第五音⑦
「さぁ、水族館へ行こう!」
「そうだな」
それから二人は連れ立って改札を抜ける。
学校の最寄り駅から三十分、在来線と地下鉄を乗り継ぎ二人は港近くにある水族館の最寄り駅へと到着した。その地下鉄の駅から地上へと出ると、初夏の風に乗って潮の香りが鼻をくすぐる。
「うわぁ! 目の前、すぐ、海!」
「はしゃぎすぎて落ちるなよ?」
「そんなドジはしません!」
鈴の少しむっとした表情を見た和真の顔つきが自然と緩くなる。和真はコロコロと感情に素直な表情の変化を見せる鈴が、愛しいと思えてくるのだった。そして自然と守りたいとも思う。
「あ! 和真くん、あそこ! すっごく大きな船があるよ!」
「そうだな」
鈴は潮風に髪をなびかせながら海のギリギリのところまで近付く。その後ろを和真もゆっくりとした足取りで追いかけていく。
鈴はスマートフォンを取り出して海上の貨物船を写真に収めようとしている。視線は貨物船に釘付けで、足下が危なっかしい。それに気付いた和真は自然と鈴の腰に手を回していた。
そのゴツゴツとした筋肉質の腕の感触に驚いて鈴が顔を上げると、至近距離に和真の顔がある。目を丸くする鈴に向かって和真が静かに言った。
「海に落ちる」
「あ、ありがとう……」
鈴は自分を支える和真のたくましい腕の感触に、貨物船の撮影どころではなくなってしまうのだった。
「もう大丈夫! ありがとう、和真くん!」
「あぁ」
数枚の貨物船の写真を撮った鈴が俯いて早口で言うのに、和真は冷静に返すと鈴の腰から手を離した。
(し、心臓が、いくつあっても足りない……!)
バクバクと鳴り響く心臓の音に恥ずかしさを感じる鈴に、
「行こうか」
和真が声をかけ、水族館の建物の方へと歩いて行く。鈴はそんな和真の冷静な声音に少し落ち着きながらも、
(私だけドキドキしてるなんて、なんか、ズルイ……)
そう思わずにはいられなかったのだった。
水族館の外で入場のためのチケットを買う。平日だからか入場者の列はまばらですぐに鈴たちの買う番がやって来た。
「高校生二枚」
「学生証はお持ちですか?」
受付の人の言葉に鈴たちは鞄から生徒手帳を取り出すと受付に見せる。
「結構ですよ」
それから鈴たちは入場料を支払うと館内へと足を進めて行った。購入した入場チケットを入り口で見せる。入り口に立っていたスタッフがチケットを切る。
「ごゆっくり、お楽しみください」
スタッフはそう言うと二人を館内へと送り出してくれる。そうして中に入ってすぐに目に入ったのは大水槽だった。
「う、わぁ……!」
鈴は目の前の大水槽に目を輝かせている。小走りに近付くと、鈴はキラキラとした目で水槽の中を見つめた。中でも光に反射しているイワシのトルネードは圧巻で、鈴は釘付けになる。
しばらく大水槽を見ている鈴の横に和真も黙って立っている。それからちらっとスマートフォンを見てから鈴に声をかけた。
「鈴、イルカショーが始まる」
「イルカショー? 行く行く!」
鈴はぴょんぴょんと跳びはねながら言った。和真はそんな鈴の手を自然と取った。鈴がドキッとして和真を見上げると、和真は鈴の視線を真っ直ぐに受けとめながら、
「鈴が迷子にならないためのヤツ」
そう言うと、そのまま鈴の手を引いて移動を始めた。鈴は空いている手で口元を押さえながら、赤くなる顔をなるべく見られないようにするのだった。
さて、イルカショーのあるスタジアムは大水槽のある南館から連絡通路を通って北館の屋上にある。その道すがらは明るく、天井からはクジラの骨格標本がぶら下がっていた。鈴はエスカレーターに乗りながらそんな骨格標本を見上げている。そうして頭上に夢中になっている鈴の手を和真はしっかりと握っているのだった。
北館屋上のイルカショープールのあるスタジアムは、ショーを心待ちにしている人々でいっぱいになりつつあった。
「前の席は埋まっちゃってるかぁ……。残念」
「前は濡れる可能性があるし、濡れずにすんでショー全体が見えるところに行こう」
最前列のあたりが埋まっていることに残念がる鈴の手を引いて、和真はスタジアムの階段を上っていく。それからステージの正面に当たる位置に席を取った。スタジアム中央に位置するこの席なら水しぶきも届くことはなく、イルカのプール全体を見ることも出来る。特等席と言ってもいいだろう。
鈴は席に座るとスタジアムの入り口で手渡されたパンフレットを見る。
「結構、色々なことをしてくれるみたいだね、イルカ!」
「そうなのか?」
「ほら!」
鈴は手に持っていたパンフレットを和真に見せる。和真もパンフレットを覗き込む。二人で一枚のパンフレットを覗き込んでいると、ふと至近距離でお互いの視線がぶつかった。その瞬間、鈴の鼓動が大きくなる。
「鈴……」
(え……?)
和真の声に甘さを感じる。そのまま和真の顔が鈴の顔へと近付いてきた気がした。と、次の瞬間、スタジアム内を賑やかな音楽が包み込んだ。和真の動きがピタリと止まる。
「始まるみたいだな」
和真はそう言うとスッと鈴から顔を離し、正面のプールを見る。そんな和真の様子に鈴は心臓が口から飛び出しそうだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます