世界マグロ大戦NELL

安川某

第1話 ハワイ沖の海鮮


 悲鳴が聞こえる。マグロに喰われ生命を落とした人々の悲鳴が。


 助けを求める人々の声が聞こえる。その声は私に向けられているのだけど、私は恐ろしくて目を開けることができない。


 目を開かなきゃ、でも開きたくない、怖い。


 父の声が聞こえた。


 助けなきゃ。そう強く思ったのに、今度はまぶたが張り付いたかのようになって目を開けることがきない。


 やがて父の断末魔を聞いてもまだ、私は震えていて──。


「大丈夫ですか、ねえ──」


 私はその声を聞いて、はっと目を覚ました。


 上半身にびっしょりと汗かいて、シャツが肌に張り付いている。またあの時の夢を見てしまった。


 どうやらうなされていたようだ。あの事件があってから、私は満足に眠れない。


 うなされる私を心配して起こしてくれたのは、医官の女の子だった。


「ありがとう……」


 私はそうお礼を言って、ベッドから身を起こした。


 ここは艦内で私に割り当てられた居室。彼女は私のうなされた声を聞いて駆けつけてくれたみたいだっだ。


 私とそう歳も変わらず同じ女の子なのに、勇敢だ。


 そう、私と違って……。


 ここは日本国海上自衛隊、第1護衛隊群の旗艦”まっしぶ”の艦内。


 マグロハンターである私は防衛省の要請を受けて今回のマグロ撃滅戦に参加している。


 現在世界各地で確認されているマグロはそれこそ無数にいるが、戦略級の驚異レベルを持つ特大本マグロは現在世界で七体確認されており、今回そのうちの一体がこのハワイ沖で巨大な巣を形成していることがわかった。


 海底付近に作られるマグロの巣は放っておくとおびただしい数のマグロと新種を生み出し、人類にさらなる被害をもたらす。


 だから米軍の要請を受けた日本政府はその重い腰をあげてようやく護衛艦隊の派遣を決定したのだった。


 現在、世界は混沌の闇に包まれようとしている。あるいはすでに手遅れなのかもしれない


 最初にマグロが確認されたのはおよそ三ヶ月前。


 イギリスドーバー海峡を通勤のため泳いで渡ろうとしていた男性が目撃。男性はその後失踪。一緒に泳いでいた同僚が通報。


 2121/02/05 インド沖でインドマグロの群れを発見 インド沿岸警備隊が出動するも到着時にはマグロの姿はなし


 2121/02/17 オーストラリア沖でメバチマグロの一団がクルーズ船を襲う。付近を航行中のオーストラリア海軍が駆けつけるもクルーズ船は沈没。


 2121/02/18 日本の大臣が「あれはマグロかな、マグロちゃうわ目黒やわ」という発言をし炎上。不謹慎なため大臣を辞任。目黒を活性化したい意図だったと釈明。


 2121/02/28 中国沖で漁船がマグロに襲撃される。中国海軍が直ちに出撃し漁船ごとミサイルによる飽和攻撃を実施。マグロを撃退することに成功するも三発の核ミサイルと艦隊の約半数を失う。


 2121/03/10 アメリカを中心にマグロ保護活動が活発化。マグロは知性ある友人、対話の努力をすべきなどとした主張が声を高める。


 2121/03/15 ヨーロッパを直下型マグロ地震が襲う。マグニチュード4500。これによりヨーロッパは大混乱に陥る。


 2121/03/29 G7にて先進国各国はマグロの驚異を認め、協調してこれに対抗することを宣言。しかしアメリカは人道上の理由から対マグロ戦線への参加は消極的。


 2121/04/01 マグロによるワシントン降下作戦。ホワイトハウスに巨大なマグロが突き刺さる。当初報道はエイプリールフールの冗談だと見なされたため避難が遅れ、市民に多数の被害がでる。大統領は辛くも脱出する。


