34,説得

 ヨハンの部屋の前までやってきた。

 ……さて。

 なにやら勢いだけでここに来てしまったが……実は特に何も考えていない。


 だが、美少女があんな憂いを帯びた表情で困り果てていたのだ。

 どうしてそれを見捨てることができようか。

 いや、できるはずがない。自称紳士として。童貞だけど。


「おや、シャノン様? どうされたのですか?」


 ヨハンの部屋からウラが出てきた。


「あ、ウラさん。ヨハン様の様子はどうですか?」

「怪我は大したことありません。ただ……ひどく落ち込んでいらっしゃいますね。さきほどもケイティ様にとても怒っておられましたし……」

「なるほど……そうですか。あの、ウラさん。ちょっとぼくがヨハン様と話してもいいでしょうか?」

「シャノン様が、ですか?」


 ウラは少し考えるような顔を見せたが、すぐに笑顔で頷いた。


「そうですね。ぜひよろしくお願い致します」



 μβψ



「ヨハン様、入りますよ?」


 返事は無かった。

 とりあえず部屋に入った。

 ヨハンはベッドの上でシーツにくるまって蓑虫のようになっていた。


「ヨハン様、怪我は大丈夫ですか?」

「……何しに来たのさ? 女の子にぼこぼこにされたボクを笑いに来たの?」

「違いますよ。心配して来たに決まってるじゃないですか」

「……ホントに?」


 ヨハンは蓑虫のまま疑いの眼差しを向けてきた。

 おれはシャノンスマイルで頷いた。


「もちろんですよ。ほら、ぼく家来じゃないですか。家来が主の心配をするのは当然のことでしょう?」

「……でも、シャノンは確かボクの家来やめるって言ったよね?」

「再就職します」

「……まぁいいけど、別に。好きにしたら」


 ぷいっ、とヨハンは壁際を向いてしまった。

 とりあえず追い出されるようなことはなかったので、ほっとしつつベッドに腰掛けた。ヨハンとは背中合わせの状態だ。


「さっきケイティ様に会いましたよ? ヨハン様にひどいことを言われて落ち込んでいました」

「……え? 姉様が?」


 背後でヨハンが驚くような気配がしたが、


「べ、別にボクは悪くないよ。ひどいことばっかり言うのはいつも姉様の方なんだから。ちょっと言い返しただけだよ」


 と、すぐに開き直るようなことを言った。

 ……まぁ、こういうのは気長にやるしかないな。


「それで二度と顔も見たくないって言ったんですか? さすがにそれはちょっとひどくないですかね?」

「だ、だって……姉様ってばいつもボクのこと叱るんだもん。たまには褒めてくれたっていいのにさ……ボクだって頑張ってるのに……姉様はボクのことが嫌いなんだよ。いや、みんなボクのことなんて嫌いなんだ。だからみんな嫌いだ」

