エピローグ

通りすがりの魔術師の〝正体〟

 ……ケネット家から立ち去ったテディとリーゼはひたすら王都を目指して走り抜け、夜になる頃にはかなりの距離を移動していた。

 これは本来、駅馬車を使えば数日はかかる行程である。


 駅馬車とは貨物や旅客、及び郵便を輸送する馬車のことだ。街と街の間を定期運行していて、基本的には街道に沿って走っている。

 中央領地内においては、駅馬車は主に平民階級の乗り物であるが、地方領地においてはその限りではない。地方貴族で魔術道具を保有しているのは本当に一部の大貴族だけで、領地内における交通インフラをマギアクラフトで整備できるほどの財力はどこの地方領地にも存在しないのだ。


 機械馬の移動速度はとてつもなく速い。しかも街道を走らずとも、どんな悪路でも容易に走破できる。文字通り、二人はほぼ一直線に中央領地を目指して走り抜けている。駅馬車とは比べものにならないほどの速さだ。


「さすがに一日でここまで来るのは無茶でしたね……めちゃんこ疲れました……」


 二人は適当な宿場町で泊まることにして、そこで食事を取っているところだった。普段あまり貴族が来ることはないのか、店に入るとやたらと歓待され、やたらと豪華な料理を出されているところだ。


 ぐったりしているリーゼに、テディはふんと鼻を鳴らした。


「これくらいの魔力消費で疲れてどうする。我が輩だけなら夜通し走ってこのまま王都まで行くところだ」

「いや、そんなことしたらさすがに死ぬでしょ……」

「気合いだ、気合い。まったく、これだから最近の若いもんは」


 テディは豪快に肉にかぶりついた。

 こいついつも肉食ってんな、とリーゼは心の中で思った。


「しかし、結局〝通りすがりの魔術師〟に関して新しいことは分かりませんでしたねえ……まぁ、たぶんこうなるだろうとは思ってましたけど」


 リーゼがそう言うと、テディは難しい顔をした。

 その表情を見て、リーゼはおや? と思った。


「どうかしましたか、テディ様?」

「……いや、そのことなのだが……少し引っかかることがあってな」

「引っかかること?」

「ああ。これを見ろ」


 テディはおもむろに何かを取り出し、机の上に置いた。

 それはシャノンからもらった熊の仮面だった。


「これ、シャノンくんにもらったやつですよね? これがどうかしました?」

「この出来映えを見ろ。子供が作ったものだと思えるか?」

「まぁ、確かによくできてますが……それだけ手先が器用なんじゃないですか?」

「そのレベルを超えてるぞ、これは。それにシャノンの部屋には、他にも木造のオモチャがたくさんあった。どれもとんでもなく精巧なものだった。思い出してみろ、現場で発見された騎銃カービンは全て木だけで作られておっただろう? 魔術回路も含めて、だ。あんなこと、よほど熟練の魔術師でも難しいレベルだ」

「……ええと、つまり何が言いたいんです?」

「もしかすると……通りすがりの魔術師はシャノンなのではないか?」

「え!? シャノンくんが!?」


 リーゼはとても驚いた顔をしたが――すぐに可笑しそうに笑った。


「って、なんでそうなるんですか。そんなわけないじゃないですか、もう。ははは。テディ様、ボケるのはまだ早いですよ?」

「誰もボケとらんわ!?」

「だいたい、なんで9歳の子供がそんな高度な魔術知識を持ってるんですか。あの家には魔術に関する本なんて一冊もなかったじゃないですか」

「それはまぁそうなんだが……いや、しかしなぁ。あの時聞いた〝声〟が、いま思い返すとどうにもシャノンの声に似ておったような気がしてな……」

「そりゃ勘違いですよ、いくらなんでも。だいたい〝解釈機関〟もないのに、どうやって魔術式を記述するんです? それがなかったら魔術師は何もできないじゃないですか」

「それもまぁ、確かにそうなんだが……むう」


 リーゼの言うことはもっともだったので、否定することはできなかった。

 自分で口にしておいて何だが、テディもやはり常識的に考えればあり得ないことだというのは理解しているのだろう。

 これはほとんど〝直感〟のようなものだ。だが、それを裏付けるような証拠は何一つとしてなかった。


「聖魔術師レベルなら解釈機関がなくても魔術式は記述できるんでしょうけどね。そうなるとますます、9歳の子供には不可能ですよ。そりゃまぁ、シャノンくんの家からドラゴンを討伐した現場までは馬があれば移動は可能でしょうけど……常識的に考えてあり得ないですよ」


 リーゼはそこまでは笑っていたが、不意に真面目な顔になり、やや声を潜ませた。


「――それともテディ様は、シャノンくんが〝神の申し子〟だとでも言うつもりですか? 〝神の血統〟でない者から――〝教皇〟の血筋じゃないところからそんな人間が現れたなんて聞いたら、教団が何をするか分かりませんよ? だからテディ様の考えすぎですよ、それはさすがに」

