第8話 アスガルドの国



 また、大白熊アイスベアが戻ってくると面倒だと、アレンにせき立てられたアイザック。アレンはいう。

「角笛と獣除けの匂いに驚いて逃げてくれたが、すぐに舞い戻ってくるぞ」


 アレンの大股の歩みについていくには、アイザックは小走りにならなければいけなかった。大森林タイガの中は、雪が積もって足をとられる上に、倒木や高低差があり、アイザックはなかなか早くは進めない。

 アレンは舌打ちすると、走りながらアイザックをつかみ、背負っていた重いリュックもろとも肩に担いだ。

 担がれたアイザックは仰天したが、頭を持ち上げ後方を見ると、黒い樹林の間を踊るように疾駆してくる白い影を認めた。

「ひっ、あ、アレンさん、熊!」

 アレンは振り返りもせず、さらに走る速さを上げた。

「ちっ! やろう、執念深いぜ!」


 雪が厚く積もった樹林ながら、アレンは素晴らしい速さで、駆け抜ける。彼の肩で乱暴に揺らされながら、次第に姿を鮮明にする大白熊アイスベアを、大きく眼を開いたアイザックが瞬きもせず見つめた。

 猛獣は徐々に近づく獲物に咆哮を浴びせ、牙が並んだ口から涎を撒き散らす。四本の前肢で、邪魔な倒木を粉砕し、どんどん距離を詰めてきた。


「Katsoin!(見えた!)」


 アレンが叫ぶと、黒い樹林はいきなり消え、雪原が広がった。

 だが、大白熊アイスベアは邪魔なものがなくなり、今にも追いつかんばかりに迫った。

「あわわわ! もうダメだ!」

 アイザックは叫ぶと、眼をギュッと閉じた。

「おい、飛ぶから、歯を食いしばってろよ!」


 えっと、アイザックが思うまもなく、アレンとともに宙に浮かんだ。

 そのまま落下していく感覚があったかと思うと、凄い衝撃音が鳴り渡り、アイザックは地面に投げ出された。

 

「いててて」

 アイザックがあちこちの痛みを感じながら眼を開けると、そこは雪原ではなく、一面の緑の野原だった。

「あれ」

 驚きの声で見回すと、後ろにアレンが立って、岩肌が剥き出しになった崖を見上げていた。


 痛みを堪えて立ってみると、崖は二十メルテほどもある絶壁だった。見上げると、崖の上では諦めきれないあの大白熊が、ウロウロとしている姿があった。

「ええ! あそこから飛び降りたんですか!?」


 アレンは大白熊アイスベアに向けていた視線を戻し、

「そうだ」

「な、だ、大丈夫ですか」

 アイザックが、無事を訊ねると、彼はニヤッと笑った。

「このくらいの高さなんぞ、問題ない。さすがに大禁壁グレートウォールから飛び降りはしないがな」

 相変わらず聞こえてくる、崖の上の唸り声を気にもせず、

「さあ、行こうか」

 アイザックは、飛び降りた際に、遠くに飛んでいったリュックを走ってとってくる。

 なんだか身体が重く感じる。

 

 アレンに並ぶと、

「あいつ、飛び降りてきませんか?」

 不安に思い、訊ねた。

「できないさ。あの崖からは」

「どうしてです?」

「この辺は、重力が倍加するんだ。昔、隕石が落ちてきたせいで、重力特異点になってしまったと聞いている。あいつは飛び降りたらペシャンコになるって知ってるのさ」

「へぇ。そんな場所なんですか。道理でなんだか、身体が重いって感じましたよ」

 アイザックは、背負いなれたはずのリュックの重さに戸惑っていたが訳がわかった。

「すぐに慣れるさ。ほら、あれを見ろ」

 アレンはそう言って、片手で彼方を指した。


「はあー」


 アイザックが感嘆の声を漏らした。

 そこは途轍もなく広い、山々に囲まれ盆地になった土地だった。緑の美しい野原の向こうには雪を戴いた山脈が連なっている。盆地のやや手前側の中心には小高いテーブル状の台地がいくつかと、その上に並ぶ家屋の集まりが見えた。

 盆地を囲む山々の壁は急勾配で幾筋もの溝のような水の流れが創り出した窪みが下まで伸び、流れ込む湖畔には開墾された畑作地が四方に広がっていた。空気は北極圏と思えぬ暖かさで、どこからともなく野鳥の鳴き声が聞こえてきた。


「アレンさん、ここは?」

 アレンはアイザックの肩に手を置き、

「ここはアスガルド。おれたちの国だ」


 アレンの故郷、アスガルドが極寒の地にあるにも関わらず、これほどまでに暖かいのは、火山帯の上にあるためらしい。地表近くにマグマ溜まりがあって、彼方に望むテーブル状の台地は太古に噴火した跡だそうだ。

 

 アレンは自慢げにぐるりと指さした。

「アスガルドは、クレーター跡の中にあるんだぜ」

 遥かに霞んで見えるあの壁のような雪山の連なりは、実は隕石の衝突の際にできたクレーター壁だった。アスガルドの直径は百十リーグ。大半は野原と疎林で、外部から染み込み、クレーター壁から湧出した雪解け水の川が数条流れ、台地の近くに湖となっていた。

 

