第11話 ×××
美咲たちと別れ、早めにやってきた病院に遥さんの姿はまだなかった。
予定より一時間以上早いのだから当然だが、こういうとき遥さんは決まって俺より早く来ていた。
だからもしかしたら、と思ったのだが──残念。
俺は待合室の隅の方に座り、遥さんが入り口に姿を現すのを待った。
さてと。どうすっかな。
こうして一人になるとやることは少ない。
別棟に行けばカフェがあるから時間は潰せるが、ここを離れるという選択肢はない。
無論、遥さんを笑顔で迎えるためだ。
予習でもしとくか。
俺は鞄から封筒を取り出して、来月から通う予定である高校のパンフレットを開いた。
県立丸山
ぺらりとめくると、詰襟学生服を着たマッチョな野郎どもが肩を組んでいる写真。
全員こっちを見ている。
ははは。
なんとも早まった感が否めない。
いまさらなんだけどね。
まさか女子とお話ができるようになるなんて夢にも思わなかったもん。
ま、一度決めたことだし。
進学校だから勉学に励めばいいし。
美咲たち四人は内進で四年生になる。
俺だけ外界に飛び出すのだが、そこは未知の世界。
なにが待ち受けているかピュアなおいらにはわかりません。
ん? 電話?
遥さんかな?
ズボンのポケットから振動を感じ、スマホを取り出す。
なんだこれ。
おかしな着信画面に首を捻る。
着信相手を表示する箇所に、遥さんでも友人たちの名でもなく、バツ印が三つ並んでいる。
誰だこれ。ってかバツ三つってなんだ。
×××。
こんな人知らない。
出ないでいたら一度切れた。と思ったら間髪を容れず二度目の着信。
妖しい電話には出ないのが一番。
変な電話だったら怖いので、俺はマナーモードからサイレントモードに切り替えてポケットに戻した。
おっ! 遥さんだ!
と、そのとき遥さんを発見し、俺はパンフを鞄に突っ込み立ち上がった。
病院だから大きな声で名前を呼ぶわけにはいかない。
あれ? でもどうして……
遥さんのもとへ数歩歩いたとき、遥さんがやってきた方向が入り口からではなく、病院の奥だったことに違和感を覚える。
遥さんは近寄る俺には気づかず、自動会計機の前で立ち止まるとタッチパネルを操作し始めた。
もしかして俺の入院代の清算かな。まだ残っていたのかもしれない。
となると終わってから声かけた方がいいか。
ここで声をかけたらまた『払う』『払わせない』の水掛け論になるかもしれない。
かかった治療費はバイトして返すといったが、遥さんには頑なに拒絶されてしまった。
だからバイトを始めてバイト代が入ったら、そっとタンスの奥に忍ばせておくことにしたのだ。
しかし遥さんの美しさは後ろ姿でも隠せないな。
正信だけは近寄らせないようにしないと。
そんなことを考えていたら操作を終えた遥さんがクルッとこちらを向いた。
「やっほ。用事が早く済んだんで──って、遥さん?」
「──っ!!」
俺を見るなり小さな悲鳴を上げた遥さんは、手にしていたバッグを落としてしまった。
遥さんはバッグの中身を拾おうともせず、驚愕に目を見開いている。
予想以上のリアクションに俺も戸惑いつつ
「遥さん驚きすぎ。ほら、朝話した用事が予定より早く済んだから」
散らばった荷物を拾い集めながらそう説明すると、
「あ、私がやるから!」
遥さんも荷物を拾い始めた。
「急に声をかけた俺も悪いですけど、そんなにビックリされるとちょっとヘコむんですけど」
「ご、ごめんなさい。こんなに早く春が来るって思っていなかったから少し動揺しちゃって……へへへ」
ん? へへへ?
なにそれ可愛い。
じゃなくて、なんだか浮気がバレたときのように眼が泳いでますけどそれはなんのサインですか?
え? 浮気?
ま、まさか!?
あれ? 浮気の定義ってなんだっけ。
そうか、俺と遥さんの関係じゃ浮気にはなり得ないか。
「遥さん、なにかあった?」
「な、なにって、あ、荷物ありがと」
散らかったものをすべて集め終わり立ち上がる。
「んと、なんとなく。気のせいならいいんですけど」
「気のせいよ」
「あ、まだそこになにか落ちて──」
「うはぅ! これは──!」
落ちていた紙切れを俺が拾おうとすると、それよりも素早く遥さんが拾い上げた。
なんだか怪しい。
俺がじーっと遥さんの顔を見ていると、
「あ、そう! これね! これさっき知り合いから貰ったの!」
遥さんは誤魔化すように「じゃじゃーん」と言って俺の顔にその紙切れを押し当てた。
「ど、どう?」
どうって。すみません。近すぎて見えません。
あとそれさっき床に落ちてましたけど。衛生面に問題は?
