挿話 ニューワールド
四〇〇年に一度、腐蝕魔境”
魔界大乱。
その二回目がようやく終焉し、中原諸国が復興へと歩み出した時代。
ゲルムド藩王国と隣国コグナルカとの間にあるレマン湖を源とする大河ドラコーニス。
場所はコンヤクンドゥス王国。
ドラコーニス河畔の農村にひとりの薬師が住んでいた。
彼が作る薬はどんな病気にもよく効くと評判で、農村だけなく、近隣の街からも買い求めるものがやってくるほどだ。
穏やかな晩冬のある日。
小さな背嚢を担ぎ、煌めく宝玉を嵌めた魔術師の杖、
トントンと緑に塗った扉を叩く。
応えはない。
次はもっと力を籠めガンガンと、扉が壊れそうなほど強めにノックした。
やがて、ガタガタと床を鳴らす足音が聞こえた。
「おい! うるさいぞ」
乱暴な勢いで扉が開いた。
「薬が出来てる頃に来いと言っただろうが!」
眼鏡のような拡大鏡をつけた初老の男が、プリプリ怒りながら、顔を見せた。
「まったく、……んん、あんたは」
初老の薬師は呆気にとられ、言葉を失った。
旅人はニヤッと笑うと被っていた
真っ白な髪をしているが、若々しく、澄んだ緑の混じった黄色の眸だった。
「
「まさかスティーブ! スティーブ・アークランドか!」
薬師は思いがけない再会に満面の笑顔へと変わり、大きく両腕を広げた。照れ笑いを浮かべた魔術師も歩み寄った。
再会した旧友ふたりは、がっしりと抱擁を交わした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「最後に会ったのはいつだったかな?」
「アハッ! そりゃあ、アルスターにジャムソン・サウルヴァの反乱軍が迫った時だな」
「そうだ。君は前線の指揮をとっていた。おお、そうだ。君が使役した戦闘生物のあれ。えーっと、…………グリフインたちだな。あいつらと反乱軍に突撃したときか」
質素だが心の籠った料理がならんだ夕食の食卓。ふたりは、随分とむかしに別れて以来、過ごした日々のあれこれを語りあった。
「しかし、いったいいつからここに棲んでるんだい、フランク?」
「うーん、もう三〇年になるかな。いいところさ。おれは
そうそう、そんなときさ。君の噂を耳にしたのはな。魔獣を討伐する連中の
「ふっ。そんなつもりはなかったんだが。離散した人々の助けをしているうちに、そんな呼び方をされるようになったんだよ」
再会で増した、芳醇なワインの風味を楽しむ旧友たちが、話しに興ずる。
傍らでは、薬を作る助手と紹介された無口な少女が、食卓をともにしながら、二人の給仕をした。
気づくと、窓の外、赤い月と銀の円環は中天高く夜空にあった。
薬師フランクは慈愛に満ちた表情で、彼女に告げた。
「メリンチェ、もういいぞ。あとはわたしたちでやるから、もう寝なさい」
メリンチェという名の少女は素直に頷き、欠伸を噛み殺しながら、旅人スティーブにも丁寧に頭を下げて、奥へと消えた。
少女を見送ったスティーブ。
「あの子は娘か?」
「いやいや、残念ながら違うよ。数年前にドラコーニスが氾濫した時、家は流され、あの子の両親も亡くなった。つきあいのあったわたしは、たまたま引き取ったんだよ」
スティーブは、かって人嫌いとして有名で、限られた人間としか交流しなかった友の変わりように内心驚いた。
「ふーん。……しかし、トーラス星系きっての秀才で異星環境構築学の天才といわれた君が、こんな未開の地でドラッグストアを開いて、しかも孤児まで育ててるとはな」
フランクは鼻を鳴らした。
「ふん、ぬかせ。あんたも開拓AIプログラミングチームのリーダーだったくせに、いまや、胡散臭い役回りしてるじゃないか。 ”
ふたりは顔を見合わせて笑い、チィンとグラスをあててを乾杯した。
「ところでフランク、君は生体更新を受けていないのか?」
スティーブ・アークランドこと賢者アッカヴィーチは、自分と比べて皺の目立つ友人の顔を眺め訊ねた。
「ああ、もう三〇年以上施術を受けていない。わたしはもうすぐ死ぬだろうよ。スティーブ」
「なんだって! 正気か?」
フランクは薄笑いを浮かべ、
「ふふ。そう思うだろうな。だが、もうわたしは充分に生きた。考えてみろ。もう一七七四歳だぞ。生き飽きたよ」
そういうと彼は食卓を離れ、温かい暖炉の側の椅子に腰かけた。
その動作はゆっくりとして、ひどく疲れたものだった。
彼はグラスを両手で持って、暖炉の燃える火をじっと見つめた。
長い年月の経験は、彼の心深くに大きなしこりとなって沈み、こうやって時おり顔を出すのだった。
「スティーブ。君こそ覚えているだろう。
かつて、オメガ・レゾリューションから一緒に降り立った、わたしたち”
”
…………。
あのクソどもが見捨てた、美しかった