「綺麗な景色ですね」

 アイザックが感心すると、アレンは嬉しそうに笑った。

「ああ。実りもいいんだ。いろんな作物を育てている。どうしても収穫できない物は外と交易して手に入れてな。アイザックさん、あんたはどんな商品を扱ってるんだ?」

 ゆったりとした足取りのアレンに並ぶように、小走りのアイザックは答えた。

「うちのゲックス商会は百貨業ですが、とりわけ毛皮とか宝飾類には力をいれてます」

 

 アレンは試すような眼で彼を流し見た。

「なら、ハルトマン殿の交易所がいいかな。あの人は毛皮を扱っているし、エルメルナスってとこから来たらしいからな」

「エルメルナスの商人が?」

「だいぶん前に来た人だ。公会堂の前に店舗を開いている。そこに連れていってやろう。おれもこれを届けるしな」

 アレンは背負った巻いた毛皮に顎をしゃくった。アイザックもそれとなく目をつけていた毛皮だ。艶も毛の長さに色合いも、なかなかに良い品とにらんでいた。

「ありがとうございます。その毛皮って、どんな生き物のものですか?」

「これか。これは六本角馴鹿シックスホーンディアーってやつだ、仕留めるのは大変なんだぜ、賢くて罠には掛からんしな」

「へえー」


 アイザックとアレンは北極圏の生き物について、、あれこれとおしゃべりしながら、アスガルドの野原の小道を街へと向かった。



 透き通った雪解け水をたたえた湖の傍らの道を通る。

 アイザックは、行き交う人々の大きさに驚いた。

 男性はみな二メルテを越え、中には三メルテ近い者もいた。女性もだいたい二メルテくらいが平均そうだった。中原諸国の平均的な背丈、百六十そこそこであるアイザックにとっては、みな、巨人に思えた。

 アレンに訊ねると、この地特有の重力異常で、身長が大きくなったという説明だった。

 行き交う人々はみな薄着で、空気が暖かいとはいえ、少し肌寒さを感じるアイザックには、見習えない風俗だ。男女とも、大柄な上に逞しい身体つきで、彼と同じほどの背丈の子供達もそうだった。


 やがて台地に差しかかる坂道になった。道は台地をぐるりと囲むように回りながら、上の街へと続いている。

 上がったり下がったりする人々の流れについて、坂道を登り始めたアレンとアイザックは、坂道の上から、一際巨大な男が降りてきたところに行きあった。

 アレンがやや、顔を顰めながらも、挨拶をした。

「Hilsen, Lord Heimdall」

(ご機嫌よう、ハイムダル殿)

 

 男は余裕で三メルテを越えている。大岩のような身体で、手足は想像を越える太さだった。

 アイザックは、あの大白熊アイスベアを思い出した。ハイムダルという巨漢は、その黒い瞳でアレンをじっと見た。なぜか少し敵意を感じる目付きだった。

 

「Å Allen? Er du på vei hjem fra jakt? du er bekymringsløs」

(ああ、アレン。狩りの帰りか。暢気なものだな)

 アレンがグッと拳を握ったことが、アイザックには分かった。

「……」

 ハイムダルは、見下すような嘲りの表情になった。

「Seriøst, er Connor tilbake ennå? Glem rollen som den ærede familie bakgrunn . Jeg kan ikke fikse vandrelysten min」

(まったく、コナーはまだ戻らんのか。名誉ある家柄の役目をすっぽかしおって。放浪癖が治らんな)


「Hmm. Faren min kom tilbake her om dagen. Jeg skal på folkemøtet, så du kan snakke på det tidspunktet」

(ふん。親父は先日戻った。民会には出るから、その時に話せばいいだろう)

「Egentlig. Jeg ser frem til det. Jeg kan endelig bli kvitt den slemme gutten」

(そうか、それは楽しみだ。ようやくあの忌子を処分できるな)

 その途端、アレンは背負っていた毛皮の束を投げ捨てた。

「Hvis du fär tak i Eric. Hu h!」

(もし、エリックに手を出してみろ。許さん!)

 アイザックは、アスガルドの言葉は分からないが、両者の険悪な雰囲気がただ事でないことが解った。


 どうなることかと遠巻きに眺めている群衆。

 突如、ハイムダルは大きく哄笑した。

「Hahaha! Lille gutt, siå en stor munn. Det er greit. jeg kan ikke snakke med deg. Fortell Conner. Jeg må kvitte meg med familiens fiende ordentlig」

(ハハハッ、小僧めが大口を叩きおって。まあいい。貴様じゃ話にならん。コナーに伝えておけ。一族の仇にはきっちりと落とし前をつけてもらうとな)

 そう言い残すと、ハイムダルは大きな背を揺らして、坂道を降りて行った。


「済まなかったな。アイザックさん」

「いえ、大丈夫ですが、今の方は、なにか意趣があるようでしたが……」

 アレンは、毛皮を背負い直すと、

「うむ。今日は気分が悪くなっちまった。すまんが、ハルトマン殿のところへ行くのは明日だ。今日は我が家に帰ろう」

「お宅ですか」

「ああ。どうせ泊まるところもないだろう。我が家に泊ればいい」

 アレンは坂道を歩きだした。

 アイザックも慌ててその後を追った。

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