青くなくても春は来る

空き箱

前編

小さな愛でも偉大である


「はあっ、はあっ……」

 初夏、少しずつ半袖の出番が増え始めた頃。私はまだ着慣れてなくて硬いブレザーで走っていた。

 油断していた。高校生になったからもう自分で起きると啖呵を切っておいて。今までは緊張感で起きれていただけで、ちょっと油断したらこれだ。

「ギリギリ、間に合うかな」

 スマホで時間を確認すると、いつもの電車には間に合わないが始業には間に合いそうだ。少し安心して赤信号で一息ついていると、視界の端に見慣れた制服が見えた。私と違ってリボンは緩んでいるしブレザーのボタンは全開だけど、同じ制服だ。

 彼女も私に気づいたようだが、すぐに目を逸らして逆方向に行ってしまった。

(学校、行かないのかな……)

 一瞬迷ったけど、信号の点滅に急かされてそのまま駅に向かった。振り返ったときには、もうあの子の姿は見えなかった。

――――――

「よかった、間に合った」

「おはよう。珍しいね。雪が遅れるなんて」

「純、おはよう。うん、ちょっと寝坊しちゃって」

「あー、だからそんなボサボサなんだ」

 そういえば、今朝は髪をとかしている時間も無かったことを思い出した。それで電車に乗ってたと思うと、急に恥ずかしくなる。

「え、そんなひどい?」

「まあ、雪はストレートだからそんなでもないけど。私だったら遅刻してでも髪はセットしてくるかも」

 言うだけあって、純の髪は毛先にかけて緩く巻かれていて、手をかけているのが分かる。

「今朝は本当に焦ってたから……あれ?ゴム忘れてきちゃった」

「そうなの?なら私のシュシュ貸してあげよっか?」

「いいの?ありがとう。あ、でも私、今日部活あるんだ」

 私はテニス部で、部活中は髪を結んでいる。純もバスケ部だから、部活中は結んでいるだろうし……

「ああ、大丈夫だよ。今日は美術部行くから」

「え、もしかして、私のせい……?」

 純は確かにバスケ部と美術部を兼部している。でももし今日はバスケ部に行くつもりだったのに私のせいで行けなくなってたら……

「違う違う、元々その予定だったよ」

「そう?ならいいんだけど……じゃあ、明日返すね」

「そうして。ところで今日部活の後時間ある?バイト先でクーポン貰ったんだよね」

 そう言って純が差し出してきたのはファストフード店のクーポンだった。

「そうなの?ちょっと気になってたんだ」

「じゃあ決まりね。私の方が早いだろうから、そうだな……図書室で待ってる」


 


 純は高校で初めての友達。最初は少し派手な見た目から、怖い人なのかなって思ってたけど、話してみたら優しくて、打ち解けるのに時間はかからなかった。

 部活が終わり、図書室に入るとすぐに純もこちらに気づいた。

「お待たせ、純」

「いいよ。ちょっとこの本借りてくるね」

 図書室を出て、学校から少し歩いて駅の近くのファストフード店に到着した。

「雪はどれにする?私は抹茶アイスにするつもり」

 見てみると、サイドメニューのクーポンがいくつかあるようだ。アイスやパイ、ポテト……

「あ、スパイシーチキンなんてあるんだ」

「え?うん。結構辛いやつ。雪、辛いの好きなの?」

「うん。これにしようかな」

 カウンターに向かうと、店員さんに「汐見さん、お疲れ様」という挨拶に純がどうも、と返してから注文をした。注文を待っている間、店員さんと純が少し会話をしていたので、私は先に席を取っておこうと思い、純に声をかけて空席を探しに行った。

 一階には丁度いい席が無かったので、下に降りようと階段を下っていると、下から今朝見かけた同じ制服の子が上がってきた。今朝と同じく、一瞬目が合ったが、向こうは特に私を気にする様子もなく、そのまますれ違い店を出ていった。