「……」


 テディは難しい顔で黙り込んだ。

 それも全て、リーゼの言うとおりだった。

 〝教皇〟の血筋というのはいわゆる〝神の血統〟だ。初代教皇ブルーノ・アシュクロフトと、神世界アスガルドより舞い降りた女神ブリュンヒルデの血を引く、由緒正しい血筋である。


 その昔、〝聖戦〟と呼ばれる大きな戦いがこの世界で起こった。

 ニヴルヘイムからやってきた〝魔王軍〟が、この地上を侵略しようとしたのだ。

 人間は魔族に滅ぼされるところだった。


 だが、その時現れたのだ。

 神世界から舞い降りた女神――ブリュンヒルデが。


 最初は誰も彼女のことを女神だとは信じなかったが、初代教皇ブルーノだけは彼女の言葉を理解した。


 女神の加護を授かったブルーノは、神の知識によって人類に勝利をもたらした。

 そのおかげで人類は魔王軍を退けることができたのだ。

 その後、神託により全知教団が生まれ、ブルーノは初代教皇となり新たな世界の統治を開始した。それがこの世界の歴史だ。


 代々、教皇の座は世襲制で、貴族社会とは違って性別に関わらず長子ちょうしがその座を継承することになっている。

 ……だが、神の血統ではかつて〝神の申し子〟と呼ばれる特別な子供が生まれたことがあった。


 第七代教皇のことである。

 その教皇は長子ではなかったが、例外的に教皇の座に就いた。

 というのも、その教皇は生まれながらにして〝真理〟を全て知っていたという。


 本当かどうかは分からないが、そのように言われている。

 もしシャノンに生まれつきそれだけの魔術知識があるというのなら、それはもはや神の申し子に他ならないレベルだ。なにせ魔術回路を直接改造するような常識外れなことをしたのだ。それはつまり、魔術式を完全に理解しているということだ。


 魔術式は神の言葉である。

 魔術式を理解しているというこは、神の言葉を理解しているということだ。

 つまり、


 それができるのは教団に所属する人間――つまり使徒階級たちだけだ。

 もしそれだけの知識を生まれつき持っているのだとすれば……それを神の申し子と言わずして何と言うのだろうか。


「……まぁ、確かにそうだな。さすがに考えすぎだったかもな」


 最終的に、テディはそういう結論に達した。

 〝常識〟が彼の直感を上回ったのだ。

 リーゼはうんうん、と頷いた。


「そう考えすぎです。まぁ確かに彼はちょっと大人びてるような気はしましたけどね」

「色々と子供らしからぬやつではあったな。しかしリーゼよ、かと言ってあの年齢の男児に求婚するのはどうかと思うぞ」

「………………は?」


 リーゼはぽかん、とした。


「え? えっと……何の話ですか?」

「貴様は覚えておらんだろうが、酒を飲んで酔っている時にシャノンに自分と結婚しろと迫っていたのだぞ?」

「………………………………」


 リーゼは黙ってしまった。

 その顔が少しずつ赤くなっていった。


「…………えっと、それもちろん冗談ですよね?」

「冗談なら我が輩もどれほどよかったか……」

「え、ええ!? もしかして本当なんですか!?!?」


 リーゼは思わず立ち上がっていた。

 途端にあわあわし始めた。赤かった顔が今度は青ざめていた。


「わ、わたしは何と言うことを……! ひいいい!?」

「だからあれほど酒は飲むなと言ったのだ」

「わ、わたしは何と言う恥さらしな真似を――かくなる上は自害します!!!!」


 リーゼは自分の魔剣に手をかけた。

 テディは慌てて止めた。


「やめろ!?」

「と、止めないでくださいテディ様!! そんな恥ずかしい真似をして生きてなどいられません!! わたしはドーソン家の恥さらしです!! 潔く死なせてください!!」

「ええい、やめんか馬鹿者!! というかこんなところで騒ぐな!! 余計にみっともないわ!!」


 揉めに揉めた。

 周りにいた人間たちはいったい何事かと、彼らのことを遠巻きに見ていたのだった。


 ……これはもしもの話だが、仮にテディがダリルにこう訊ねていれば、テディは自分の直感をもう少し信じることができていたかもしれない。


 前回、自分が立ち去った後に、何か変わったことはなかったか――と。


 そうすればダリルからエリカが熱を出して倒れたことや、シャノンが急にいなくなったこと、それと〝お守り〟のことを聞き出せていたかも知れない。

 それだけの情報があれば、テディもシャノンの〝正体〟について、より深く疑念を抱いたことだろう。


 だが、今回は運良く――もしくは、その機会はなかった。

 こうしてテディは自分の直感を、ただの思い過ごしだということで片付けたのだった。

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