「本当に嫌いなんですか?」

「……え?」

「本当に嫌いなら、別に嫌われたっていいんじゃないですか? むしろ嫌ってくれてせいせいするじゃないですか」

「それは……」

「でも、そうじゃないですよね? 本当は自分の言ったことを後悔してますよね?」

「し、してない! 後悔なんてしてない!」


 ヨハンはシーツを撥ね除けて立ち上がった。

 その目にはまたじわりと涙が浮かんでいた。

 おれはシャノンスマイルを崩さなかった。


「そうですか? まぁそれならいいんですが……とりあえず座りましょうよ。ほら」


 ぽんぽん、と自分の横を叩いた。

 ヨハンはしばらくじっとしていたが、やがて大人しくおれの横にちょこんと座った。


「……家来のくせに生意気だぞ。主に横に座れとはなにごとだ」

「すいません、生意気なのは生まれつきなもので……それより、ヨハン様はいま自分に嘘を吐いてますよね?」

「え?」

「みんなのことが嫌いだって言う度に、ちょっと胸が苦しいんじゃないですか?」

「……それは」

「言葉ってのは時に剣よりも深く相手を傷つけます。相手はもちろん、自分もです。いま少しでも胸が苦しいのなら、ヨハン様はきっと自分自身に嘘を吐いていると思います」

「な、なんだよ? 同じ年齢のくせに知ったふうに」

「ええ、知ってますよ。それでぼくは散々、取り返しの付かないことをしてきましたからね……」

「……取り返しのつかないこと?」


 前世のことを思い出した。

 何もかもが嫌になって、森の奥にある館に引きこもって、ずっとそこで死ぬまで言い訳し続けていた。


 これでいいんだ。

 おれは何も間違ってない。

 そう思う度、実はずっと苦しかった。おれはずっと、自分で自分の心臓にナイフを突き刺していたのだ。


 その痛みからずっと目を逸らし続けた結果があれだ。

 おれは馬鹿だったから、結局そのまま死んでしまった。

 でも、ヨハンはまだ間に合う。ここでちょっとだけ立ち止まって、自分の胸から血が流れていることに気がつけばいいのだ。まだ致命傷じゃない。十分に癒える傷だ。


「まあ、ぼくのことはいいんです。それより、どうしてみんなが自分を嫌ってるなんて思うんですか?」

「……だって、姉様は叱ってばっかりでボクのこと褒めてくれないし、お父様は仕事ばっかりで全然ボクの相手してくれないし……お爺様は何を聞いても『筋肉さえあれば何とかなる』しか言わないし……」


 ……テディ。

 もうちょっと孫に何か言ってやってくれ。


「……ボクのことを褒めてくれたのはお母様だけだった。お母様だけはボクのことをたくさん褒めてくれた。それがすごい嬉しかった。でも、いまこの家では誰もボクのことを褒めてくれない。それってようするに、みんなボクのことが嫌いなんでしょ?」

「それは違いますよ」

「なんでそう言えるのさ?」

「実はさっき、ケイティ様から少し話を聞いたんです。あなたのお母様は亡くなる間際、ケイティ様にこう言ったそうです。ヨハン様のことを頼む――と」

「……え? お母様が、姉様に……?」

「ええ。それでケイティ様は、お母様の代わりにヨハン様を立派にしようと頑張っていたんです。叱っていたのはヨハン様が嫌いだったんじゃなく、むしろ好きだったから、それでちゃんと叱っていたんですよ」

「……」

「まぁ、確かにそれがちょっと空回っていたのかもしれませんけど……よく考えてみてください。お母様が亡くなられた時、ケイティ様は今のヨハン様とそう大差ない年齢だったはずです。こんなこと言うと怒られそうですが……ケイティ様だって子供だったんですよ。そして今も。大人という年齢から見れば、ケイティ様はまだまだ子供です。大人だってたくさん間違うのに、子供が間違えないわけないじゃないですか」

「……姉様が子供?」

「そうです。子供なんですよ。ケイティ様もまだまだ母親に甘えたかった年齢だったと思います。でも、ケイティ様にはヨハン様――あなたがいましたからね。姉として情けないところは見せられないと気丈に振る舞っていたんでしょう。あれは全部、あなたへの愛情の裏返しなんですよ。ただ、あなたに立派になって欲しかっただけなんです」

「……」


 ヨハンはしばらく黙っていた。

 だが、やがてぽつりとこう漏らした。


「……姉様、謝ったら許してくれるかな?」


 とても不安そうな顔になっていた。さきほどの虚勢はもう少しも残っていなかった。

 ……やっぱり、勢いで言ってしまっただけだったんだろうな。


 だから、おれは安心させてやるようにはっきりと頷いた。


「大丈夫です。きっと許してくれますよ」


 ……お互いの手と声が届く内に謝っておかなければ、いずれ必ず後悔する時が来る。そして、その時になって後悔しても遅いのだ。

 そんなのはもう、おれだけで十分だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る