蒼きエリュシオン〈短編版〉

赤木フランカ(旧・赤木律夫)

1 魔法なき異世界

 耳鳴りのような甲高い吸気音とともに、ディスプレイに表示されたタービンの回転数が上がる。その様子はまるで、チタンとカーボンの翼に生命が宿っていくようだった。


 海東かいとうキリナはスロットルを操作し、エンジンパワーを待機状態アイドルへ切り替える。


 振り返り、機首と主翼を滑らかにつなぐ曲線――ストレーキに目を向ける。その先の主翼には、機体全長の六割もの大きさのエンジンポッドが搭載されている。テスト用の信号を送り、インテークの整流板が速度に応じて適切に稼働することを確かめる。


 次は操縦桿を倒し、各動翼の作動を点検する。フラップ、水平尾翼、方向舵ラダー、いずれもキリナの操作に従って機敏に反応する。


 フライバイ・ワイヤや戦術データリンク、各種コンピューターもオールグリーン。プリフライトチェックの結果を報告して、管制塔からタキシングの許可が下りる。


 エンジン出力をわずかに上げると、キリナの乗機はゆっくりと前に出る。背中にタイヤが地面を転がる振動が伝わる。


〈ノシュカツー、離陸を許可する。グッドラック〉


 滑走路の端に機体を停止させていたキリナの元に、管制塔からの通信が届く。キリナは操縦桿とスロットルレバーを握り直し、滑走路のセンターラインを見据える。


「ノシュカ2、海東キリナ……行きます!」


 エンジンを最大出力に入れ、着陸脚のブレーキを外す。大きな主翼に風を受け、キリナの乗る戦闘機が大地を離れる。着陸脚を収め、キリナは機体を更に上昇させる。


 上空でキリナは先に離陸していた僚機と合流する。


〈ノシュカワンよりノシュカ2へ、通信の感度を報告せよ〉


 やや低い女性の声がキリナの耳に届く。キリナの所属するノシュカ隊の編隊長、イルファ・K中尉だ。


「感度良好。聴こえてますよ、イルファさん」

〈OK。これよりノシュカ隊は巡航高度まで上昇する。キリナちゃん、しっかり着いて来なさい〉

「はい」


 イルファの機体が機首をもたげて上昇を始め、キリナも追従する。加速の負荷に胸を圧迫され、キリナはわずかに呻いた。


 四十秒足らずでキリナたちの編隊は巡航高度に到達する。下は雲の平原、上は透き通った青空が果てしなく続く。青と白、二色しか存在しない寂しい世界に、キリナは息を吞む。


 キャノピーの外を眺めながら、キリナは自分が夢を見ているのではないかと疑った。「どこにでもいる普通の少女」だった頃のキリナは、自分が戦闘機のコクピットに座っていることなど想像もしなっただろう。


 今から一年半前、キリナは異世界転移に巻き込まれた。難しい理屈はともかく、キリナは今まで生きていた世界とは違う歴史を辿った並行宇宙へ飛ばされてしまったのだ。


 異世界と言えば剣と魔法のファンタジー世界だと思っていたが、この異世界にそんなものは無かった。キリナが操縦している戦闘機が示唆するように高度な機械文明が発達しており、生活は元の世界と遜色ない。


 しかし、この世界にはいない。キリナを守ってくれた唯一の大人には、もう二度と会えないのだ。

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