芸術革命

烏肉

プロローグ

 「穴というのも構造への呼称に過ぎない。嗚呼、哀れな人。本来それは存在のない部分を指摘した言葉に過ぎないというのに。」 『洞穴』 ヒルデガルト・フォーゲル


 彼女の書いた戯曲や詩から哲学、表現のなんたるかを学んだ自分が、死というテーマを腫れ物にして取り扱わないでいることはどうも不自然に思える。ある種の不敬に匹敵する気さえしたのだ。

 すべからく、死を本質的に認識する手段は既に我々の手が届かない領域にある。経験したからと言ってそのすべてを言葉だけでうまく表現できるとは思わない。はっきり言って言葉というツールにはそれほど高くない場所に限界がある。しかし、経験できないことはその言葉にする試みすら許されないのだ。

 そういった根底的なシステムや前提から固められた死という概念の徹底的な語りえなさというやつは。わずかな希望を胸に、今日も原稿用紙に齧り続ける僕を完膚なきまでに打ちのめして、もう何も話したくない、閉口していたいというところまで簡単に弾き飛ばす。


   ※


 ドイツ出身の文筆家、ヒルデガルト・フォーゲルについて語る。


 研究者によってはヒルデガルド、ヒルデガードと呼ぶ人もいるし、その後にいくつか続くミドル・ネームは大抵の場合に割愛されて語り継がれた。

 若く優れた文筆家にして容姿端麗、惜しむらくは彼女がユダヤ人ではなかったことだ。

 時代はヒルデガルト・フォーゲルに対して、ネリー・ザックスやアンネ・フランクのような、わかりやすい英雄としての珍重や保存の選択を採ることはなかった。1945年の五月に横たわる彼女の遺体の上に時間の層が一枚ずつ被さり、そして誰もその底から掬いあげることはほとんどしなかった。ユダヤ人ではなかったから。あるいは、ただ世間の脚光を浴びる以前に亡くなったことにも多少、起因するかもしれない。とにかくその崇高かつ英雄的な死をもって彼女は最期に自身の芸術をこの世界に証明したと、僕は考えている。


 ヒルデガルトの作品のほとんどは1940年代初頭から1945年にかけて、空爆が雨のように降った時代に作られた。

 現代においても多少名の知れた作品と言えばせいぜい1944年に書かれた『湖畔』くらいのものだろう。チェコ人の少女が入水自殺に使うボートを求め、あれじゃないこれでもないと遅疑逡巡しながら湖のほとりを彷徨う、あれだ。内容を知らなくても、もしかしたら題名くらいなら教科書のページの片隅で紹介されていたこともあったかもしれない。詩や短編小説のように紹介されたり翻訳されることも多いけれど、実際のところあれは戯曲の一幕に過ぎず、本人も詩のつもりでは書かなかったかもしれない。これは個人的な憶測だが、もっと重要なことを見据え、作品のひとつひとつを深く愛でるよう丁寧に手掛けた彼女にとって、その分類などどうだって良い問題だったのかもしれない。さながら、真っすぐな愛ゆえ、我が子の自主性をどこまでも信じる母親のようだ。


 「ほんとうに死ぬ心づもりでいるなら、なぜそれほどこだわりを?」 『湖畔』 ヒルデガルト・フォーゲル


 フォーゲル家はヒトラーがドイツ人の理想として掲げたゲルマン系の血統で、ヒルデガルトもまた紺碧の瞳に見事な金髪の持ち主だった。学者だった父親はしたたかで家族に対する愛も忘れない人間だったので、国是や国政に疑念や不満を持ちながらも政府とは程よい距離感をとりうまく付き合った。なのでフォーゲル家というのは、少なくとも表向きには模範的なベルリン市民一家だった。


 「大叔父は“金にならない芸術家など所詮山の羊飼いほどの価値しかない”と言った。私は思う。芸術の気高さから目を背ける者こそ、広がる丘陵に目をやらず、足元に繁る草を黙々と食らう羊なのだ、と。羊飼いが羊に屈することなどあってはならない。」 『灰燼に歌う』 ヒルデガルト・フォーゲル


 アドルフ・ヒトラーの輝かしい功績のひとつとして、気に入らない芸術作品に退廃芸術の烙印を押し破壊の限りを尽くしたことが挙げられる。そんな“文化創造主”でもあった彼が決然、世界首都ゲルマニアという壮大な夢を描いてやろうと手に取ったキャンバスこそベルリンだったわけだが。

 ヒトラーの死後、終戦直後のまだ土煙がもうもうと舞う壊乱のその街で、ヒルデガルトは制限のない自由な芸術探究の再興を叫んだ。かつて建物だったものの残骸や、泥塗れの死体に埋もれたベルリンにて。芸術が再びこの国を、そして世界を立て直すと信じ、朗読劇のような形式に手直しした自らの作品を高らかに詠み続けたのだ。彼女が数十枚の原稿を脇に抱え瓦礫の最も高く積まれた山をよじ登ってその頂点に立ち朗読を始めたのが後にドイツにとって終戦日とも定められる五月八日の午後のことであり、それを毎日休むことなく続けた結果、二十一日目の朝に彼女は眉間に九ミリルガー弾を撃ち込まれることになった。十九歳四ヶ月という短い生涯だった。