「日帰り温泉のチケット。昨日テレビ見て温泉行きたいねって話してたじゃない? 日帰りだし、あそこまでいい宿じゃないけど無料だし露天風呂があって家族風呂もあるみたいだから昔みたいに一緒に入れたらいいねなんて──」
俺、遥さん検定一級ですよ?
バイト面接のとき履歴書の特技欄に書けるくらいですよ? ええ、資格欄には書けませんとも。それぐらい知ってる。
しかしながらそんな俺を誤魔化せるとお思いですか?
その動揺っぷり。
まさかその招待券、実はほかの男と行く予定で……
俺に見られそうになったもんだから仕方なく……
あ、やばい。想像しただけで泣いちゃう。
「遥さん。俺がじゃまだったら言ってくださいね?」
遥さんの幸せのためなら俺は影に徹しよう。
でも結婚式呼んでね?
小一時間遥さんのいいとこスピーチするから。
「ど、どうしたの春ったら。邪魔ってなによもう。私はただ、春と温泉いけると思ったら嬉しくてつい舞い上がっちゃっただけなのに」
ふむ。
遥さんの結婚はまだないと。
「俺、温泉なんて初めてです。楽しみですね」
「でしょ? でね、お昼はなにがいいと思う? そこの温泉の近くに有名なお蕎麦屋さんがあってね、すっごく美味しいんだって」
「おお。蕎麦いいですね。でもラーメンも捨てがたい」
「え~ラーメンはいつでも食べられるじゃないの~」
「なら間をとってちゃんぽんとか」
「お蕎麦とラーメンの中間てちゃんぽんなの? あ、ちゃんぽんなら私が作ってあげる。そうだ! 今日の夕飯はちゃんぽんにしようよ!」
「おお! ごっつあんです!」
◆
受付を済ませた俺と遥さんは、名前を呼ばれるまで近くの椅子に並んで腰かけた。
「ねえ。春はなにかあったの?」
「へ?」
遥さんに唐突に問われ、一瞬言葉に詰まる。
「なんでです?」
「ん~。表情?」
なるほど。
俺が遥さん検定一級であるのに対して遥さんも春臣検定一級の能力をお持ちなんですね。
あ、でも資格欄に書いたらだめですよ。社会的に傷がつくから。
「そうですね。実は友人の優しさに感激したんです。あと遥さんに再感謝も。正信たちに俺のこと頼んでくれてたんですね。俺が三年間、こうして学生生活を送れたのもあいつらと、そして遥さんのおかげだったんだなって」
俺が遥さんを見ると、遥さんも俺を見る。
「……そう。それを知らされたのね。特に口止めもしていなかったから……あのときはそれくらいしかしてあげることが思いつかなくて」
「そのくらいなんて言わないでください。それで俺は本当に救われたんだから。本当にありがとうございました」
「もうお礼はいいから。ねえ、そういえば用事が早く終わったって、大丈夫なの? 無理してない?」
話題を変えた遥さんがいつもの明るい顔で訊ねてくる。
「あ。そうだ。その件で遥さんに相談したいことがあったんです」
時間もあることだし丁度いい。
ここは人生の先輩である遥さんのお知恵を拝借しよう。
「『卒業式の日に告白させてほしい』ってある女子から宣言されたんだけど、これってどうすればいいのかな」
告白の予告。
言われたのは沙月さんだ。
「きゃ~青春してるじゃない! で、どんな子? 可愛い系? 綺麗系?」
遥さんが目を光らせながら体を寄せてくる。
「どんなって言われても……どっちかっていうと綺麗系、なのかな。遥さんほどじゃないけど」
「へ、へえ……。あ、どうすればいいって、返事のことよね?」
「そう。予告されたことなんて初めてだから。今までは告白されても嫌悪感剥き出しに追い返せば、まあとりあえずは済んでたわけだけど。でもそれが誠実さに欠けると気づいた以上、そうするわけにもいかないし、ってかそんな態度もう取れそうにないし」
「すべての女性に対して優しくなったのね。本当……良かった。その子は春のこともちろん好きなんでしょ?」
「ん~。らしいけど」
「お付き合いしたいと思っているわけでしょ?」
「それはないと思うよ。その子は四月から東京に転校するって言ってたし」
沙月さんは東京の都心部にある、楽陽の系列校に行くと言っていた。
まあ見ため良し、器量よし、頭脳良しのカリスマっ子ならどこでもうまくやれるだろう。
そして素敵な恋も手に入れるでしょう。
「そう。そういう告白もあるのね。自分にケジメをつける、ためなのかな。青春の証、次の恋へのステップ……いえ……女性恐怖症を克服した春へ絶妙なタイミングでの告白、卒業式という特別な状況、あえての告白宣言、断れない空気、あわよくば連距離恋愛──」
