


「――わたしは、どうすればよかったんですか? どうしたら、許してもらえたんですか……?」


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