ゾンビと聖職者 1

 大陸全土を巻き込んだかつての大戦は、人々にとって多くのことを変えた。


 武器や魔法の発展、軍事力や科学力の向上。そして、娯楽などの文化の変容。

 人と魔族の覇権を決する戦争なだけあって、勝者にもたらされた恩恵や改革は大いなるもので、失った物や負った傷を天秤にかけても釣り合うどころか権力者達がほくそ笑んで小躍りするくらいの戦利品があった。


 そんな戦後と戦前を比べて大きく変革された文化の一つに、宗教がある。


 戦前には国境や種を境に細々とした宗教がいくつもあって、宗教間対立や酷いものだと武力抗争なんかもあったらしい。

 だが、大戦が始まりしばらくすると、それらの宗教は軒並み消滅していった。昔の話だから正確な原因は分かんないけれど、多分「祈る余裕すらなくなった」ってことなのだろう。

 後は、宗旨の違い程度で争うのもバカらしい程に、ハッキリ対立する別の敵が生まれたからってのも大きいだろうな。


 人々は自らを戦火から救わない宗教を次々と見限っていったが、それでも困窮する人々は祈りの先を……救いの寄る辺を求めた。そんなものはないと思い知らされれば知らされる程に、都合よく自分を救う……そう、奇跡ってやつを。


 こんな状況だからこそ、アルテミア中の人心を掴む大宗教を築くのはある意味簡単だった。そう、救いを求める人々を実際に救い、自らが奇跡となってしまえば良いのだ。


 そんな言うは易しをそのまんま行ったのが、『八戦雄』の一人『明光』のラーナ。

 当時彼女が編み出した神の御技とも称されし魔法体系は、大戦で傷付いた人を癒し多くの人の命を守ったらしい。

 そんなラーナは人々の肉体を癒すだけに留まらず、心の拠り所にさえもなろうとした。


 その結果生まれたのが聖女ラーナの名を冠せし、今なおアルテミア統一王国の国教として崇められる一大宗教『ラーナ教』だ。


 ……なんてね。こんな逸話は今時幼児でも、記憶の欠けたゾンビでも知ってる。こんなの訳知り顔で語ってたら、鼻で嗤われること間違いなしの一般常識だ。


 とはいえ、聖女と崇められるラーナの真意、この逸話のどこまでが真でどこまでが偽りなのかを妄言なく語れる者は殆どいないだろう。

 何せ百年弱も昔のこと。当の本人ですらとっくの昔に死没してるってのに、その真偽なんざ確かめようもない。


 それでも、聖女の内心も逸話の真偽も関係なく、『ラーナ教』は現在も威光を放ち続けている。それは、民の尊い信仰心のためってだけじゃない。もっと俗っぽい…清廉潔白な逸話とは真逆の理由があり、私はそっちが主たる理由と確信してる。

 何せこの腐った身だ。清廉なだけのおためごかしは鼓膜からして受け付けない。利による道理の方がすんなり耳に入ってくる。


 それに私の冒険者の知り合いにも『ラーナ教』の敬虔な信徒が何人かいるけど、明らかに教義に殉じるって柄じゃないもの。


 では、彼ら信徒は一体何に殉じているのか。それだって火を見るよりも明らかだ。

 自分を守る、自分を救う、今や奇跡だなんて呼ばれなくなった「力」。彼らは、それを信じている。……多分、それだけを。




 歴戦の戦士や浮き足だったビギナーなど様々な冒険者達がうろつく『灰兎亭』の二階、下とは少々種類の違う熱気を帯びたこの空気は私にとっても居心地良いものだ。

 せいぜい酒の匂いが充満しているだけの下とは違って、一攫千金や立身出世といった野望の香りがそこはかとなく漂っている。

 鼻の効かない私ですら分かる違いだ。嗅覚の過敏なヤツなら酒気に混ざった野心の匂いの鋭さに眩んでしまうのではないか。

 いや、実際に眩むヤツは沢山いるな。


「っだぁークッソォ!! まーた負けかよっ、チクショー!」


 ほらここにも、目も鼻も頭も眩んだ男がいたよ。

 

 テーブルを囲む、むさ苦しい男達。皆私と同じ冒険者で顔も名前も知ったる連中だが、その中でも清々しいほど集中的にむしられてる愚かなカモが一匹……うん、案の定グレンだ。


「ちっ! いいさいいさ。仕切り直し、もう一勝負だ。……あ、金はあんのかって面しやがって。あるよ、あるに決まってんだろ。こちとら『金級ゴールド』だぜ? ある……にはあるが、持ち合わせが………ああっ! ちょ、ちょっと待て。都合は付けるって──」


