21、ヨハン・マギル

 何やら慌てたような声が聞こえた。

 女の人の声だろう。

 思わず魔王と顔を見合わせた。


「……む? 何やら騒がしいな?」

「ああ、何かあったのかな?」


 気になったので部屋のドアを開けて廊下の様子を窺った。

 すると、ちょうど小さな子供がこっちに走ってくるところだった。

 今のおれたちと同じくらいの年齢の男の子だった。


「あ、ちょっとそこの君!」

「え?」


 そいつはおれと眼が合うと、一目散に部屋の中に飛び込んできた。


「は? え?」

「ごめんちょっと匿って! メイドが追いかけてきたらボクはいないって言っといて!」

「は、はあ」

「頼んだよ!」


 一方的に言うと、そいつはベッドの中に潜り込んで身を隠した。

 いったい何なんだ? と思っていると続けてまた人がやって来た。


 メイドだった。

 そう、メイドだ。

 ……おお、メイドだ。


 思わず感動してしまった。

 さすが大貴族の家だ。当たり前のようにメイドが出てきたぞ。

 しかも美人だ。リーゼよりは多分年下だろう。18歳とかそれくらいに見えた。


「はあ……ッ! はぁ……ッ! まったく、いったいどこに――」


 息を切らせてキョロキョロしているメイドと目が合った。

 すると、メイドはびっくりしたような顔をしてからすぐに居住まいを正した。


「も、申し訳ありません。これは大変、お見苦しいところをお見せいたしました」

「い、いえ」

「あの、もしかしてシャノン・ケネット様でしょうか?」

「え? はい、そうですけど……どうしてぼくの名前を?」

「テディ様からお話はお伺いしております。しばらくこちらの館に滞在なさるとのことで……あ、申し遅れました。わたくし、この家の使用人を務めておりますウラと申します。以後お見知りおきを」


 ぺこりと頭を下げられたので、おれも慌てて頭を下げた。


「いえ、こちらこそ」

「それでシャノン様、こちらにシャノン様と同じ年頃の男の子が来なかったでしょうか? 金髪でくせっ毛のある男の子なんですが」

「男の子ですか――」


 ええと……と、おれは一度部屋を振り返った。

 布団の隙間から顔を出したそいつは、おれに向かってぶんぶんと首を横に振っていた。どうやら誤魔化してくれ、と言っているようだ。

 少し迷ったが……何やら必死だしここは匿ってやることにした。


「いえ、見てません」

「そうですか……分かりました。お騒がせして申し訳ありませんでした」


 メイド――ウラは再び頭を下げると、おれの前から立ち去った。

 角を曲がるまではゆっくり歩いていたが……角を曲がった途端に「ヨハン様ー!? ヨハン様はいずこー!?」と騒がしく走って行く音がした。

 

 ……いったい何なんだ?



 μβψ



「いやー、助かったよ……」


 メイドが去った後、ベッドに隠れていた男の子が顔を出した。

 よく分からんがめちゃくちゃほっとしている感じだ。

 そいつはよっ、とベッドから出てくると改めておれたちを交互に見やった。


 短いくせっ毛のある金髪に、青い目をした男の子だった。

 黙っていれば女の子にしか見えない。それほどけっこうな美少年だった。


「……ん? あれ? ていうか君たち誰?」

「いやまぁ、どちらかと言えばそれはこっちのセリフなんだけど……」

「ボクはヨハンだよ。ヨハン・マギル。よろしくね」


 にこり、と少年――ヨハンは笑った。

 少しどきりとするくらい可愛い笑顔だった。

 す、すげえ可愛いな……本当に男か、こいつ?


 ……。

 ハッ!?

 いや、可愛いな――じゃねえだろ!?

 相手は男だろ!? なんでちょっと照れてんだおれ!?


「どうしたの?」

「あ、ああ、いや、何でもな――」


 そう言いかけてから、おれはふと「ん?」と思った。

 ……こいつ、いまって言ったか?


「……マギル? あの、じゃあ、もしかしてテディ様のお孫様ですか……?」

「うん、そうだけど?」


 ヨハンは小首を傾げながらおれを見た。

 おれはその顔を思わず、まじまじと眺めてしまった。

 ……いや、マジか。名前からしてもしかしてと思ったのだが……こいつ、マジでテディの孫なのか。


 ぜんっ――ぜんテディと似てないな!?


 テディは熊のような顔に熊のような大柄の男だが、ヨハンは華奢で女顔だ。名前を聞いていなかったらまずテディの孫とは思わなかっただろう。


「何? ボクの顔になんかついてる?」

「あ、いえ、すいません。テディ様とは全然似てないな、と思って……」

「む? それってもしかしてボクの顔が女みたいだって言いたいの?」

「いえ、そういう訳じゃないですが……」

「ホント? ちょっとはそう思ったんじゃない?」

「思ってません、思ってませんから」


 ジトー、とヨハンがおれを睨んできた。

 どうやら自分が女顔だということは自覚しているらしい。でも、あんまりそこには触れない方が良さそうだ。もしかしたら気にしていることなのかもしれない。


「そ、それより名乗るのが遅れました。ぼくはシャノン・ケネットです。どうぞよろしくお願いします」


 おれは丁寧に頭を下げた。

 相手は大貴族のご子息様だ。膝を突くことも少し考えたが、まぁ子供同士の挨拶でそんなに堅苦しくする必要もないだろう。


「……シャノン? ああ、もしかして君がお爺様の言ってた〝客人〟ってやつ!?」

「え、ええ、多分そうかと」


 ヨハンは急に嬉しそうな顔をした。

 どうやらおれのことはすでにテディから何か聞いている様子だが……なんかやけに嬉しそうだな?


