第23話 新・生・活
翌朝。
「──まぶっ!」
カーテンを勢いよく開けた俺は、強烈な太陽の光に危険を感じ、咄嗟に目を閉じた。
まぶたに焼き付いてしまった真っ白い残像が薄れていくのを待つこと数秒。
どうにかそれが治まると、恐々と目を開けた。
よし、視える。
視神経に異常はないようだ。
あっぶね。角膜が破壊されたかと思った。
つかいま何時だ。
朝日にしては日が高い。
ベッドサイドで充電していたスマホで時間を確認すると──すでに昼を過ぎていた。
「もうこんな時間か」
翌朝どころじゃない。翌午後だ。
こんなに寝ちゃってたのか……
一度も目覚めることなく、十時間以上も寝てしまっていたことに自分でも驚いた。
改めて眼下に広がる景色に目をやる。
寝すぎてしまった理由はこれか。
電車が動いている。首都高には渋滞もできている。
世間は活動しているはずなのに、それらの音がまるで聞こえてこない。
いつも当たり前のように聞こえてきていた交通音や、生活音がここでは一切聞こえてこないのだ。
まったくの無音。
そのため、俺がいるこの場所だけ世界から隔離されてしまったのではないだろうか──そんな錯覚に陥ってしまいそうになる。
これは目覚まし必須だな。
俺は明日から始まる学校生活のことを考え、スマホのアラームをセットした。
◆
部屋着に着替えてリビングに向かうと、遥さんが荷解きをしていた。
「おはよう。遥さん」
「おはよう。春。よく眠れた?」
遥さんは俺に気づくと手を止めてキッチンに向かう。
「それはもうぐっすりと。こんな時間まで寝てたのいつ以来だろ」
「そう。それは良かった」
「てか、よく眠れ過ぎて怖いくらい。明日から遅刻しないように気をつけないと」
「心配いらないわよ。毎日ちゃんと起こしてあげるから」
「はは。それには及びません。アラームセットしたし、カーテンも開けっぱなしで寝るから」
あの分厚い遮光カーテンはやばい。
まったく日が差し込まないから、時間という概念を俺から奪ってしまう。
さながら、天空にありながらの地下牢だ。あ、牢は言い過ぎ。失言です。
「遠慮しなくていいのに。今までだって春はぜんっぜん手の掛からない子だったんだから」
「俺の部屋まで用意してもらったうえに、そんなことまでしてもらったらさすがにバチが当たるから」
このマンションは遥さんが五年前に購入したそうだ。節税対策とかなんとか難しいことを言っていたけど、要するに遥さんが個人で経営する会社の名義で購入したらしい。
四つある部屋のうち、一つを俺の部屋にあてがってくれている。
ベッドやパソコンといった備品は
「そういえば紫雨さんは?」
昨日は俺が寝るときもまだ家にいたようだったが。
「昨日遅くに帰ったわよ。──はい。朝ごはん、じゃなくてもうブランチね」
あいすみません。
ダイニングテーブルに座る俺の前に、料理の盛られたプレートが置かれる。
「うわ! 美味しそう! いただきます!」
遥さんお手製のドレッシングが添えられたサラダに、シロップたっぷりのフレンチトースト。
「んん! 最高!」
遥さんが作るご飯は、東京でも変わることなく美味しい。
でも、遥さんは料理のほとんどを紫雨さんから習ったと言っていた。
紫雨さんが何者なのか、ますます気になる。
女優を引退したはずなのにどうしてマネージャーがいるのか遥さんに訊いてみたところ、紫雨さんは昔からの遥さん専属のマネージャーだったが、今は遥さんの会社を手伝ってくれていて、プライベートでも秘書のようなことをしてくれているので昔と同じくそう呼んでいると説明された。
芸能関係の仕事をしている遥さんの会社にとって、業界に精通している紫雨さんはなくてはならない存在なのだそうだ。
もはや遥さんの右腕と言っても過言ではないだろう。
俺も紫雨さんとは仲良くしておきたい。
料理を出し終えると、遥さんは荷解きの作業に戻った。