 切り上げようとする回りの連中を持ち前の身体能力で必死に食い止めている。うーん、なんて無駄な能力の使い方。こんな使われ方をされる才能が可哀想に思えてくるな。

 テーブルに散らばったカードを急いで集めながら慌てふためく哀れな顔と、目が合った……ちっ、合ってしまったか。


「ゾンビ! こんな危機的状況でまさかお前に出会えるとは。まさに天の配剤、女神様のご加護に違いないぜっ! で……だな! モノは相談なんだか──」

「ぐぁえ」

「いやいやいや、もうちょっとだけ話を聞いてくれよ。オレの真摯な説得と涙ぐましい敗北の軌跡を語れば、きっとゾンビの目からも涙が──」

「ぐぁが」


 聞こえない。なーんにも聞こえないね。

 グレンの口から紡がれる二の句は考えるまでもなく予想がつく。どうせいつもの「金を貸してくれ」に違いない。

 金に余裕があり、金に頓着がなく、『灰兎亭』に住み込んでるから現金の都合がつきやすい。恥なんざかなぐり捨てて金を無心する博打狂いにとって、私ほど頼みやすい相手もいないって腹だろう。

 ふんっ! カモのくせに、私をカモ扱いしてる。これまでそう思われる程に甘い対応をしていた私にも非はあるけど、もう違うから。


 特に、グレンなんかには絶対に──


「頼むっ! お前しか頼れる相手がいないんだって。ゾンビの助けが必要なんだよ!!」

「……ぎぃぐぅ…ぐぉう?」

「ああ、必要必要!! 迷える弱者に救いの手を差し伸べる、『明光』の如く清廉で器の大きなゾンビを皆信頼してるんだよ。こいつは大事な時に、決して仲間を裏切ったりはしないってな。そういう滲み出る優しさに心打たれて、お前とパーティを組みたがるヤツも……きっと出てくるだろうなあ~」


 た、確かに、そうかも。個人的な憤怒で、未来のパーティメンバーがいるかもしれない場で狭量な姿を見せるなんて、不利益しかないのでは?

 どうせ金なんて飾りでしかないもの。ここはポンッと貸して──


「このっ……アホウがぁ!!」

「ぐぁほっっ!!!」


 快活に轟く、低く通った声。その声の主の岩のような拳が、グレンの頭に振り下ろされる。


「女性に対して甘言を用いて金を無心するなど、冒険者の風上にもおけん悪行! 何度も言っているだろう。自らの器を越えた博打は控えろと。私が長いこと療養していて監視できていなかったから忘れたのか! くっ、パーティリーダーとして…恥ずかしいぞっ!!」

「ぐっ~、いってぇなあ。療養明けにバカ力を奮ってんじゃねぇよ。そんなんだから無駄に張り切って怪我すんだ。バカみたいに鼻息荒げて戻って来やがって。下でマスターと話してろよ」


 私どころかグレンよりも一回り以上大きい筋骨隆々の肉体を持つ実直にして直情な偉丈夫が、いつの間にかグレンの隣に立って感情的に喚いている。

 怪我の後遺症など一切感じさせない堂々たる佇まいと冒険者らしからぬ真面目一辺倒な堅物思想は相変わらずだ。バルストイのヤツ、ようやく怪我が完治したんだ。いやぁ、よかったよかった。


「ふん、私だってお前みたいなだらしない男のことなどどうでもよい。淑女に迷惑をかける輩の存在を見過ごせんというだけだ」

「だーかーらーそれが余計なお世話なんだって──」

「ふん、素行不良なキサマの文句なぞ聞かん。それよりもゾンビ君。キミは私が療養でパーティから離れてる間、私の代わりを務めてくれたんだってね? シルフから聞いたよ。心配かけたな……ありがとう! 心より礼を言う」


 グレンの顔を平手で押し退けつつ、私に向けて身体が直角になるほど角張って頭を下げる。


 いやぁ…あはは……。それについて感謝されるのは、私としても苦笑いを浮かべざるを得ない。

 バルストイの立ち位置に取って代わってやろうという邪な思惑が発端であって、心配だとか優しさだとかの清廉な動機ではないからね。


 そんな私の心の裏側を窺う素振りすら見せないバルストイの陽光のような豪快さに、腐ったゾンビは浄化されてしまいそうだ。


 私が冒険者になる前から、シルフ、グレンとパーティを組んでいる冒険者でこの三人パーティのリーダー。それがこの筋肉質に脳まで侵食された堅物男、バルストイだ。


 冒険者になる前は、アルテミア王国騎士団の中でも精鋭と呼ばれる、『バスティーユ剣擊隊』の部隊長を務めていたらしい。その輝かしい経歴に見合うだけの能力も当然ながら併せ持っているから、すぐに『金級ゴールド』に昇格した。そんな名実ともに優秀な冒険者なのが、このバルストイという男。