「席、ありがと。さっきさ、同じ学校の人いたよね?」

「え、うん。いたね」

「あれ?知り合い?」

「いや、知らない人なんだけど……今朝、見かけたの。学校に向かうのと逆方向に行ってたから、少し気になって」

「え、サボってたってこと?」

「そう、かも」

「いるんだね、そういう人。ほら、早く食べないと冷めるよ」

「あ、うん」



「気になる本?」

「うん、昨日テレビでやってた映画がすごく面白くて……原作も気になったの」

 内容は性格が正反対な二人のキャラクターが事件に巻き込まれて、それを解決するというもの。少し気の抜けた主人公と堅物な相方のやり取りが面白かったのだ。

「ああ、あれね。へえ、雪ってああいうの好きなんだ」

「うん。普段あんまり本って読まないんだけど……図書室にあるかな?」

「あるんじゃない?放課後見に行ってみよっか。私も本返しに行くし」

――――――

 程よく冷房の効いた図書室には、数人の生徒たちが読書をしていたり、勉強をしたりしている。私の探している本はどの辺にあるのだろうと考えていると、純が「多分この辺りだと思う」と案内してくれた。作者の名前で五十音順に並べられている。作者名は事前に調べておいたので、その辺を目で追ってみたところ、確かにその作者の本はあるが私が探している本は見当たらない。

「あれ、無いのかな」

「うーん、貸出中かもね。聞いてみよっか」

 受付にいる図書委員の人の所に向かうと、同じクラスの姫野芽衣さんがいた。

「姫野さん、こんにちは」

「汐見さん、久保田さん……ど、どうも」

 それまで姫野さんは携帯を操作していて、急に名前を呼ばれて少し慌てていたが、要件を伝えると手際よく隣のパソコンで調べてくれた。

「えっと、貸出中みたい。でも今日が期限だから……」

 話してる途中、姫野さんが私の後ろを見て「丁度、来たみたい」と言った。振り返ると、何とまたあのサボっていた人で、驚いた。

「ごめんね、芽衣。今日が返却期限って忘れてたよ。おかげで午前中休んじゃった」

「言い訳にならないよ。サボり癖ついても知らないから」

 何度か見かけてはいるけど、初めて声を聞いた。それに、姫野さんと知り合いな事にも驚いた。

「……じゃあ、このまま貸出手続きする?」

「あ、うん。お願いします」

「あれ?……どっかで会ったっけ?」

 急に話しかけられて、またびっくりしてしまう。というか、覚えてないのか。

「何度かすれ違っては、いると思います」

「あー、なるほど。その本、面白かったよ。続編が今度出るみたい」

「そ、そうなんですか」

 何故か敬語で受け答えをしてしまっていることが恥ずかしくなる。彼女はそんなしどろもどろな私の反応を見て、楽しんでいるようにも見える。

「ふふ、じゃあ用も済んだし、帰ろっかな」

 彼女が去った後、私も何となく気になっていたことを純が聞いてくれた。

「姫野さんって、今の子と知り合い?」

「うん、中学が同じ。はい、返却期限は一週間後だから」

 姫野さんもそれほど親しいわけでは無いようで、それ以上特に語りはしなかった。純もそれ以上気にしてもいないようだ。

 家に帰ってから、借りた本の一番後ろにある貸出カードを見ると、私の名前の前に「桜井杏奈」と書いてあった。そういえば、名前を知らなかった。桜井さん、というらしい。

 何となく、字が綺麗だなと思った。


 