早く食べて手伝わなきゃ。
俺は急いで食事を口に運ぶが、遥さんに言わなければならないことがあったのでカトラリーをいったんテーブルに置くと
「遥さん、今日の病院の件だけど──」
リビングの遥さんに向かって
「──やっぱり俺も一緒に行きたい」
そう伝えた。
今日は遥さんの新しい主治医となる先生との予約がある。
遥さんは一人で行くと言ったがそれでも。
俺はそのことも分かち合いたい。
遥さんは動かしていた手を止めると、
「実は私からもお願いしようと思っていたの。一度は一人で行くと言ってしまった手前、言い出し辛かったのだけれど……飛行機で春が全部半分って言ってくれたから……」
申し訳なさそうにそう答えた。
「言い出し辛いなんて、俺にはなんでも言ってよ。──そうと決まれば片づけ早く終わらせないと。えと、四時からだったよね」
良かった。俺から切り出して良かった。
「そう。だから、三時半には出ていこうかと思っていたの」
「おっけ。あ、そうだ遥さん、こっちでの家事の件だけど、俺の分担をもっと増やしてほしいんだ。ほら、俺、部活も入らないから暇だし。遥さんだって仕事あるでしょ」
この際、思ったことは口にしないと。
「それはだめよ。全部半分って──」
「こんな凄い家にタダで住まわせてもらうんだから、そのくらいはさせて。でないとずっと肩身が狭いままで、そのうち遥さんと普通に話せなくなっちゃうから」
「でもこっちでは向こうと違って紫雨さんも手伝ってくれるし──」
「遥さんはそれでいいかもしれないけど、俺と紫雨さんは他人だから、俺の生活環境まで世話してもらうのは違うと思うんだ。そもそも
と、そこで言葉を間違った俺は
「ほら、紫雨さんに俺のパンツとか洗ってもらうのは、ねえ」
慌てて方向修正をする。
「ありがとう。春。でも私はまだまだ元気だから。春の面倒を見ることが生き甲斐なの。だからこれからも春のお世話をさせて?」
ん~。どうにかして遥さんの負担を減らせないものか。
昼過ぎに起きだしてきて、遥さんが作ってくれた料理を食べているだけの男がなにを言うか、って感じだけど。
明日からはちゃんとやりますから。
ほんとだから。
「ではその議題については病院に行きながら考えることにしましょう」
「ん。そうね」
俺は食事を終えると荷解きを手伝った。
◆
「じゃあ俺が月、水、金、土、日曜の洗濯、掃除、夕食。遥さんが火、木の洗濯と掃除と夕食、それと毎日の朝食、で決まりね」
病院へ向かう車中、二人で話し合った結果そう決まった。
遥さんは渋々といった感じだが、毎日の朝食と
「毎朝、春を起こすのも私ね」
その条件でどうにか納得してくれた。
俺としては毎日でも家のことをしたかったが、遥さんは譲ってくれなかった。
「でも春、高校生なのに部活に入らなくていいの? 私としてはもっと青春を謳歌してもらいたいのだけれど」
「青春なんてものは人によって違ってくるんですよ。部活で仲間と汗水流すのも青春であれば、大切な人のために家事で汗水流すのも青春なんです」
ハンドルを握る遥さんがマスク越しに笑う。
マスクにサングラス。
昨日と違って今日は完全装備だ。これで絶対に星空灯とは気づかれない。
ちなみに俺もサングラスにマスク姿だ。
遥さん一人だけだと逆に目立ってしまうから、俺も同じ格好にした。
これなら視線を分散することができるはず。
「やりたいことが見つかったら早めに言ってね。紫雨さんにも家のこと、手伝ってもらうから」
「やりたいこと? なら火曜と木曜の家事がやりたいです!」
「それじゃ意味ないじゃない!」
「てへ」
なんて会話をしながら、予約先の病院へと車を走らせた。
そしてその翌日。
無音のなか、遥さんの優しい声で起こされた俺は、私立秀麗院高等学校へ初登校したのであった。
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