 経歴だけなら非の打ち所のないバルストイだけど、経歴以外の面では結構な問題児と専らの噂だ。

 方向性は異なるが互いに勘の優れるシルフやグレンと違い、驚くほどに察しが悪い。おまけに疑うことを知らないからすぐトラップに引っ掛かるし、元騎士という経歴故、庇うことばかりに傾倒していつも怪我を負う。

 バルストイはボロボロなのにシルフもグレンも無傷で帰ってくるのが、この三人パーティの恒例となっている。


 善人なのも強者なのも間違いないが、悪い意味で冒険者らしくない直情さと純真さを両立した、危なっかしい『金級ゴールド』冒険者。

 冒険者らしいバランス感覚に優れたグレンやシルフと組んでいなければ、真っ先に死地に赴いて再起不能に陥る典型のようなタイプだ。


「そういえば……これもシルフから聞いたのだが、キミは今パーティ仲間を探しているんだって?」

「ぐぁう」

「うむ、それは良い心掛けだな。キミが如何に有能な冒険者と言えど、仲間の存在は心強い支えとなろう。一人の力には限度があるからな。素晴らしい心境の変化だ。ハッハッハッ!」


 別に心境を変化させたわけじゃないんだけどね。私ほど始めっから一心不乱に仲間を欲しがっている冒険者、そうはいない。ただ、今まで誰からも誘われず、誰を誘っても断られてきただけのことだ。……うん、自分で言ってて泣けてくる。

 察しが悪い上に長いこと休養してたバルストイには、知るはずもないことではあるけれど。


「でも、だ。あまり上手く事が進んでいないとも聞いているぞ。その件で、礼も兼ねて私から一つ助言をしたいのだが、よろしいか?」

「ぎょぐぇん? ……ぐぁうっ!」


 こんな自信満々の助言なら、きっと妙案に違いない。私がいくら頭を捻っても絞り出なかったほどの妙案なら、是が非にでも聞いておきたいな。


「うむ…ではご清聴。本来、キミほどの冒険者がパーティメンバーを募集していれば、引っ張りだこになること請け合いだ。しかし、そうはたっていない。それは何故か!」

「ぐぁうぐぁう」

「まあまあ、そうがっつくな。キミのゾンビであることの特異性は、その殆どが然したる欠点とはなり得ないのだ。少なくとも、キミの美点を打ち消すほどじゃない。ある一点……そう、意志疎通の難易度という最難関の壁さえ除けば、だ。つまる所、キミと普通に会話出来る…いや、キミを普通に会話させる事の出来る相手なら、障壁なくキミを受け入れてくれるのではないかな?」


 ………あー、うん。期待した私がバカだったかな。──はぁ。


 バルストイの言いたいことは分かる。彼が具体的に誰を指して提案をしているのかも。私だって同じ考えに一旦は至ったさ。けど、その提案はハッキリ言って死路だ。

 こんなあからさまに途絶えた路、視野の広いお仲間の二人なら絶対に示してこない。ある意味バルストイらしい、単純で短慮な提案だ。

 その証拠にか、グレンが何か言いたげに呻いている。バルストイに顔を掴まれているから、言いたげなだけで何の言葉にもなってはいないけど。


「うむ、うむうむ! 自賛になるが、良い助言だな。いやいや礼などいらないさ。私から、『彼女』に話を通しておこう。彼女の実力はキミと比べてもそこまで見劣りしないから、実力差による軋轢も起きない。完璧……だな」


 誇るように鼻を鳴らして何度も頷くバルストイ。いや、完璧だな……じゃないよ。

 というか、私にだって選ぶ権利がちょっとくらいあるってことを分かって欲しいんだけど。


「では、私はこの文無しを連れて帰るからな。この件、期待して待っておくといい!」

「ぐぃあ、ぐぉっごがっぐぇ……」


 バルストイは私の返事なんて一切聞かず、恥じるものなど何もないといった面で闊歩して行く。もちろん無銭の仲間も抱えて。

 呼び止めようとも、話が通じない。肩で風切る男の広い歩幅での歩みは、ゾンビの足ではどうやったって追い付けそうもない。残念ながら止める手段がない。


「ぐぉうっ! ぐあぁぁ……」


 テコでもぶれぬ勝手気ままな正義漢に、自然とため息が漏れてしまう。これならグレンと話している方が手応え感じる分まだ楽だな。


 それにしても、困った。このままじゃバルストイは『彼女』に話を付けるだろう。そうなると、きっと彼女……クーリアは私と組むことを絶対に受け入れる。

 それが…困る。


 私はせめてもの抵抗をと思い、バルストイが颯爽と降りていった一階とを繋ぐ階段に向かって精一杯顔をしかめてやる。

 誰に伝わるモノでもない、ゾンビの乏しい表情筋から作られるしかめっ面を。


 ……こんなことしても、情けないばかりだなぁ。

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