「雪、次の体育ハンドボールだって」

「そうなんだ……私、あんまり上手くできないかも」

「あんまりスポーツ自体得意じゃないもんね」

 そうなのだ。テニス部に入ったのは、あまり厳しくないから。

 体育の授業は男女別なので、隣同士のクラスで一緒に行う。話しているうちに隣のクラスから女子が移動してきて、各々着替えを始めた。

 私も着替えようと、用意をしていると突然肩を叩かれ、振り向くとそれは桜井さんだった。

「久保田さん、隣のクラスだったんだね」

「さ、桜井さん。どうも」

「この間の本、読んだ?」

「うん……面白かったよ。最後のとこ、映画と違うんだね」

「ああ、映画やってたね。そうなんだ。見てないから知らなかった」

 何となくそのまま流れで桜井さんと一緒に外まで移動し、授業が始まった。

 適当にチーム分けをして、試合が始まる。とりあえず、純が同じチームだしなるべく純にパスしておけば大丈夫だろう。

「お、早速美来のいるチームとなんだね」

 相手チームには、純と同じバスケ部の七瀬美来さんがいた。二人とも運動神経が良いということもあり、体育の授業ではよく張り合っている。

「ふっふっふ、純。今日は負けないからね!」

 とりあえず私は邪魔にならないように動こうと思い、ボールが回ってきたらなるべく純にパスを回す。半分くらいは相手に取られたけど。

 ボールを持つと途端に焦ってしまって、早くパスをしようとして周りをよく見ないでボールを投げてしまう。すると取られる。自分の要領の悪さが出てて嫌だなあと思う。

 ふと、ボールを追いつつ隣のコートを見ると、桜井さんのチームが試合をしていた。桜井さんは全くやる気が無い様子で、ボールを追うことも無くぼんやり立っていた。イメージ通りで、おかしいなと思っていると桜井さんもこちらに気づいて、手を振ってきた。授業中なのに、と思いつつ私も手を振り返そうとすると、よそ見をして走っていたせいで足がもつれて、派手に転んでしまった。

「雪!大丈夫!?」

「痛た……う、うん。大丈夫……」

 しかし膝を擦りむいてしまった。純が心配して見に来てくれて、先生も私の怪我を見て「保健室に行ってきなさい。保健委員、連れてってあげて」と声をあげた。

「あれ、うちの保健委員って今日休みじゃない?」

 誰かがそう言った。そういえば。私たちのクラスの保健委員は今日は休みだ。

「それなら、私が……」

 純が名乗り出ようとしたところ、桜井さんが「私、保健委員です」と遮った。

「じゃあ、お願いするわね。桜井さん」

「雪、本当に大丈夫?私も……」

「ううん、大丈夫。ありがとね」

「久保田さん、行こう」

 桜井さんは肩を貸してくれて、ゆっくり保健室まで連れて行ってくれた。こういう面倒事は嫌いなのかと思っていたけど、優しいところもあるのかもしれない。

――――――

「すみませーん……あれ、いないのかな」

「そうだね……どうしよう」

「まあとりあえず何かしら処置はしようか……久保田さんは座ってて」

 そう言うと、桜井さんは躊躇せず保健室の引き出しを物色して消毒液と絆創膏を取り出した。

「か、勝手に……いいの?」

「それで怒りはしないでしょ。怪我してるんだし。はい、ちょっと染みるよ」

 手際よく処置をしてくれて、絆創膏まで貼ってくれた。そしてそれを終えると、桜井さんはまた躊躇せず保健室のベッドに思いっきり寝転んだ。

「ふー、先生いなくてラッキーだったね」

「え、桜井さん?」

「まあまあ、せっかくだしちょっと休憩していこうよ」

 もしかして、授業を抜けたくて名乗り出たんじゃ……

「……はあ、ちょっと見直したのに」

「ん?なに?」

「なんでもない。もう大丈夫だし、早く戻ろう?」

「えー?無理しない方がいいよ……そうだ、ちょっと待ってて」

 そう言うと、桜井さんは保健室を出てしまった。勝手に戻るわけにもいかず、先生を呼びに行ったのかもしれないしと思い、待っていると桜井さんはジュースを買って戻ってきた。ただ自販機に行っていただけらしい。

「はい、ジュースでよかった?」

「いや、私はいいよ。授業中だし……」

「堅いなあ。別にこれくらい怒られないって」

 そうかもしれないけど……それに、桜井さんは既に自分の分も飲み物を買っている。一応買ってきてくれたものなのに断るのも失礼かもしれない、と自分に言い訳して、仕方なく受け取った。