「じゃあ、そっちがもしかしてエリカ?」


 と、ヨハンが魔王に目を向けた。

 エリカモードの魔王はとても上品に挨拶した。


「はい、エリカ・エインワーズと申します。よろしくお願いします、ヨハン様」


 にこり、とパーフェクトエリカスマイルが炸裂した。

 相変わらず完璧な美少女っぷりだった。中身を知っているおれですらうっかり美少女に見えてしまったくらいだ。


「うん、よろしくね二人とも」


 だが、ヨハンも負けてはいなかった。

 にこりと笑ったヨハンから圧倒的美少女オーラが放たれたのだ。

 うお!? まぶし!?


 な、なんだこの圧倒的美少女オーラは!?

 本当に男か、こいつ!?

 不覚にもちょっとドキドキしてしまった。

 いやいや、惑わされるな……いくら可愛くてもヨハンは男だ。普通に接すればいいのだ、普通に。


「そ、それでヨハン様。さっきはどうして逃げていたんですか?」


 おれが訊ねると、ヨハンは事もなげに答えた。


「ああ、勉強するのが嫌だから抜け出してきたんだよ」

「……え? 抜け出してきた?」

「そうそう」

「……ええと、それはなんでまた?」

「だって、勉強なんて退屈でしょ? あんな退屈な話聞いてても無駄なだけだよ。あんなことしてる暇あるなら剣術の稽古してる方がよっぽどいいよ」

「……」


 ヨハンはとてもしれっとしていた。

 ……おや?

 見た感じ、ヨハンはとても優等生というか……いかにも〝良い子〟って感じの雰囲気だ。しかし、言っていることはむしろ真逆である。


 微妙なギャップに戸惑っていると、ヨハンが何か思いついたように手を叩いた。


「そうだ! 二人ともこの家に来たばっかりでしょ? ボクが家の中案内してあげるよ!」

「それは嬉しいですけど……勉強には戻らなくていいんですか?」

「いいのいいの、勉強なんてするだけ無駄だよ。どうせ学校に入ったら嫌でもやらなきゃいけないんだからさ。なんで学校に入る前から勉強なんてしなきゃいけないのさ。やるだけ無駄だよ」

「はあ、しかし……」

「じゃあ、君たちは今からボクの家来ね!」

「は?」

「光栄に思ってよ? このボクが家来にしてあげるって言ってるんだから。特別なんだよ?」


 えっへん、とヨハンは偉そうに胸を張った。

 どうにも本人は善意のつもりで言っているようだ。

 魔王がおれの肩をつんつんして小声で話しかけてきた。


「……おい、大賢者。こいつなぜこんなにもナチュラルに偉そうなのだ?」

「ま、まぁ相手は大貴族のご子息様で、おれたちはクソザコ小貴族だからな。こういう感じが普通だと思ってるんだろう」

「ふむ、だが生意気だな。ちょっと理解わからせてやるか――」


 魔王が前に出ようとしたので、おれは慌てて止めた。


「待て!? 何するつもりだ!?」

「とりあえず一発ぶん殴ってやろうかと」

「アホか!? とんでもないことになるわ!?」

「こやつ、妾を家来にしてやるとか抜かしたのだぞ? このバシレウスである妾に、だ。この不敬を見過ごせと?」

「いいからお前は引っ込んどけ! おれが適当に話合わせるから!」

「どうしたの、二人とも? さっきからこそこそ話し合って?」

「い、いえ、何でもありませんよ! ははは!」

「もがもが――!」


 おれは笑って誤魔化した。

 魔王はまだ何か言いたそうにしていたが、とりあえず口を無理矢理ふさいでおいた。


「そ、それよりありがとうございます。ヨハン様の家来なんて光栄です」

「うむ、苦しゅうない」


 えへん、とヨハンは胸を張った。

 可愛い。

 だが男だ。


「いや、実は同年代の子たちが来るって聞いてたから楽しみだったんだ。普段、あんまり同じ歳の子たちと遊ぶことってないからさ。二人が来てくれてとっても嬉しいよ」


 と、ヨハンは嬉しそうな顔をした。

 とても屈託の無い笑顔だ。

 ……まぁ、でも悪いやつではなさそうだな。確かにちょっと偉そうというか生意気な感じはするが……。


「それじゃ、二人とも行くよ! ボクについてきてね!」


 ヨハンはいきなり部屋を飛び出し、ぴゅーっと風が吹くように廊下を走って行ってしまった。


「あ、ちょっとヨハン様!? って、足速いな!? とりあえず追うぞ、魔王!」

「面倒だ。妾は部屋で寝る」

「いいからお前も来るんだよ!?」


 おれは魔王を無理矢理引っ張って、ヨハンを追いかけた。

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