四③

 僕の耳元に、もうあの死を予見する歯音は聞こえてこない。章子にもそれが分かっているのか、彼女はそのままへなへなとその場にへたり込んでしまう。


「章子……?」


 恐る恐る僕は章子へと声をかける。章子は顔を上げると、少し汗が浮かんだその顔を笑顔に変える。


「これでもう、直哉さんは大丈夫です」

「どう言う意味だい? 章子、君は一体……?」


 僕の問いかけに章子の目が悲しげに細められる。どうやらこの先の言葉を紡ぐことをためらっている様子だ。

 僕はまだ立ち上がることが出来そうにない章子の、その身体を強く抱きしめる。


「話してごらん、章子。だって僕たちはもう、夫婦となったのだから。ね?」


 僕の言葉に腕の中の章子が顔を上げるのが分かった。そうしてゆっくりとその口を開く。


「私には、分かるのです。く人のことが……」


 人は皆、生まれたからには死からは逃れられない。その死の象徴として、その肩の上には生まれながらに髑髏を持っていると言うのだ。


 健康な人間の髑髏はとても小さく、普段はその姿を隠しているのだという。しかし人が成長していき、少しずつ死へと近付いていくと、その隠れていた髑髏もまたむくむくと成長し、姿を現し始める。

 そのまま天寿を全うする場合、成長と共に髑髏も少しずつ成長はするものの、そのあぎとを人に向けることはないのだという。


 しかし病や事故、殺人等の不慮の災難に襲われる時、死の象徴である髑髏はその姿を現し、そしてそのあぎとを人に向ける。


「私は、それを見ることが耐えられないのです」


 だから章子は学校で髑髏を見かけると、人知れずこっそりとその髑髏を鎮めてきたのだと言う。


(なるほど。道理で学校ではあれが見えなかったんだな……)


 僕は妙に納得してしまう。


「でも、直哉さんは……」

「僕が、どうしたんだい?」


 章子は僕を見上げるとじっと僕の目を見つめる。その真っ直ぐな視線に僕は全てを見透かされてしまう気がして、ドギマギとしてしまう。

 僕が章子の言葉を待っていると、章子が決意したように口を開いた。


「直哉さんは、ご自分の死の前兆に気付いていらっしゃいましたか?」

「死の、前兆?」


 目を丸くする僕に章子が大きく頷いた。

 章子の話によると、僕があの学校に赴任した時には既に、死の前兆となる髑髏の姿があったそうだ。


「でも、それは私が近付くとその姿を消してしまうのです」


 だから章子は毎日、放課後に様子を見ていたのだという。しかし僕にはあれは見えてはいなかった。そのことを章子に話すと、章子が目を丸くした。


「直哉さんは、見えない人なんですか……?」

「見えない、と言うか……」


 僕はどう説明したものかを一瞬考える。そうして章子には親友だった里見と口論の末に、僕が線路へと飛び込んだことから、全てのことを話すことに決めた。


「章子。長くなるから着替えてきなさい。その格好では寒いだろう?」


 僕は巫女姿のままの章子にそう言うと、火鉢に火をくべる。そうして部屋が暖まるのを待ちながら、章子の着替えを待つ。

 夜着に着替えた章子が戻ってくると、僕は僕が経験した全てと、『前世の記憶』についても話をする。


「直哉さんは、断片的に見えるのですね」


 僕の話を聞き終えた章子が口を開く。

 僕は頭に疑問符を浮かべる。『断片的に見える』とは一体どう言うことなのだろうか?

 僕の疑問に章子は答えてくれる。


「直哉さんの場合は常に死の象徴が見えているわけではないので……」


 そうなのだ。

 僕の場合、あらぶっている時の死の象徴が見えているのである。そのため僕の見える髑髏は不完全で、白黒に色が抜けているのだと章子は言う。

 そうした不遇の死の際の、死の象徴のことを、章子は『死の象徴の目覚め』と呼んでいるようだった。


「じゃあ章子は、常に死の象徴が見えており、『死の象徴の目覚め』の時にそれを鎮めてきた訳だね?」


 確認するような僕の言葉に章子がこくりと頷いた。


「では章子は、どうやって『死の象徴の目覚め』を鎮めてきたのだい? そもそもどうして、君にはあれが見える?」

「それは……」


 章子は少し口ごもると、ゆっくりと順を追って説明してくれた。

 章子の家は神社である。その神社を守っている家系の中に、一際強い力を持った娘が生まれることが、稀にあるそうだ。

 その強い力を持った娘の中には、その昔、橋の上に出ると言われる男の怨霊おんりょうを祓った少女もいるという。その逸話を聞いた僕は目を丸くする。


「もしかして、その先祖に当たる少女が祓った橋の上の怨霊って言うのは……」

「おそらく、前世の直哉さんだと思われます」


 章子は僕の目を真っ直ぐに見つめて答えてくれる。その瞳の奥に嘘や偽りは見受けられない。

 僕は突然もたらされた情報に驚愕し、頭を押さえた。


(そう言う、理由なのか……)


 僕が章子に惹かれた理由。それが章子の先祖と深く関わりがあったのだ。僕はその事実に打ちのめされるも、妙に納得し、腑に落ちてしまう自分もいた。

 そういう先祖の強い力を受け継いだのが章子なのだ。章子は『死の象徴の目覚め』に触れることで、その目覚めを鎮めてきたのだが、


「先程もお話ししました通り、直哉さんのものだけは、私が近付くと消えてしまって……」


 だから、触れることが出来なかったのだと言う。


「でも、私が傍にいることで、直哉さんが無事なのならば。そう思って私はいつもお傍に居させて戴いていました」


 しかし今宵、僕の死の象徴は章子が傍に居ても消えることはなかった。試しに触れてみても、僕の死の象徴は鎮まる気配がない。章子は急いで持参していた白衣と緋袴に着替えると、僕の死の象徴を鎮めるために舞を舞った、と言うことらしい。


「直哉さんの、死の象徴を鎮めることが出来て、直哉さんを助けることが出来て、私は本当に嬉しいです」


 章子はそう言うと、にっこりと微笑んでくれる。そんな章子の笑顔に僕は胸がいっぱいになり、思わず章子の細い身体を抱きしめていたのだった。

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