フェルミオンの天蓋 Ⅰ〈Angel Awaken〉

周雷文吾

第0話 プロローグ

The TECTORIUM of the FERMION

〈Angel Awaken〉


 これは、喪失を前に、それでも立ち上がる者の話だ。


0

 覚えているのは、頭上遥か高くに広がる光の奔流。そして、一人の男。

 彼と離ればなれになってしまったあのとき、私はその光の奔流にもみくちゃにされて、どこか遠くへと流されてしまっていた。

 気づけば私は光の奔流からこぼれ落ちて、なんだかよく分からない場所をただよっていた。

 頭上では、光の奔流があたかも天蓋のように裾野を広げていて、それは今まで見たこともないほどに幻想的な光景がそこにはあった。しかし、同時に説明のできない恐ろしさを、ひしひしと感じずにはいられなかった。

 最愛の人と離ればなれになってしまったのだと、すぐには理解できなかった。

 彼の妹を助けたいと、そう願ってあの扉を開いたのは確かに自分自身だ。けれど、そのせいで彼と離ればなれになってしまうなんて、想像もしていなかった。後悔したときにはもう手遅れで、どうにもならなくて、しばらくは呆然として泣くこともできなかった。

 罰、なんだろうか。

 過去を変えたいなんて願った、おろかな私に対する。

 本来なら叶わないはずの願いに、それでも無理矢理に手を伸ばしてしまった私に対する。

 あのとき、光の奔流で形作られた天蓋を見上げている最中、あの男は現れた。

 男は言った。地球の〈崩壊〉を経てなお、人類はしぶとく生き残ったという事実は驚嘆に値する。私は、人類を幸福に導くには力が及ばなかったということだな、と。

 その言葉がなにを意味しているのか、しばらく理解できなかった。

 地球の〈崩壊〉を引き起こした者だからこそ発せられる言葉だと、とっさにはわからなかった。しかも、それ――すなわち、地球の〈崩壊〉に伴う人類の絶滅――が人類自身の幸福につながっていると思っているだなんて。私はその恐ろしい思考に、ただただ戦慄するしかなかった。そんなことが、普通の人間に可能な発想だとは思えない。

 地球の〈崩壊〉。

 その詳しい発生原因を、私は知らない。聞いた話では、当時の大都市を複数含んだエリアで、特殊な爆弾が炸裂したことがきっかけだったという。主要都市の消失により、多くの国々を傘下としていた共同体は、その機能を失った。かろうじて被害を免れた国々も、独自に犯人探しに躍起になり、各国は疑心暗鬼にさいなまれた。力を失った共同体の空中分解は回避しようもなく、各国は自らの国を守るために武力による解決を図った。

 ワールドウォーⅣ、すなわち、第四次世界大戦の勃発。

 ありとあらゆる破壊兵器が、ありとあらゆる場所で使用された。結果、地球上に存在した生命体の九割五分以上が死滅し、生き残った生命体も有害な電磁波により遺伝子が破壊された。海はそのほとんどが蒸発し、大地はもとの形状を保てず、空は有害な雲でおおわれた。地軸すら歪んでしまった地球は、生命の生き残れない星となってしまった。

 それは私にとって過去のことで、また同時に未来のことだ。

 光の奔流を抜け、その天蓋の下での男との邂逅を経て、とある場所にたどり着いてみると、私は千何百年、という想像できないくらいの時間をさかのぼっていたのだから。

 知らない場所の、知らない時代。言葉も通じなくて、彼と再会するためになにをすればいいかもわからない。

 ただ強く意識させられるのは、あの男の所業は止めなければならない、ということだ。

 それはもしかしたら、彼との再会よりも重要なことかもしれない。

 地球の〈崩壊〉、またの名を第四次世界大戦。それを引き起こした――引き起こす、その主犯なのだから。

 未来や過去を変えることができるのかどうかはわからない。けれど、惨事が起きるとわかっていて見過ごせるだろうか。そのチャンスがあるなら、止めるべきだって、そう思う。私のこの力になにか意味があるとしたら、それはこれなんじゃないかって思う。

 ……いや、そうすることで、私は意味を見出したいのだろう。

 こんな人智を超えた力を持っているせいで、私の人生は振り回され続けてきた。家族を失い、彼と、そしてアスカと出会い……それから最愛の彼と離ればなれになり、時さえ越えてしまった私の人生に、なにか意味があると思いたいのだ。

 こんな私でも、こんな私だからこそ成し得ることのできるなにかが。

 この力に、憂鬱を感じるだけではない価値があってほしいと思うから。

「天使様」

 ようやく聞き取れるようになってきたここの言葉でそう呼ばれて、私はそんなとりとめもない考えを止める。

 御簾の外に、侍女がやってきていた。

「まもなく儀式のお時間です」

 顔を上げた私に、彼女は控えめにそう告げる。

 私はうなずいて立ち上がると、御簾から出る。

 天使様、ね。

 私は、自重気味の笑みがこぼれそうになるのをなんとかこらえる。こんなところにやってきてもなお、そう呼ばれることになるなんて、とんだ皮肉だ。

 貴重な明かり油に火を灯していても、石造りの室内はまだ薄暗い。

 御簾の向こう側、入口近くにはこの国の王族や神官なんかが並んでいる。ここまで時代をさかのぼってしまうと、王様だとか神官なんていう、おとぎ話の登場人物みたいな人たちが本当にいるんだな、なんて考えてしまった。

 彼らと私の間。その、一見なんの変哲もない空間は、しかし、私から見れば不安定極まりない。

 この場所の不安定さが、私でも本来不可能なはずのことを成し遂げさせてくれる。

 別の時間軸の、別の場所につながる扉を開けさせてくれる。

 ワームホール。

 一般に――この時代ではまだ、その概念すら存在しないのだろうけれど――そう呼ばれる時空の特異点。

 空間に、時間に干渉できる力を持った……持ってしまった一握りの人は、それを顕現できる。

 そんな力、いらなかったのに。

 そうしたら、今ごろ私は――。

 かぶりを振る。そんなことを考えてもどうにもならない。ただ、できることをしよう。

 彼と再会するために。

 あの男の所業を止めるために。

 私は、天使だ。天使と呼ばれる、有り体に言えば超能力者。

 私の両親は、私にこんな力があることをわかっていてこの名前をつけたんだろうか。

 アンジェリカ、と――。


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