「はい、これで共犯」

「ちょ、ちょっと!」

「あはは、冗談だよ」

「もう……サボる口実に私を使わないでよ」

「んー、まあそれもあるけど、久保田さんじゃなかったらわざわざ保健委員ですなんて言わなかったかも」

「え?」

 何か、結構凄いことを言われた気がする。

「私じゃなかったらって、どういう……」

「そりゃ一応顔見知りだし。なんだっけ、会う回数が多いと好感度が上がるみたいな心理効果があるんだよね。確か」

「そう、なんだ……」

 それってつまり、逆に言うと私も桜井さんに対して好感があるってことで……そう思うと、さっき何となく桜井さんを目で追っていたことが恥ずかしくなる。

「それに、転ぶ前に私の方見てたよね?そのせいもあるのかなって思ったから」

「いや、それは、別に……」

「まあ、目立つよね。あれだけサボってれば……さて、そろそろ戻ろっか」

 何となく、桜井さんの声色が暗くなったような気がした。口ではああ言いつつもやっぱり責任感があるのかもしれない。

「……うん。ありがとう。桜井さん」

「なに?急に」

「ううん。良い息抜きができたなって」

「なら、良かった」

――――――

「雪、大丈夫だった?」

 体育の後、純が心配そうに尋ねてきた。

「うん。かすり傷だし大丈夫だよ」

「あ、うん。それもなんだけど……桜井さんのことも」

「桜井さん?が……どうかしたの?」

「いや、あんま真面目じゃない人みたいだし、雪が悪い影響受けてなきゃいいなって思って」

 どうやら、純は桜井さんにいい印象が無いらしい。まあ確かにそれも仕方ないかな。

「そんな、言うほど悪い人じゃないよ。桜井さん」

「そうかな……うーん、まあ、雪が大丈夫ならいいんだけど……」




「じゃあ雪、また明日ね」

「うん、また明日」

 今日は部活は休み。なので、前々から気になっていた場所に行こうと決めていた。ゲームセンターである。

 中学生の頃に一度だけ、両親の買い物を待っている間に時間を潰すため、ショッピングモール内のゲームセンターで妹と遊んだことがある。確か、シューティングゲームのようなものを遊んだ記憶がある。それが楽しくて、いつかまたやりたいと思っていたのだ。

 純を誘ってもいいかと思ったのだが、ああいう騒がしい場所はどうやらあまり好きじゃなさそうなので、一人で行くことにした。

「着いた……!」

 駅前のゲームセンターに到着した。中に入ると色んなゲームの音が響いていて、会話をするのは苦労しそうだ。

 クレーンゲーム、リズムゲーム、レースやシューティング……様々なゲームが並んでいる。何をやろうか、やっぱりシューティングだろうかとコーナーに向かうと、先客がいた。

「え、姫野さん?」

 意外にも、姫野さんがシューティングゲームで遊んでいた。しかもかなり慣れた銃さばきでどんどん敵を倒していく。思わず見入っていると、ゲームを終えた姫野さんが振り向いて、目が合った。

「姫野さん、こんにちは。こんなところで会うなんて、びっくり」

「…………」

 姫野さんが小声で何か言っているけど、何も聞こえない。

「ご、ごめんね。全然聞こえなくて……」

「……っ!」

 聞き取ろうと、顔を近づけると姫野さんは驚いた様子で遠ざかった。

「ごめん。私もびっくりして……」

 やっと聞き取れた。しかし大声で話し続けるのはお互い大変なので、少し間を詰めて会話をする。今度は姫野さんも逃げないでいてくれた。

「姫野さん、すごい上手なんだね」

「よく来るから……」

「そうなんだ。あの、私もやってみたいんだけど……良かったら色々教えてほしいな」

「え、私に?」

「うん……ダメかな?」

「う、ううん。私でよければ……あ、やるならこのカード買ったほうがいいよ。セーブできるから」

 姫野さんに教えてもらいながらやってみると、とても楽しかった。結果はそんなに良くなかったけれど、初めて感じる爽快感があった。

「ふう、ありがとう姫野さん。楽しかった」

「……えっと、私も、楽しかった」

「また、一緒にやってもいいかな?」

 これを機に仲良くなれたら、と思ったのだけれど、姫野さんは微妙な顔で「そう、だね。もし都合が合えば……」と言葉を濁した。

――――――

「姫野さん、おはよう」

「お、おはよう」

 やっぱり、何となく距離を感じる。何か気に障るようなことをしてしまっただろうか。あれ以来、帰りにゲームセンターに誘おうと思っても姫野さんは先に帰ってしまうし、以前のゲームセンターを見ても姫野さんの姿は無い。