溢れる希望、開拓精神でいっぱいだった同胞たちは、いったい、どこへいっちまったんだ……」
フランクは生きた年数の重さに等しい低い声で述懐する。
「…………」
深い深い沈黙の時が、しばらく流れた。
一人深い憂いに沈んだ友を励ますように、アッカヴィーチも暖炉の側の椅子に腰かけ、手を彼の肩に置いた。
「けれど、フランク。アルスターにいた多くの人々の末裔は、退化したとはいえ、文明を一から築こうとしているじゃないか。わたしは彼らを見捨てたりしないぞ。もう一度彼らが星間文明へと到達するように陰ながら手助けする。死ぬまでな」
スティーブンを皮肉っぽい眼で眺めた。
「ああ、君ならそう言うだろうなぁ。だが宇宙へ飛び出すほどの文明を築くことが、本当に人類にとって幸福なのか? ”マザー”!」
イエス、マスター
フランクが呼びかけると、なにもない空間に、深い女性的な声が響いた。
スティーブは驚きもしなかった。なぜなら、”マザー” 、アヴァタールの開拓を支配する統括管理AIは、彼にとっても毎日言葉を交わす存在だから。
”マザー” は、アクセスゲートが置かれた施設などでは、拡声機能を使って、第三者を交えて対話することができる。ゲートがなく、1対1の対話などでは、特殊な手段で、相手と脳内の言語野に直接会話できる。
”
「このアヴァタールへ人類が到達してから、銀河連邦では何度争いが起こった?」
1,653年前、アヴァタール改造工事第21期の検収受領日から合算すると、星団間での大きな戦争は5回、星間戦争は147回です
「絶滅した星はいくつだ?」
27種の惑星文明が崩壊、うち人類の住環境に適さなくなった惑星は8個です
「聞いたか、スティーブ。どんなに遠く離れても、どんなに姿かたちが変わっても、所詮、人類は殺し合いをする性なのさ。
このアヴァタールでも人類は、魔人とヒト族に分かれ憎み合い、ヒト族同士でも戦い合う。わたしはそういうことに心底嫌になってしまったんだ。
メリンチェが成人して信頼できる男に嫁いだら、もう忌々しい神々の管理する
フランクは寂しい笑みを浮かべ、友に眼をやった。
アッカヴィーチは知人の決意に衝撃を受け、しばらく押し黙った。
ややあって重い口を開く。
「君がそうであってもだ、わたしはこの世界を諦めるつもりはないぞ。人類は殺し合いするだけじゃない、そこらへんのなんでもないヒトでも、わたしはより高みの存在へと
フランクは頭を振って懐かしそうな表情になった。
「ああ、あんたは昔っから超楽観主義者だったなぁ。なんせトーラス星系随一のプログラマーだ。銀河連邦から請け負った開拓地運用プログラムの更新と歴史に影響を及ぼすデバグ。あんたの民間開拓会社の仕事だな」
だがスティーブ、賢者アッカヴィーチは、強い口調で否定した。
「そうじゃない。仕事はもう関係ないのさ。わたしはこの自分が創った世界の可能性を信じているんだ。科学じゃなく、魔術という、今までにない知の体系を発芽しようとしているこの世界の行く先を」
「たしかにこの惑星には、他の星にはない特性がある。大気環境の構成物質改善のために散布した
フランクが素直に認めた。
するとアッカヴィーチは眼を輝かせ、両手を広げた。
「そうだよ、アヴァタールはまさにゲームの世界さ! けれどゲームじゃないんだよ、本当の
フランクは呆れたように肩を竦めた。
「まったく、オタクなのは変わらないな、あんたは。オメガ・レゾリューションのゲームショップでアプリを買わされたのを思い出したよ」
大きな溜め息を吐き、立ち上がった。
「まあ、もう遅い。客間は用意している。ゆっくりして行ってくれ」
食堂を出ようとしたが、振り向き、アッカヴィーチに人差し指を立てた。
「それに、わたしもすぐに死ぬわけじゃない。あんたを見送るくらいはできるさ。これから何処へ行くつもりだ?」
アッカヴィーチはグッとグラスを飲み干した。
「もっと南、サイト4へ行こうと思う」
「んん、サイト4だって」
フランクは記憶の片隅から忘れかけた地名を拾い起こして、眼を見開いた。
スティーブ、賢者アッカヴィーチはおおきく頷いた。
「そうだ。先行異星文明の遺物が発見されたところだ。一辺が正確に八〇〇メートルの四角形の構造物だったかな。そいつは”キューブ”って呼ばれている。わたしはそこに銀河連邦から持ち込んだ技術バンクを基にしたシンクタンクを設立しようと思ってるんだ。後世、この世界の志あるものが森羅万象を研究できるようにね」
「なるほどなあ。ゲームマスターらしい考えだな。けれどいいと思うよ。世界を見守る眼、ってなとこか」
欠伸を噛み殺しながら、第1世代フランク、錬金術師コルビナスはいった。
”
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