34,遠い場所

「……」


 ……それは難しい、か。

 おれは先ほどのティナの言葉を思い返していた。

 家を出たことは後悔してないけど、でもやっぱり家族と会えないというのは寂しいというか……思うところはあるだろうな。


 ダリルの両親はすでに死んでしまっているという。

 だが、ティナの両親は生きている。なら、会おうと思えば会えるわけだ。

 ……うーん、何とかできんもんかな?


 おれが王都に行けば、ティナの家族に会うことは可能だろう。

 まぁ、勘当した娘の息子に会ってくれるかは分からないが……でも、これにだってチャンスは生まれるわけだ。


 ケネット家を復興させるにしても、ティナの家族に会うにしても……おれが王都へ行くべき理由は増えるばかりだ。

 ……初めから行かないと決めてかかっていたら、おれはこういう事情も恐らく知らないままだったんだろうな。


 そういう意味では、おれは魔王の言葉には感謝すべきだろう。

 あいつに相談していなかったら……おれは多分、王都へ行くことは決めてなかったと思う。


 そんなことを考えながら二階に上がって、自分の部屋に入った。


 すると……なぜかそこに魔王がいた。


「……え?」


 魔王は窓枠に腰掛けて夜空を見ていた。

 カーテンと魔王の黒い髪が、ほんのわずかに風に揺れている。

 アスガルドから降りそそぐ銀色の光を浴びるその姿は、思わず見蕩れてしまうほどに美しかった。


 すぐに声をかけることはできなかった。

 それくらい……おれは本当に、魔王の姿に見蕩れてしまっていたのだ。


「……ん? おや、もう風呂から上がってきたのか?」


 魔王がこっちを向いた。

 それでおれの身体にかけられていた魔法は解けた。

 本当に、魔法でもかけられていたみたいに身体が動かなかったのだ。


「あ、ああ。というかお前、なんでおれの部屋にいるんだよ?」

「すまんな。ここからのほうが、あの赤い星がよく見えたんでな」

「赤い星……? もしかしてニヴルヘイムのことか?」

「ああ、そんな名前だったな」


 魔王は再び夜空に目を向けた。

 その目は、何だかやけに遠くを見ているような目だった。


「お前らの伝承によれば、あの赤い星は死者の星なのだろう?」

「まぁ、そうだな。罪人の魂が堕ちる、永遠に終わらない冬の世界とか言われてるな。そんで、アスガルドには神世界しんせかいがあるって言われてる。現世で徳を積んだ魂がたどり着く楽園らしい。まぁただの民間伝承だけどさ」

「まぁ、どこの世界にもそのような伝承はあるのだな」

「お前らの世界にもあったのか?」

「……そうだな。色々とあったとは思う。古き盟約についても、我々にとってはただの伝承の一つだったからな。まさか本当に破滅竜ニーズホッグが目覚めるなど、誰も思っていなかった」


 魔王は少し、悲しそうな目をした。


「……あの赤い星を見ているとな、まるでかつての故郷を見ているような気分になるんだ。破滅竜ニーズホッグに滅ぼされ、何もかもが死に絶えた我が故郷――プラネスの成れの果てのようにな。あそこにまだ、置き去りにした同胞たちが苦しんでいるんじゃなか――と。見上げる度にそう思ってしまうのだ」

「……」

「なんて、しょうもない話だったな。忘れてくれ」


 魔王は窓枠から離れた。

 その顔はもういつも通りの、魔王の顔だった。


「勝手に入って悪かったな」

「ああ、いや、別に……」

「ところで、母親との最後のお風呂は楽しかったか?」

「ぶほっ!?」


 おれが咽せると、魔王は笑った。


「そうか、そんなに楽しかったか」

「いや別に楽しいとかそういうんじゃねえから!?」

「見た目は子供だが、中身はエロジジイだからな、お前は」

「うるせえよ!?」


 おれは深く溜め息を吐いた。


「……あれはまぁ、なんだ。おれなりの〝親孝行〟のつもりだったんだよ。まさかあんなに喜ぶとは思ってなかったが……」

「風呂くらい一緒に入ってやればいいだろうに」

「簡単に言うなよ……おれの心臓がもたねえよ。つーか、おれの代わりにお前が入ってくれたらいいじゃねえか。ティナは喜ぶと思うぞ?」

「まぁそれもいいんだが……ちょっと理由があってな」

「理由?」

「ああ。まぁ見せたほうが早いな」

「は?」


 魔王が急に服を脱ぎ始めた。

 おれは慌てて目を隠した。


「いや、おま、ちょ!? なにしてんの!?」

「この背中の傷を見られると面倒だと思ってな」

「え?」


 指の隙間から覗くと……魔王の白い背中に大きな傷痕があるのが見えた。

 思わず手を離し、まじまじと見てしまった。


「……お前、どうしたんだその傷?」

「これは一度死のうとした時の傷だ。高所から飛び降りたら普通は頭から落ちるものだが……なぜか背中から落ちてな。その時、地面から突き出していた石が突き刺さったんだ」

「……」

「ま、別に致命傷ではなかったんだがな。こんな大袈裟な傷痕だけが残ってしまったのだ」


 魔王は再び服を着た。


「この傷のことを説明するのが面倒なのでな。だから、悪いがいつも一人で風呂に入らせてもらっている。ああ、でも薪がもったいないからな。わたしが入った時は、いつも魔法で湯を温め直しているぞ?」

「どこで魔法使ってんだよ!?」

「なに、練習みたいなものだ。魔力制御はできるようになったが、まだ思い通りに魔法を使う段階には達してないからな」


 魔王はすたすたと部屋を出て行き、ちょっとだけおれを振り返った。


「お前は王都を遠くだと言っているが、妾からすれば目と鼻の先のようなものだ。死者の世界ほど遠くはないのだからな。そう気負うこともあるまい。もっと気楽に考えればいい」


 それだけ言うと、魔王は自分の部屋に戻っていった。


「……」


 ……もしかして、おれはいまあいつにはげまされたのか?

 というか、わざわざそれいう言うために……?

 あいつの真意は結局分からなかったが……でも、確かにあいつの言葉はその通りだと思った。


 ……そうだな。

 確かにそうだ。

 おれは不思議と、以前ほどの不安を感じなくなっていた。

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