週刊門川をぶっ潰せ!~無敵オタク奔る~

きんちゃん

1話 最後の邂逅

「え~……改めまして皆さん、本日はわたし鹿島真子かしままこの『港の見える坂を上って』卒業コンサートにお越しくださいまして……本当に、本当にありがとうございます!」


そう言うと鹿島真子は1万人を超える観客に向かって深々と頭を下げた。

観客は割れんばかりの拍手と歓声でそれに応える。

白いドレス風の衣装は、彼女の可憐さと清純さ、そして内面の芯の強さを象徴しているように見えた。旅立ちの日にこれ以上相応しい装いはないだろう。


「えっと……………………」


誰もが固唾かたずを飲んで鹿島真子の次の言葉を待ち望んでいた。

 

コンサートの前半は、卒業の悲しみを吹き飛ばすかのような怒涛のヒットナンバーの連続だった。

そしてコンサートも終盤、アンコールとなったところで、制服から白いドレスに着替えた彼女が1人でステージに上がってきたところだった。


痛いほどの静寂が耳に響いた。


「……えっと、すみません。何言うのか忘れちゃいましたぁ……」


(>_<)


待ち望まれていた彼女からの一声は、こんな表情で呟かれたものだった。

張り詰めていた会場の空気が一気に弛緩し笑い声が広がってゆく。


「真子しっかり~」「がんばれ~」


弛緩した空気を、ともに温かくすくい上げるように、すぐさま客席から歓声と応援の声が飛んで来る。

真剣な表情ももちろん彼女の魅力の一面だが、こうしたファニーな表情もまた彼女の一面だ。くるくると変わるその表情は彼女の一番の魅力なのだ。

 

俺、深見誠人ふかみまことはそのことを思い出していた。


「……はい、ありがとうございます! もう大丈夫だからね? えっと、私は元々すごく内気な性格だったんです。そんな自分を変えたくてこの『港の見える坂道を上って』のオーディションを受けたんです。15歳の時だったから、もう7年? 8年? 経つんですねぇ……。でも、グループに入っても中々そんな自分を変えることはできませんでした。そんな私を救ってくれた、変えてくれたのは、今日のこの日まで応援してくれてきたファンの1人1人の皆さまです。……活動を続けていく中で私は……本当に皆さんに救われたんです!」


卒業の挨拶は、鹿島真子の誠実な人柄がそのまま表れたものだった。




そこからアンコール曲として彼女のソロ曲『なぎの夜には』が披露された。

抜群の歌唱力ではないけれど、彼女の気持ちの込められた歌に会場は一つになった。

それからは15歳の頃のオーディション映像を始めとした、彼女の7年と少しの『港の見える坂道を上って』での活動を振り返るスライドショーがスクリーンで流された。


22歳の現在の彼女から見れば、15歳当時の自分などあまりに幼く映るのだろう。時に赤面し笑い声をあげながらそれでも、登壇してきた仲間のメンバーと共に彼女自身その映像に見入っていた。

これがステージに立つ彼女の最後の時なのだ。気恥ずかしさだろうと黒歴史だろうとすべてを感じていたいのかもしれない。


 


時は平等ではない。

思春期から大人の女性に成長するまでの7年間という、人生で最も大事な時期を鹿島真子はアイドルに捧げたのだ。無限の可能性がある中で、そのほとんどを犠牲にして彼女はそれを選んだ。

アイドルというものは素晴らしいのだ。俺はそう思っていた。

外部から見ればアイドル文化など、おままごとみたいなものとしてしか映っていないことは嫌と言うほど知っている。

「オタクとアイドルの馴れ合い」「資本主義の道具の一つでしかない」……。


だがそんな言葉は全くの的外れだ。

お前らに何が分かるんだよ? この場を覗きにも来ずわかったような口を利くヤツらの戯言など、本質をまるでかすめてもいない。何一つ聞くに値しない言葉ばかりだ。

ここは聖域だ。この場には疑いようのない真実がある。この内側に入らなければ見えてこない世界が間違いなくある。


でなきゃ、俺はなぜ鹿島真子に救われたんだよ?

なぜここまで鹿島真子に生き方を変えられたんだよ?

なぜ現実とかいう、このクソとしか形容のしようのない世界を、この俺が、この俺なんかが、もう少しだけ生きてみようなんて思えたんだよ?






「いやぁ、久しぶりに初々しい真子の映像が見れて可愛かったですね~!」

「いやぁ! やめてって!」


スライドショーが終わり、ステージが明転するとメンバーとのトークコーナーとなった。メンバー誰からも彼女が愛されてきたことがそのやり取りだけでも明らかだった。

これが『港の見える坂道を上って』としての鹿島真子の最後のMCとなった。


それからの俺の記憶はもう曖昧だった。

歴代のヒット曲の連発にライブのボルテージは再び最高潮を迎え、楽しさと悲しさと多幸とが入り混じった感情でぐちゃぐちゃだった。

周りの真子推しのオタクたちも同じ感情だった。

綯い交ぜないまぜの感情のまま隣のオタクの肩に手を回し、抱き合って笑いながら涙を流していた。






ちょうど一週間前に行われた彼女の最後の握手会の様子を俺は思い出していた。


「あ、マコさん……最後も来てくれたんだね。今まで本当にありがとうね」

「いや、こっちこそ……」


ずっと何を言おうか考えてきた。

幸運にも用意されたこの場で、感謝をきちんと伝えなければお前はオタクとして失格だぞ!

そう思い、彼女に救われたことを文字にまで書き起こし、ずっと反芻はんすうし、言葉にして伝えることを練習してきた。

でも実際その場に立つと言葉はちっとも出て来なかった。

けれど彼女はいつも真剣で誠実だ。挙動不審な俺を目の前にしても、手を握ったまま一言一句聞き逃すまいと俺の言葉を待ち続けていた。


「お時間で~す!!」


『剥がし』と呼ばれるスタッフに強く肩を突き飛ばされる。

最後の握手会だけに真子のレーンに並ぶ人間はいつもより何倍も多い。すべての人間を捌き、少しでも円滑に多くの人間が真子に会うためには彼ら『剥がし』も職務をまっとうしている。仕方のないことだ。


「あのね、マコさん! ……わたしは、鹿島真子として、みんなの前に立てて、本当に、幸せだったよ!」


剝がしに押されながらブースを出て行く俺の背中に真子の言葉が飛んできた。

その時になってようやく俺も目が覚めた。


「……俺も幸せだった! 鹿島真子を推せて本当に幸せだった! ありがとう!」




最後の握手会のやり取りはそれだけだった。言おうと準備してきた言葉はことごとく出て来なかった。

でもそれで充分だったのだと思う。真子とはこれまで多くの時を共に過ごして来たのだ。楽しい時も、喜びの時も、苦しい時も、悲しい時も……。

真子もそれは分かってくれている。だから最後あの言葉を掛けてくれたのだ。

だから、俺たちは、お互いに積み重ねてきた時間を確認することが出来ただけで充分だった。

真子からの最後の言葉が、俺のオタクとしての報酬の総決算なんかじゃあない。真子を推すことが出来た時点で、有り余るほどの報酬は受け取ってしまっている。


鹿島真子を推すことが出来ただけで、俺は幸せだったのだ。

 


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