「そんな大げさなもんじゃないって。ただ記憶に残したいんじゃないかな。そういう事実があったんだってな感じで」
「なんだか急に大人になっちゃったわね……。ん~結果を望んでいないとするのなら、そうね。好きとか嫌いとかじゃなくてその子に対して思ったこと、感じたことを素直に伝えてあげればいいんじゃない? 今の春ならその子の良いところ、たくさん見えてるでしょ?」
遥さんは優しくそう言ってくれた。
相手の良いところ。
あの子の、沙月さんの良いところ……っても今日が事実上の初対面だしな。
遥さんのいいとこならいくらでも言えるけど。
こうして俺の話を真摯に聞いてくれるところ。大人な回答をしてくれるところ。忙しい間を縫って病院に付き添ってくれるところ。さりげない会話の中で俺を安心させてくれるところ。俺と温泉に行きたいって喜んでくれるところ。美味しい夕飯を作ってくれるところ。ただいまって言ったらおかえりって返してくれるところ。本当は44度のお湯が好きなのに、俺に合わせて42度で風呂を沸かしてくれるところ。
「──ねえ春」
夜、俺が眠れずにいるとき気づかれないように一緒に起きていてくれるところ。それでも朝、必ず俺より先に起きて朝食の支度を済ませていてくれるところ。俺がどれほど冷たく接しても嫌な顔ひとつ見せずに笑っていてくれたところ。笑うとえくぼができるところ。顔が小さいところ。いい匂いがするところ。髪がサラサラなところ。声が綺麗なところ。とても二十八歳には見えないところ。
「ねえ、春ってば」
「あ、すみません。遥さんの良いところ考えてたら止めどなく溢れ出てきちゃって」
「も、もう、なんで私なのよ。告白してくれる子のこと考えなきゃダメでしょ。ねえ、ほら春、電話じゃない?」
ん? あ、ほんとだ。
視線を落とすと、ポケットの中でスマホが音もなく光っている。
サイレントにしていたから気づかなかった。
あ、切れた。
俺が手にするタイミングで丁度切れてしまったのだが──
「なんだこれ」
着信十四件の表示を見て思わず二度見してしまった。
いったい誰だね。
遥さん検定試験の邪魔をする奴は。
俺は着信履歴を調べて再び唖然とする。
履歴にずらっと並ぶ三つのバツ印。
ちょっといい加減しつこいんじゃないですかね。
俺と遥さんの絆は誰にも引き裂け──。
あ。またかかってきた。
くそ。なんなんだいったい。
「すみません。ちょっと電話出ていいですか? さっきからしつこい奴がいて」
こうなったら戦争だ。
俺と遥さんの邪魔をするなど言語道断。
相手にガツンと言ってやろう。
「誰? 女の子? 春が断れないんだったら私が出ちゃおうかな」
冗談めかす遥さんに、
「ん~いたずらじゃないですかね。この×××って」
そう言いつつ立ち上がりながら通話ボタンを押したのと、
「えっ──だ、ダメッ! 春ッ! 電話切って! 出ちゃダメェッ!!」
遥さんが悲痛な叫びを上げたのはほぼ同時だった──と思う。
「──?」
スマホを持ったまま、俺は動きを止めた。
必死に訴える遥さんを見て。
通話ボタンは押してしまった。
この電話に出ることのなにがそれほど不味いことなのか。
そして──
『やぁっと繋がったぁ。ったくぅ。何回かけたと思ってんのよぉ』
スマホの向こうから女性の声が聞こえてきた。
その瞬間、ドクンと心臓が跳ねる。
『っていうか今の声って遥さんでしょぉ。うけるぅ。まぁだそんな女と一緒にいるんだぁ』
なんだこれ。
なんでこんなに鼓動が早鐘を打つんだ?
『ちょっとぉ。はぁるぅおぉみぃ。聞いてんのぉ?』
誰だこれ。
過去に聞いたことのある声。
警戒心が最大値まで跳ね上がる。
と同時。胸の一番奥に直接氷塊を押し当てられたかのようにスッと体が冷えていく。
大切なものが冷たくなっていく。
『おおい。はぁるぅおぉみぃ』
いったい誰だ──
いや、そんなこと問題じゃない。
遥さんを『そんな女』呼ばわりする人間。
俺の大切なものを無下にする存在。
──敵。
そう。こいつは敵。
本能もそう告げている。
俺は感情の一切籠らない声でもって
「──てめぇ気やすく俺の名を口にすんじゃねえ。殺すぞ」
電話の相手に鋭く言い放った。
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