第24話 自分の人生以上に大切なこと
四月の下旬という、なんとも中途半端な時期に転入することになった私立秀麗院高等学校は、鹿児島で通っていた楽陽中学の系列校だ。
俺が東京で生活するにあたり、この高校を選んだ理由は大きく三つ。
一つは系列校なので編入手続きが非常に楽だということ。少し難しい試験に合格することが条件だが、それさえクリアしてしまえば必要な書類は最低限のもので済み、煩雑な事務手続きも大幅に省略される。
二つには(これがほぼ一番だが)遥さんのマンションから徒歩で通える距離にあるということ。遥さんの体調に異変があった際には10分と掛からずに駆け付けられる。ちなみに10分のうちの約三分の一はマンションエレベーターの待ち時間に使われてしまう。
三つめに、俺の人生を変えてくれた
これは美咲が調べてくれたことなのだが、十河さんは三月の途中からここの中等部に編入し、そのまま高等部に進学したそうだ。
だから、あわよくば十河さんと再会する機会があるかもしれない、なんて思ったりしたのだ。
だがしかし。ただでさえこの高校は生徒の数が多く、それに加えて俺が入ることになった特進クラスは、一般の生徒たちのクラスとは別の校舎にあるので、顔を合わすこと自体とても難しいことかもしれない。
まあそれでもいつかは。なんて考えているんだけど。不純な動機では決してない。
遥さんから何度も『食事に招待しなさい』とも言われてるし。
俺にも女子友達がいるんだよ、どや、って安心させてあげないと。
ほかにも、部活動が活発だが入部は強制じゃない、とか、するかどうかは別としてアルバイトが禁止されていない、とか、ここの初等部に通っていた俺が本来進もうとしていた高校だから、とか、昔の俺を知る人も多いだろうがその分酷いことをしてきたことに対する謝罪ができるかもしれない、などという理由もあるが──この高校を選択したことは正解だと思っている。
ただ一点気がかりなのは、俺の姉三人が三学年に在籍している、ということだ。
遥さんもそのことを心配していた。
遥さんの病気のことを知ってからというもの、その衝撃が大き過ぎて家族のことを考えても吐き気に襲われることはなくなっている。けど、面と向かって会うようなことになったらどうなってしまうか、遥さんは気が気じゃないんだと思う。
俺は『姉という人の顔も思い出せないから仮に鉢合わせしたとしても気づかないだろうし、向こうから声をかけられたとしても無視すればいいだけだから、遥さんも気にしないで』と言い聞かせたが。
そもそも全体で千五百を超す生徒がいるんだから、そうそう出会うこともないだろう。
さて。
昨夜は遥さんの病気について、明け方近くまでネットで調べていたからちょっと眠い。
こうして応接室でソファーに座って担任の先生を待っているだけだと、つい寝てしまいそうになるので、今後三年間の俺の身の振り方なるものをここで整理しておこう。
まず、すべきことの最優先課題は『遥さんの病気の進行を全力で食い止めること』だ。
そのために俺ができることなんてたかが知れているが、主治医の先生の言うことはきちんと守り、遥さんの負担にならないようにしなければならない。
昨日の先生の話では、すぐに入院が必要というようなことはないそうだが、それでも二週間に一回、病院に行って検査をする必要がある。
んで、たかが知れていてる俺のすることは『心と体を鍛える』こと。
少しのことで動揺して遥さんに気を遣わせないよう精神力を強化しなければならないし、もし遥さんが入院したら家事の一切を俺がすることになるんだから、主夫レベルを上げ、家まわりのことももっと知っておかなければならない。
よし。家事は紫雨さんにも鍛えてもらおう。
精神面は……もっともっと頑張らないとな。
次に交友関係か。
十河さんとは逢えたら自宅に招待するとして……。
きっと初等部のときの顔見知りもいるだろうから、それをどうにかしないと。
男子とも女子ともあまりいい思い出はないからな。
とにかく昔のことは謝罪して、今後はあまりかかわらないようにしよう。
あ、そういえば沙月さんもこの高校だったよな。会ったら挨拶くらいはしておかないと。
バイトは、遥さんの体調を考慮しつつ、できそうなら少しずつ挑戦してみよう。
少しでも家に生活費を入れないと。
あとは家族か。というか姉。それも三人。
ん~。
よし。三年の校舎には近寄るべからず。
8時40分。そろそろかな。
俺が壁の時計に視線を移すとほぼ同時。
「おぉーい。逢坂。待たせたなぁ」
やや間延びした話し方が特徴の小坂先生が応接室の扉を開いた。
中肉中背。いたって普通の中年おじさん(たぶん五十代前半)。俺のクラスの担任だ。
「じゃあ教室に行くからついてきてくれぇ」
「はいっす」
俺はソファーから立ち上がると、さっさと廊下を歩く先生のあとに続いた。
◆
「おい。入っていいぞ」
小坂先生に声を掛けられ、廊下で待機していた俺は扉を開いた。
なんとも緊張する瞬間だ。
俺は教室の前方中央に置かれた教壇の前で立ち止まると、
「今日からこの学校でお世話になります──」
なるべく良い印象を持ってもらえるよう、元気よく挨拶を始めた。
しかし、その瞬間。
「えっ! どうしてここにっ!」
「は、春臣さんっ!?」
誰かが椅子の音を立てて立ち上がったことに、言葉を止めてしまった。
出鼻をくじかれた俺は、なにごとだね、と声の主を見る。
すると、廊下側後方と窓側の後方に立つ、女子生徒が俺のことを凝視していた。
ん? お?
その一人、窓側の女子生徒の正体が誰だかわかってしまった俺は。
「──っと! なんとっ! こんなところで女神に会えるとはっ!」
つい、思わず。
正直な感想を言葉にしてしまった。
まさか初日に逢えるとは。
俺はあまりに感激して
「これはやはり導きだったか! 遥神にさらなる感謝を!」
十河さんへと歩み寄った。
「おぉい。逢坂。自己紹介がまだだぞぉ。それにおまえの席はそっちじゃないぞぉ」
「すぐ戻りますんで」
背中から聞こえる小坂先生の声にそう返すと、俺は十河さんの前で立ち止まった。
公園で初めて会話を交わしたときと同じく、十河さんは驚きを顔に張り付けている。
「あ、逢坂さん……? どうして東京に……」
「事情は後ほど。十河さん。突然ですがお願いがあります。ぜひ、うちに食事に来てください」
女性を食事に誘ったことなんて初めてだからルールがわからない。
だから俺は誠意が伝わるように、片膝が床に着く勢いでお願いした。
まるでプロポーズのようになってしまったことに、ちょっと大袈裟だったかと後悔するが、いまさら引き返せない。
遥さんとの約束を守るため、十河さんにはうちにお越しいただかなければならないのだ。
これくらいの方がいい。
教室がざわつき、悲鳴のようなものも聞こえるが気にしてる場合じゃない。
「え? あ、逢坂……さん? え? しょく……?」
「はい。どうしても十河さんに会っていただきたい人がいるのです」
「え、そ、それって、あ、逢坂さん……でも……」
「お願いします! 迷惑かもしれませんが、俺にとっては自分の人生以上に大切なことなんです!」
「え! は、はい!?」
よし!
なかば強引に押し切ってしまったが、承諾は得た。
「ありがとうございます! では日時等は追ってご連絡します!」
良かった。これで遥さんも喜んでくれるはずだ。
「おおい。終わったんなら自己紹介始めろよぉ」
「あ、はいっす」
やらなきゃいけないリストから項目を一つ削除した俺は、教壇に戻って自己紹介を始めたのだった。
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