「まあ姫野さんって誰に対してもあんな感じだし、気にしなくていいんじゃない?」

 純に心を読まれたようなことを言われた。

「え、そんな顔に出てた?」

「うん。雪ってわかりやすいし。姫野さんってよく一人でいるからさ、私も気にして話しかけてたんだけど、あんま関わりたがらないんだよね」

「そうなんだ。やっぱり純って優しいね」

 私も多少は人見知りな方だけど、純が気さくに話しかけてくれたからこそ、今こうして友達になれている。

「別に、友達は多い方がいいと思ってるだけだから」

「なら、桜井さんとも仲良くすればいいのに」

「それは……まあ、仲悪くはないし」

 良くもないけど、と小さく呟いた。純は真面目だから、桜井さんのような軽薄そうな人は苦手なのかもしれない。

「桜井さんといえば……姫野さんと仲良さそうだったね」

「ああ、まあ中学同じなだけって姫野さんは言ってたけど……」

 それでも、私に対する態度よりは桜井さんへの方が親しみがありそうだった。

「ちょっと、聞いてみようかな」

「雪も大概、優しいよね」

――――――

 放課後、隣の教室を覗いてみる。あまりジロジロ見るのも恥ずかしいので、チラチラ様子を伺う。逆に怪しいかもしれない。

 私の不審な行動を見てか、七瀬さんが声をかけてきた。

「久保田さん、どうかした?」

「あ、えっと……桜井さんっているかな?」

「杏奈は休みだね。何か用だった?」

 またサボっているのか。でもいないのなら仕方ない。

「ううん。それなら大丈夫。ありがとう」

 まあ今日じゃなくてもいつか会えるだろう。

 そういえば、七瀬さんは桜井さんのことを「杏奈」と下の名前で呼んでいた。私は姫野さんのことを姫野さんと呼ぶ。

 名前呼びか……純は仲良くなってすぐ下の名前で呼んでと言われたから、純と呼べるようになった。呼び方を急に変えるって、案外ハードル高いかもしれない。

「桜井さんに会えた?」

「ううん。いなかった」

「そりゃ残念だったね」

「うん……」

 姫野さんの方を見ると、これから委員会に行くようだ。

「あ、姫野さん。委員会、頑張ってね」

「え、うん」

 姫野さんはそそくさと出ていってしまった。割とショックだった。

「ふふ、私もそろそろ部活行こっかな。雪も部活頑張ってね」

「う、うん。ありがと」

――――――

 うちの学校の運動部は、言ってしまうと緩い。それほど大きな結果を出している部活は無く、みんな楽しくやろうという感じだ。私の所属しているテニス部も、男子はまあまあ頑張っているようだが、女子は仲良く楽しもうというスタイルで、それが私にとってやりやすかったりする。