 2121/04/03 アメリカがマグロ勢力に対して宣戦布告。「マグロが地球上から根絶されるまで私達は戦う」。


 2121/04/18 青森県王間沖にて巨大マグロ出現。護衛艦隊壊滅。日本政府はアメリカの要請を受けて共同作戦の実施を検討。


 2121/04/04 〜 NOW 

 すごく色んなことがあって本当にやばかったりしたが今は言えない。



 これが現在の世界になるまでの経緯だ。


 私は世界がそんな形になっても別に構わないと思っていた。


 はるか前に父が死んでから、父がマグロに殺されてからというもの、私の心は常に虚ろだった。


 あるいは私自身もいつの日かマグロに殺されることを望んでいるのかもしれない。


 父と同じ目にあえば、きっと父も私を──。


 警報。艦内に設置された赤いレッドランプ(あえて表現するならば)が緊急事態を告げる。


「まさか……!」


 私は我に返ると、この護衛艦”まっしぶ”の艦橋へと駆けた。


 まっしぶの艦橋は騒然となっていた。


「いったい何があったの?」


 私が艦橋にいる一番下っ端そうな奴にしかるべき態度をもって尋ねると、彼はこう答えた。


「米太平洋艦隊の反応が消失しました。それに大規模な通信障害が……」


 彼は信じられないという様子でそう言ったが、私は驚かなかった。


 マグロならそうだろう。これまでの奴らとの戦いで私は学んでいた。


「米艦隊との連絡はまだつかないのか!」


「だめです……いえ、来ました! 米駆逐艦”クロマティ”と”ラミレス”から通信です!」


「読み上げろ!」


「はい……マグロ クル ココ キケン。繰り返します! マグロ クル ココ キケン」


 なぜカタコトなのか。私は絶句した。


「よし、我々はクロマティとラミレスの救助に向かうぞ、全艦全速!」


「しかし司令、危険です!空母を擁する太平洋艦隊を壊滅させるほどの相手です。それに米艦隊には”あの艦”がいたんですよ!」


「あの艦か……」


 彼らが言うあの艦とは、アメリカが誇る対マグロ戦を想定した新鋭イージス艦”デスマサムネ”のことだろう。


 デスマサムネは艦隊の防空を担うイージス艦の機能を全て捨て去る代わりに、水中のマグロを高速で捕らえるや二秒でツナフレークに加工する機能を備えた極めて攻撃的な艦で、軍事評論家からは「広い意味でイージス」と言われるアメリカの技術と経済力を象徴する世界最大の軍艦である。


 それがいて敗れたとなると、確かに状況は悪いと言って良いはずだ。


 私はかつてのマグロとの戦いが頭をよぎり、ほんの少しだけ体が震えるのを感じた。


「なんの、我が日本の”まっしぶ”も引けはとらん」


 第1護衛隊群旗艦”まっしぶ”はアメリカから購入したデスマサムネの量産型モデルの駆逐艦である。


 デスマサムネより小型とはいえツナフレークを二秒半で加工する力は単なる量産モデルとは言い切れない実力を秘めている。


 しかもまっしぶが加工したツナフレークは水分のバランス、塩加減、油とのバランス、全て高水準で整っており、もちろん安全。


 口に含むと身がほろっと崩れてマグロの旨みがじゅわっと広がり、しかもしつこくない。


 おにぎりの具にするのはもちろん、パンに乗せても、どんぶりにしてもいい。おっと、マヨをかけてそのまま食べるのも通好みだ。


 お子さまにも喜ばれるまっしぶのツナフレーク、この機会にぜひ。


 ちなみに護衛艦まっしぶの購入にあたっては国内でも相当な議論があり、野党からは「そんなニッチなものなんで必要なんですか」と追及されたが、与党が強引に採決をして購入を決定したという経歴を持つ。


 まあそれが役に立つ時がきたというわけで、司令の自信とやる気もそういった事情から来ているのだった。


 だが艦橋のスタッフたちは司令よりもずっと冷静なようだった。


「……私たちの作戦は米軍ありきのもの。ハワイ沖には”戦略級”のマグロが確認されており巣も近い。その状況下で米艦隊が壊滅したとなれば、我々はこの大海原で敵に囲まれて孤立しているも同然。クロマティとラミレスを救助したらすぐに離脱すべきです」


「……わかった。救助を優先し、その後日本へ帰投する。巣を破壊する作戦は中止だ」


「レーダーに感!」


 オペレーター的な女の子が叫ぶように言った。


「マグロです! ……我々はすでに囲まれています」


 環境が騒然となる。


「よし、全員戦闘配置につけ! 青森での借りを返すぞ!」


 司令はそう叫ぶと、私を見てこう言った。


「君の力には期待している。あの王間の英雄だしな」


 王間の英雄。青森での戦いの後、私をそう呼ぶ者もいる。


 でもあれは果たして勝ったと言えるのだろうか。


 英雄と呼ばれる度に私の胸は軋んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る