四⑤

 僕はそんな章子の身体を抱きしめながら耳元で語りかけた。


「今日は、章子の仕事はお休み、だよ」

「え?」


 章子は僕の言葉が理解出来ていない様子だった。そんな章子に僕はにっこりと微笑むと、力一杯章子の細い身体を抱きしめる。

 まるで、章子の魂が他のどこにも行かないように、この世にとどめるかのように。


「おはようございます!」


 そうしていると玄関から何人かの人の気配と女性の声が響いた。来客の予定など知るよしもない章子が驚いて、玄関へと向かおうとするのを僕は止める。


「言っただろう? 今日は章子の仕事は全部なしだ」


 僕の言葉に章子は目を大きくする。そんな章子ににっこり微笑みを残して、僕は玄関へと向かう。そうして大切な来客である数人のご婦人方を家の奥へと案内する。


「お忙しいところ、ありがとうございます」

「いいんですよ! おめでたいことは私たちも大歓迎ですから! ねぇ? 皆さん?」

「えぇ!」

「助かります」


 そんな話をしながら僕は、ご婦人たちに呆然としている章子を紹介する。

 紹介を受けた章子は訳も分からず自己紹介をした。その様子を見たご婦人が、


「あらあら、まぁまぁ。この子がお話に出ていらした?」

「はい、妻の章子です」

「本当に、なんと可愛らしいお嬢さんかしら! では早速、取りかかりましょうか。章子さん、こちらへ」

「え?」


 きっと章子は今、目の前で突如起こっている出来事に全くついて行けていないだろう。先程から口をパクパクさせ、何度もまばたきをしている。

 僕はそんな章子へ笑顔で声をかける。


「行っておいで、章子。悪いようにはしないから」


 僕のこの言葉に章子は少し不安そうな表情を残して、隣の部屋へとご婦人たちと共に消えていった。残った僕も準備に取りかかるのだった。

 それから準備を終えた僕は、声をかけられるまでソワソワとしていた。落ち着きなく部屋の中をうろうろとしてしまう。そうしていると、


「島崎さん、用意、出来ましたよ」


 隣の部屋へ章子と共に消えていったご婦人の一人が僕へと声をかけてくれる。僕はすぐに部屋の出入り口へと目を向ける。

 そこに現れたのは、化粧を施された白無垢姿の章子だった。僕はその章子の美しさに息を飲む。

 白無垢姿の章子は僕に視線を投げると、


「直哉さん、これは……? 直哉さんのその格好……?」


 疑問符だらけと言うような章子へと、僕は説明をする。

 僕たちは祝言しゅうげんを挙げてはいない。いや、挙げられなかったと言った方が正しいだろう。しかし章子は年頃の娘である。いくら口では祝言を挙げなくても平気だと言ってはいても、やはり章子にも祝言への憧れはあるに違いない。

 それに何より、僕自身が章子の白無垢姿を見てみたかったのだ。そこまで説明すると章子の美しい切れ長の瞳が揺れる。


「祝言とはいかないけれど、写真でも撮って記念にしようと思ってね」

「直哉さん……」


 僕の言葉に返す章子の声が震えている。その目元にはキラキラと涙が光っていた。僕はそんな章子へ苦笑をすると、


「せっかくの綺麗な化粧が取れてしまうよ?」


 そう言って章子の目元をそっと拭った。

 その後すぐに写真屋がやってきた。僕と章子は、僕たちのお気に入りの小さな庭へと出ると、そこで終わりかけの梅の花と共に写真を撮って貰うのだった。




 そうして梅の季節は終わっていく。章子は少しずつ身体を起こすことが辛そうになっていった。それでも僕のために家のことをやろうと無理をする。僕が章子に寝ているように言っても、章子は僕に笑顔を向けて、


「私は、病気ではありませんから」


 そう言ってがんとして家事を行うのだった。

 それでも心配な僕は、何人かの医者を呼び章子の身体を看て貰ったのだが、


「至って健康ですね。何の問題もありません」

「問題はないですね。何故奥様が辛そうなのか、原因は分からないです」


 そう言われてしまう。

 医者の診断が降りるたび、章子は僕に微笑んでから、


「ね? 私の身体は何ともないでしょう?」


 そう言うのだった。

 そう章子に言われても、僕は納得が出来ない。白黒の髑髏は見えない。医者も章子本人も大丈夫だという。だけどこれは、僕の勘のようなものなのだが、この嫌な感じは常に僕につきまとい、章子の命が残り少ないことを示しているかのようなのだ。

 僕は章子へと問う。


「章子、僕に出来ることは何かあるかい?」


 そのたびに章子は微笑んだまま口を開く。


「直哉さんは直哉さんのままで。そのままで、大丈夫ですよ」


 その微笑みは日ごとに細くなり、儚さが増していく。その笑顔を見るたびに、僕には章子にしてやれることが皆無なのだと、思い知ることになるのだった。

 そうして桜の季節が始まる頃には、章子は寝床から起き上がれなくなっていた。僕は慌てて医者を呼び、章子の身体を看て貰う。


「以前にも申し上げましたが、奥様のお身体に、悪いところはないように見受けられます」

「もっとちゃんと看てくださいよ! あなた、先生でしょうっ?」

「そう言われましても……」


 そう言って頭を掻く医者の胸ぐらを、僕は掴む勢いで章子の様子をもう一度看て貰えないか頼み込む。しかしそんな僕の様子を見ていた章子が、


「やめて、直哉さん。私、本当に病気ではないの」

「しかし章子……」

「私は多分、疲れているのね。だから大丈夫ですよ、直哉さん」


 しかし僕は、そんな章子の言葉に納得がいかない。

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