「よーし、ボール行くよー」

「よろしくお願いしまーす!」

 今はテニス部の顧問の先生が腰痛のため、副顧問の椎名先生が実質的な顧問だ。若い先生で、みんなから慕われている。

 椎名先生がコート中央から投げたボールをみんなで順番に打ち返していく。スムーズに進んでいる中、私の番が来た。

「あっ、」

 私が打とうとした球は、ラケットの端に当たり、あらぬ方向に飛んでいってしまった。初心者の私は今のところ、ラケットの真ん中に当てることも難しいレベルであった。

「すみません!拾ってきます」

 ボールが飛んで行った方向に向かう。我ながらすごい方向に飛ばしたなと思う。多分狙っても出来ないんじゃないだろうか。いや、出来なくていいんだけど。

 ボールを見つけると、丁度通りかかった人が拾ってくれたみたいで、不思議そうにボールを眺めていた。確かにテニスコートからは少し離れているし、不思議だろう。

「すみません、ありがとうございます……って、桜井さん?」

「あれ、久保田さん。テニス部だったんだ」

「うん。ていうか今日休みだったんじゃ……」

「そうなんだけどさ、ずっと放置してた宿題がいよいよやばいらしくて」

 そんなことになってるのか……桜井さんの出席が割と心配になる。

「あ、そうだ。ちょっと桜井さんに用事があって……」

「私に?」

「うん。えっと……今日この後でも大丈夫?」

「うーん、まあ流石に部活が終わる頃には終わってるかな。いいよ」

 そんなに時間かかりそうなのか。一応私が待たせると思って聞いたのだけれど。

「じゃあ、また後でね」

――――――

 結局、部活が終わって少ししてから桜井さんは校舎から出てきた。普通に登校した方が早く帰れそうなものだが。

「ごめん、お待たせ」

「ううん。じゃあ行こっか。桜井さんって電車?」

「うん。そうだよ」

 私も電車なので、二人で駅まで歩くことにする。

「ていうか久保田さんってテニス部なのに運動苦手なんだね」

「うっ……それは、うん。苦手だけど、一応何とかしようと思って、テニス部に入ったの」

「へえ、すごい」

 馬鹿にされるかと思ったら、素直に褒められた。それはそれで恥ずかしい。

「そ、そんなことより……その、姫野さんのことで聞きたいことがあって」

「芽衣の?」

「うん。どこか座って話せるとこに……」

 駅が近づいてきたので、どこか都合のいいお店を探していると、桜井さんが「あれ、芽衣じゃない?」と言った。

「え?どこ?」

「……今、あっちのゲームセンターに入ってったね」

 桜井さんが指さしたのは、私が行くゲームセンターとは別の、ちょっと奥にある怪しい雰囲気のゲームセンターだった。

「え、あそこ……?」

「ちょっと見てくる。久保田さんはここで待ってて」

「え、いや、私も行くよ」

「危ないかもよ?」

 それならなおさら、桜井さん一人に行かせる訳にはいかない。桜井さんも納得してくれて、二人で店に入った。

――――――

 店内は薄暗くて、客層も私が行くゲームセンターより何となく柄が悪い気がする。反射的に桜井さんの手を握ってしまって、焦って離そうとしたら「いいよ、このままで」と言うので、そのままにした。

 店内を探していると、姫野さんは以前私とやったシューティングゲームと同じものの場所に並んでいた。前にはこれまた柄の悪そうな高校生の集団がゲームをプレイしている。今にも姫野さんに絡んでくるのではないかと、チラチラ視線を送っている。

「芽衣、何してんの。こんなとこで」

「あ、杏奈……!?久保田さん……」

「……とりあえず、一回出よう」

 姫野さんも特に抵抗はせず、大人しくついてきてくれた。店を出て、少し歩いて公園のベンチに座る。落ち着くと、無意識に繋いでいた手に急に意識が向いて、咄嗟に離してしまった。

「もう大丈夫?」

 桜井さんは心配してくれてるようだが、それがかえって恥ずかしい。

「……で、芽衣。何であんなとこにいたの?あそこが危ないってことくらい、芽衣ならわかるでしょ」

「ご、ごめん……」

「桜井さん、そんな責めなくても……」

「うん、ごめん。私も責めるつもりは無いよ」

 姫野さんは俯いて、少しずつ話してくれた。

「久保田さんに会うのが……怖かったの」

「え、私に?」

「うん……私、人とどう関わればいいかわからなくて、中学の頃も、それで上手くいかなくて、浮いちゃって……」

「……」

 桜井さんは何も言わない。私も、姫野さんの言葉を待った。

「久保田さんは、優しいから……嫌われたくなくて、怖くて……」

「嫌わないよ」

 私は、強く言い切った。姫野さんの手を取って、目を見て、伝えた。

「だって、一緒にゲームして、楽しかった。姫野さんも、楽しかったんだよね?」

「う、うん……」

「私も……あんまり人付き合いって得意じゃないから、姫野さんに嫌われちゃったのかなって、不安だったの」

「そんな、久保田さんは何も……」

「だから、その……一緒にゲームしてくれる友達がいたら、すごく嬉しい。姫野さんが嫌じゃないなら、また一緒に、やりたいな」

「……うん、私も、またやりたい」

 良かった。姫野さんの気持ちを知ることができて。

「ねえ、私も一緒に行っていい?それ」

「杏奈はまずちゃんと学校に来るところからでしょ」

「う、ひどいな」

「あ、そうだ。私も二人のこと、名前で読んでも、いいかな?芽衣、杏奈」

「お、もちろん。いいよ。じゃあ私も雪って呼ぶね」

「うん。よろしく……雪」

――――――

「お、雪、何かいい事あった?」

 昼休み、純にはしっかりお見通しらしく、私の顔を見て言う。

「ふふ、わかる?」

「なになに?」

「それがね……」

「あ、あの。雪……」

 芽衣がお弁当を手に話しかけてきた。純は驚いている。

「そ、その。一緒にお昼、いい?」

「もちろん!純も、いいよね?」

「え、うん。全然いいけど……え、いつの間に仲良くなったの?ずるくない?」

「ふふ、いいでしょ?」

「その、私も自分から頑張ってみようと思って……汐見さん、よく話しかけてくれて、ありがとう」

「そんな、気にしないでよ。ていうか純でいいよ。芽衣」

 みんなのおかげで、ちょっとだけ成長できたような気がする。それは私一人の力じゃなくて、みんなが助けてくれたからだ。そのことも、また嬉しいと思う。



 


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