干渉

@chased_dogs

干渉

「……夢か」


 背中にじっとりとした汗の感触を覚えながら目を覚ます。微かに鼻腔をくすぐる黴の臭い。最後に布団を干してから何日経っただろうか。


「起きたか」


 耳元に息がかかるのは声を聞いたのとほとんど同時だった。


「!!!!」


 声と反対の方へ飛び退きながら声の主を見る。


「だ、誰だ! どっから、入ってきた!」


 動転して回らない舌でなんとか声を紡ぎ出す。薄暗がりの中、遮光カーテンの隙間から漏れ出た光だけが室内を照らし、相手――恐らく男――の顔は判然としない。


「俺はお前だ。俺は今から十四年前の時代にやって来た。お前は十四年前の俺だ」


 十四年前? こいつが俺だって? 誇大妄想も甚だしいぞ。……暗所に目が慣れたのか、男の姿が次第とはっきり見えるようになった――上半身はよれよれの無地のタンクトップ、下半身はタンクトップの裾に隠れて見えず、裾の下からは素脚がすらりと伸びており、足先は左右で異なる柄の靴下で覆われている。顔は――


「おま、アンタ、隣の部屋の人じゃないか!」

「隣でない。隣の部屋は叔父の部屋で私の部屋は丁度その真上にある。人でもない。ミサヤシという名前がある」


 男――ミサヤシ――はさも当然といった様子で答える。結局未来人でもなければ俺の血縁ですらない!


「当然ミサヤシこの名前は偽名だ。叔父というのも七年前からで今は他人同士。彼には記憶改竄を噛ませてあるから知る由もなかろうが」


ミサヤシは言葉を短く切った。僅かな静寂。


「……そして、俺は十六年後のお前だ。電気通信公社が極秘裏に開発しウィルスに偽装して空気中に頒布したナノマシンによってタイムスリップさせられたのだ。未来を変えられるのはお前しかいない」


十六年? さっきは十四年だったぞ。妄想するにしても整合性を持たせるべきなんじゃないのか……?


「お前の疑問はもっともだ。説明は省くが、時間の流れは平等でも対称でもないのだ。そのことはお前にもいずれ分かるだろうが……」


 こいつ、思考を……?


「思考ではない。お前は考えたことを口に出し過ぎている」


 嘘だろ……!?


「嘘だ。お前は何も言っていない。思考盗聴は電気通信公社の特許技術で上級社員だけが使用を許可されている。だが電気通信公社が巨大複合企業となり世界を影で牛耳るのを阻止するのは過去の人間であるお前の役目だ」


 目眩と吐き気がぐるぐると渦を巻いて押し寄せてくる。足元の感覚が覚束なくなり、世界が無限に傾斜しながら平行移動していく。頭の天辺と足先が同じ向きを向いているような感覚の中、思考の糸を紡ごうと藻掻く。

 14年だか16年だかの未来で電気通信公社とやらが権謀術数をめぐらせている? ナノマシン? タイムマシン? だが


「おま、本当どこから入ってきたっだよ! お前、俺じゃねーだろ! ミサヤシだっ、別人だろ!」

「そうだ。ミサヤシだ。だがここは私の部屋だ。。天井の壁掛け時計に見覚えはあるか? お前の部屋に黴臭い布団はあったか?」


 天井を見る。時計の針は既に27時を回っていた。

 握りしめた掛け布団を見る。ところどころ擦り切れて穴が空いている。

 どれも私のものじゃない。そもそも私はマンション住まいではないし、和室も存在しない。


「そう。これは夢だ」

「夢」

「思い出せ。今は職場で休憩時間を取っていたのではなかったか?」


 給湯室で急須にお湯を注ぎながら、雑談に勤しむ同僚に適当な相槌を返す。同僚から何かを手渡される。


「それはなんだった? トリップムービーのチケットだ。丁度――」

「――丁度こんな感じの夢を見せるやつだった」


 チケットを舌の上に乗せ、引き出しから取り出したシャンパンとともに喉の奥へ流し込む。

 視界が充血し、景色が黄ばんでいく。

 とともに血の気の引く感覚が現れ、意識が血液とともに冷えて抜け出していくのを感じる。

 爽やかな朝を想わせる音楽を遠くに聞く。


「そうだ。お前は夢から覚めると給湯室にいる。これは夢だ」

「夢。そうか――」



 爽やかな朝を想わせる音楽を遠くに聞く。音量は次第次第に明瞭なものとなり――あ、これ目覚ましだ。


「……」


 手探りで目覚ましを探し音声を停止させる。


「……夢か」


 誰に言うでもなくポツリと呟く。

 視線を巡らすと、自分と同様に目を覚ました人、スポーツウェアを脱いで仕事着に着替える人、取り憑かれたように猛然とデスクに向かいキータイプする人などが見える。


「ミサヤ氏が昼寝するとは珍しいですね」


 振り向くと同期のトイウダがいた。


「思考伝達装置の件、予算承認は得られそうなんですか?」


 ニヤニヤ笑いを浮かべながら――当人はそういう顔だと主張している――トイウダが問うた。


「まだ内製でプロトタイプ作ってるとこです。本格的な開発はなんとも……」


 センサ感度の向上、神経系の活性状態の推定モデルの設計、機器の軽量化、ユースケースの洗い出し、セキュリティやプライバシーの考慮、等など。解決すべき課題の山を脳裏に巡らす。