 撃ったのはドイツ国防軍の残党だとも言われているし、単に彼女の大声に不満を持ったベルリン市民が治安維持の名目で殺したという話もある。最も有力なのはソ連軍の青年から受けた強姦に抵抗し、手に噛み付き親指を食いちぎった末に射殺されたという説だが、真実はもうわからない。いずれにせよその日、名もない羊が引き金を引き、ひとりの優れた羊飼いが屠られたことだけはたしかな事実として世界に残った。


 「この国の芸術は死んだ!誰もが忙しさにかまけて目をかけてやらなかったから!」 『灰燼に歌う』ヒルデガルト・フォーゲル


   ※


 僕はこの七年の間、自分なりの視点で芸術について考えてきた。成り立ち、存在意義、在り方、そしてこれから。戦禍に倒れた悲劇のヒロインがかつてそうしたように。

 結果的にその思索は僕を実際に詩を書いてみるその試みへと導いた。直に手で触れ、自らをそこに結着させ、その一部となることで得られる実感。それからしか学べないものもあるとの仮説が自分のなかで大きく膨らんだからだ。

 残念なことにその制作活動が大きく実を結ぶことはなかった。大抵がかたちにさえならなかったし、学びとして得たものも瑣末だった。理屈にこだわり道理を通したがる性分が、作品に命を吹き込むその過程を最後まで妨げた。そんなものより優先しなくてはいけない何かがあるはずなのに。視界に入るものばかりに意識をとられて、気を配るべきに配れなかった。そして七年という年月をかけてようやく、感情の一歩手前で立ち止まって考えてしまう自分にはどうも適性のない分野であることに僕は気づいた。


 七年だ。


 短い時間ではなかった。犠牲にしたことも思い出せないほどあるし、できることならもう思い出したくもない。

 そして僕はいま、七年前の八月に立っていた座標とまったく同じ地点に降り立った。

 結局はそれでよかったのだと思う。悲観しているわけでも、強がっているわけでもない。振り出しに戻ったことは同じだとしても、一周してきたのか、あるいはただ七マスをぬけぬけと引き返してきただけなのか。そこには大きな違いがあると、僕は心から信じている。


 手元に六冊の大学ノートがある。そのうちの五冊にヒルデガルト・フォーゲルの作品すべての翻訳が集約されていて、最後の一冊には彼女の人物像や生い立ちなどがまとめられている。彼女が書くに至った経緯や当時彼女の置かれていた状況など。芸術に命を捧げたその生き様について知るための情報が詳らかに記されていて、資料としても、そして読み物としても実に優れている。現状、僕にとっては彼女を追う唯一の足がかりでもある。

 僕の人生にヒルデガルトや彼女の作品の数々を持ち込んだのは僕が八人目に寝た女であり、六冊のノートをまとめたのもその彼女だ。おそらく僕は彼女にさえ出会わなければ詩作にこれほどの時間を費やすはめにならなかったし、文章にここまで興味を持たなかった。


 これから書くのはその八人目についてだ。時々、ヒルデガルト・フォーゲルについても書くかもしれない。


 そこに与えられうる属性、分類がどうなるのかは僕にもまだよくわからない。戯曲になるのか、詩になるのか。はたまた読み手には他の何かとして咀嚼される余地のあるものになるのか。少なくとも、今まさに筆を進めている当人からしてみればそんなことはさほど重要な問題に思えない。そのことだけは言いきれる。


 「いまや愚民は目に見えるものだけに依存し、目には見えないという理由で本質を見失った。それだけ、それだけが決して手放してはいけないものだったのに。」 『偶像崇拝』ヒルデガルト・フォーゲル


   ※


 大学生になり彼はひどく堕落した。


 特別自分が恵まれているふうに思ったことなどなかった。たとえば前の夏にがんで死んだ彼の祖父は、翌年大学生になる彼を莫大な遺産の一部の相続人に割り当て、月に一度、代理人である父親を経由してそれなりにまとまった金を手渡すと遺言を残した。その額は本来たかだか数万でこと足りるはずの下宿生の生活費としては十分すぎるものだったし、あまつさえ歳の離れた従兄が所有する、キャンパス近くの一戸建て(と言っても辛うじて徒歩でも通える、というだけの話であって便利が良いと自慢ができる距離ではない)をただ同然、心ばかりの賃料を払って借りていたので、細々した食費等を除いては生活費として計上できる出費もほとんどと言っていいほどなかった。それでも彼は自分の置かれた立場がそれほど特殊なものだとは考えなかった。

 その自覚のなさが彼の堕落をさらに加速させた。


 若いどの肉体にも公平に渦巻く程度、平凡な量の好奇心と平易な性欲、そして隠し味の怠惰をひとつの鍋にぶちこみ、ぐつぐつ煮詰めて固めてできたようなそれは辛うじて人間の輪郭を保った人間以外の何かだった。彼は翌年の2014年の五月に二十歳の誕生日を迎えた。彼がその日付や年齢の持つ意味について気が付いたのも一週間と一日が経った後のことだった。もしかすると目分量の怠惰は入れすぎだったかもしれない。


 その翌月からこの話は始まる。場面は世界のあらゆる物語がそこから展開されるのに同じ、しみったれたパブだ。主人公はいない。

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