自分のピアノの価値は低いのに気まぐれが邪魔をする…。

何故だろう。

いつもピアノを弾くと、ストレスが溜まったり、

怒りがこみあげてきたり、元気に、気楽に弾けない。


ピアノが好きではないのは事実だし、

ピアノが上手ではないのも事実だ。


毎日のピアノの練習も好きでやっているわけではない。

やらないと後で、ぐだぐだ文句を言われるのだ。


ピアノを辞めたいと思ったことは何度もある。

それでも、母は部活に入るのならやめてもいいだとか

簡単には辞めさせないのだ。

それでいて、雑に弾いて練習を終わらせれば、

ピアノをやめろだの、やる気がないならやらなくていいだのと

文句しか言わない。


自分自身でも、他人からしてもピアノが上手だと言えないことぐらいは

自覚している。

上手に弾けない理由はいくつかある。

1つは周りがうるさいこと。

言い訳に聞こえるかもしれないが、確かなことだ。

ピアノでうるさいからと上げられるテレビの音量はいつも

自分の耳にもしっかりと届いてくる。

その度に自分はそっちの音に気を取られ、ピアノを弾く手が変に動き出す。

2つ目はいい思い出がないこと。

普通なら、そこから頑張ろうと這い上がっていくのかもしれないが、

自分にはそれができない。

発表会では恥をかき、誰かに褒められたこともない。

友達に褒められたことはあるが、それはほんの1部しか弾いていないからである。

1曲を全て弾けば、どんな素人でもミスタッチがわかるほどに、ミスが大きい。


ミスがあってもいつもやる練習よりはうまいかもしれない、

というようなピアノを弾いたことはある。

気まぐれで

「ピアノを弾きたい」と思い、自分1人しかいない家の中、

静かで誰も自分を邪魔しない状況だった。


ピアノを弾きたいときもあれば、弾きたくないときもあるのは

誰だって同じだろう。

それでも少し、自分の中でのピアノの価値は低い。

少しではないのかもしれないが、結局のところは価値が低い。

入院中でさえ、ピアノを弾きたいなんて1度も思わなかった。

それぐらい自分の中では「くだらないこと」なのかもしれないし、

「興味のないこと」なのかもしれない。

どんなことなのかもっと思いつきそうで、

「やはり、やる意味などないのでは」と思えてくる。


しかし、気まぐれが邪魔をする。

さっきまでやりたくないと思っていても、

気づいた時にはもう

「別に何も思っていない」という言葉が頭をよぎる。


今、弾きたいか、弾きたくないか聞かれたら、

少し迷うかもしれない。

気まぐれはやっかいだ。


気づいた時には不意を突かれて、

「別に」を付けられる。

まるで何も考えていないみたいだ。

テキトウな返事をするような、

受け流すような言葉になる。


結局、気まぐれには勝てない。

(母にも…。)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る