 だが個人的感情は別のより大きな課題へ注意を向けるよう促した。


「あと、いいかげんその『ミサヤ氏』っていうの止めてくださいよ」

「えっ。いつも流されているので、てっきり受け入れられているのかと思っていましたが」


 驚いたと言うように、トイウダがナナフシのような体を揺らす。


「閉口しただけで受容はしてません。普通にキモいと思ってます」

「そんなぁ。けっこう愛着あるんですが」

「ダメです」

「じゃあ呼び捨てでいいですか?」

「それセクハラですからね。なんで普通にさん付けで呼ばないんですか?」

「そりゃ面白いからに決まってます」


 トイウダは真顔――ニヤニヤ顔以外見たことがないのでどちらが真顔かは検討が必要かも知れない――でそう言った。


 以前から確信していたことだが、トイウダはこういうハラスメント行為を真実友好的な態度だと信仰しているようだった。つまり、彼は全く悪意なく善意から嫌がらせのような行為を働くのだ。

 彼が入社したての時期には誰彼構わずそうしていたのようなのだが、私が見かねて防壁役を買って出たあたりから雲行きは怪しくなって行き、現在は専ら私がその対象となっていた。

 多分、懐かれたのだろう。それが分かるだけに余計に腹が立った。


「それと面白いついでに一つ。僕も作ってみたんですよ、同じの」

?」


 私が問いかけるより早く、トイウダはどこからかダンボール容器を取り出し、中の黒い筐体を見せた。


「思考伝達装置です。プロトタイプですが」


 トイウダの言葉に思わず私は筐体を見た。私のチームが作成しているものとは大きさも形も似ても似つかない。こんな小型な装置で、しかもプローブの一つも付いていないもので、有意に機能が実現できるものか……?


「まあ、論より証拠。百聞は一見に如かずですよ」

「なっ……」


 トイウダの腕が滑らかに伸び、黒い筐体が私の頭部に取り付けられる。完全に虚を突かれどうすることもできない。

 状況についていけず、トイウダの方を見る。トイウダはいつものムカつくニヤニヤ顔を更に引き攣らせてこちらをじっくりと観察していた。


「ムカつくはないでしょう。好きでこの顔になったわけではないんですから。……え、何故ミサヤ氏の考えが分かるかですか? それは勿論、僕の装置のお蔭です。今は僕のイヤフォンとペアリングしているので、僕にだけ音声が聞こえる状態です」


 衝動的に怒りが湧き、トイウダの首に手が伸び、そのまま――首を絞めるのはまずい――咄嗟にデスクの上に叩きつけた。トイウダは体勢を崩しながらも顔面を守り、そのまま上半身だけ這いつくばるような姿勢になった。


「あ、あー。ごめんなさい……?」


 呻くようにトイウダの口から音が漏れ出る。

 私はトイウダに付けられた装置を乱暴に取り外し、自分を制止した。


「トイウダ。しばらくは内職という形になるけど、こっちのプロジェクト手伝ってくれない? コレはそのまま使えないけど、ウチのチームで開発してる試作機に流用できる部分はあると思う。いいよね?」


 トイウダはしばらく呆気にとられた様子だったが、やがていつもの顔に戻り、承諾した。



 トイウダの素行について関係者へ説明し、彼を正式にプロジェクトに参画させるのは彼自身を御するより多大な労苦に見舞われた。

 しかしデモを通じて彼の有用性を示すことで、なんとか現在の体制にすることができた。

 トイウダの協力により、当初の主だった課題はほとんど解決され、要素技術として確立したといえる状況となった。

 そのため目下の主題は如何にサービスとして成立させるか、実運用や法務的な課題、関係省庁への技術説明のセッティングや法整備の打診など、今後の課題やスケジュールも見えてくるようになった。

 紆余曲折あったものの、前途洋々である。


 コポポポポ……、給湯室でティーポットにお湯を注ぎつつこれまでの来し方に思いを馳せる。デスクに戻ろうと振り向くとそこにトイウダが立っていた。


「どうしたの? トイウダくん」


 トイウダが何やら懐から取り出す。フィルムのような形状の――


「トリップムービーのチケットです。ミサヤ氏もお一つどうです?」

「違法薬物?」

「違法かは僕が決めることでは。大丈夫です、これ自体は無害ですし、何の効き目もありません」


 これ自体、ということは何かと併用するのだろうか?


「チケットを口に含んでもらって、睡眠前に映写機をセットすることで好きな夢を観られるんです。チケットは夢を正確に導入するためのものです」

「その映写機というのは?」

「僕が持ってるこれです」


 そう言いながら小さな機械を差し出した。


「ミサヤ氏に見せるのは初めてではないですよ」

「その機械のこと?」


 トイウダは首を横に振り答えた。


「いえ、トリップムービーです」

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